調布在住、魔王な俺と勇者なあいつ
Snowsknows
プロローグ
その世界はついに崩壊の時を迎えた。
暗黒の空は引き裂かれ、紛い物の大地は砂上の楼閣の様に崩れていく。
この嘘偽りに
そこは、夢幻世界。
全ての闇を統べる王、魔王ギガソルドが、その強大な魔力を用いて作りだした反面世界。
彼の王は世界滅亡の野望のため、この反面世界を拠点にして、転移魔法により異形の物どもを次々と地上世界へ送り込んでいた。
だがその魔王の目論みに対して、精霊の加護を受けし勇者エルフィンとその一行が、人々の希望を携え立ち上がった。
彼らは地上世界にて幾多の苦難を乗り越え、魔王の軍団を
そして最奥部にあるキガソルド城にまで攻め入り、
「ぐがああああああ!」
「うおおおおおおおお!」
魔王ギガソルドは勇者エルフィン一行の激しい攻撃に、とうとう最終形態、巨大な黒光りする甲虫の姿にまで追い込まれ、そして最期に至り、弱点である心の魔眼へ勇者に聖剣を突き立てられてしまう。
「う…ぐおぅ」
おどろおどろしい形相で苦痛に呻く魔王。
「はぁ………はぁ……。これで消え去れ、魔王ギガソルド!」
そう言って勇者は最後の聖力を聖剣に流し込む。
瞬間、魔王ギガソルドの甲虫の様な巨大な体躯に
「ぐぎゃああああ」
魔王は激痛のあまり、三対ある内の一本の巨大な脚で、勇者を撥ね退けた。
木の葉のように勇者は吹き飛ばされ、半壊した城壁へと叩きつけられる。
『ぐはぁがががーーーーー!』
魔王の断末魔が空間に木霊する。
すると空間に充満していた禍々しい魔力が消え去り、魔王の体躯が朽ちた土壁の様にあっけなく崩れ堕ちた。
勇者は肩で息をしながら満身創痍の身体で、それを胡乱な眼で見やった。
「はぁ…、はぁ…。か、勝った…のか?」
魔王ギガソルドは、二度も、とどめを刺したと思ったら変異して襲って来たのである。
まだ警戒を解くわけに行かなかったが、勇者の身体はとっくに限界を超えていた。
不意に膝をついてしまう。
「エルフィン!」
「おい、エルフィン!」
と、勇者エルフィンを心配する様子で、勇者一行の、エルフの女賢者フローネと女武闘家カレンが駆け寄って来た。
「皆…大丈夫か? はぁ、はぁ」
「無論だ。お前ほど満身創痍ではない」
「へへ、あたいも無事さ。頑丈なのが取り柄だからね。まぁ、あんた程じゃないけど」
「そうか、よかった………魔王は…?」
もう完全に死んだんだろうか?
まだ心配を拭えない勇者エルフィン。と、エルフの賢者が首を振った。
「……魔王の魔力はもう感じられない。今度こそ、倒した筈だ」
「へっ、さすがにネタ切れなんだろうよ」
「はは…」
武闘家カレンの軽口に、渇いた笑いで力なく返す勇者。と、
「……ゆ、勇者様…き、傷を」
そう呟きながら、覚束ない足取りで近寄って来たのは、見た目幼い僧侶サンドラだった。
「サンドラ殿!」
「あんた、大丈夫なのか!」
驚きの声を上げる賢者フローネと武闘家カレン。
僧侶サンドラは、基本後衛のため肉体にはそれほどダメージは負っていなかったが、魔王ギガソルドが放った
「い、今……治癒詠唱術を…」
と、呂律すら回らぬほど消耗していた僧侶サンドラは、勇者の胸の中へ力なく倒れ込んでしまう。
勇者エルフィンはそんな少女の健気な優しさに頬を僅かに緩ませ、彼女をふわりと抱き止めた。
「…これ以上、無理をするな。普通の身体の…ただの神官の孫のお前の方が、疲労困憊なんだぞ」
「しかし…エルフィン様のお身体が」
そう言って僧侶サンドラが勇者エルフィンの懐を見ると、今までの激闘を物語るように衣服が赤黒く染まっていた。
「もう………いいんだ」
「ですが…」
「もう……全て終わったのだ」
凛と呟くエルフの賢者フローネ。腰に手をやり、彼女特有の達観した様子で。
そしてその深緑の
…とうとう勝った。やっと終わった。
皆内心でそう呟き、肩から荷を下ろす。
…魔王の侵攻が始まり数年。
幾多の国が亡び大地は荒廃し、人魔問わず大勢の命が失われた。
しかしながら、彼らは長い苦難の旅路を踏破し、その元凶である魔王ギガソルドをここに討つことに成功した。
勇者エルフィン一行の、後世に語り継がれるであろうこの物語は、ついに大団円を迎えたのだった。
が、しかし、
『…おのれ。…おのれぇ!』
それは耳へ空気を伝わった声ではなく、直接脳内に響くおどろおどろしい声だった。
『よもやこんな木端どもに、我が肉体を滅ぼされようとは!』
その声に騒然とする勇者一行。
「ま、魔王…」
「まだ生きていたのかい。本当に黒甲虫なみのしぶとさだね」
唖然とする勇者エルフィンと悪態を付く武闘家カレン。
そしてさらに血の気を失う僧侶サンドラ。しかしエルフの賢者フローネは、
「いや、違う」
と、鋭い眼光をそれに向けた。
そこには、言葉にし難いほど邪悪な紫炎の塊が、魔王の朽ち果てた肉体の上でゆらゆらと漂っていた。
それは魔王ギガソルドの魂。
否、器より抜け出た意志そのものだった。
『おのれぇ…おのれぇ、勇者め!』
勇者エルフィンは、僧侶サンドラを庇うように後ろ手にやり、満身創痍の身体を無理矢理奮い立たせる。
「邪悪な意思のみに成り果てても、まだ世に仇なすつもりか…。魔王っ!」
勇者一行も従うように身構えた。
『……我は最早この世界に存在できぬ。…《転生の秘儀》を使うしかあるまい…』
突然、魔王の魂から眩い光が発せられた。思わず顔を覆う勇者一行。
そして光が途切れると、彼らはゆっくりと目を凝らした。
するとそこには、先ほどの邪悪な紫炎が綺麗に消え去り、ただほんのりと輝く青白い塊だけが浮いていた。
勇者エルフィンは、魔王らしき魂に怪訝に眉をひそめた。
「貴様、……一体何を!?」
『…魔王たる我とて、この世の理には従わねばならぬ。冥府へと飛ばされ地獄へと堕ち百罪の罰を受けるであろう。だが、ただでは死なん。……我は再びこの世に生を受ける。この世界滅亡の意志と力を持って!』
「な、何!?」
「どういう事だ!」
「……」
魔王の言葉に、勇者エルフィンと武闘家カレンは叫び、エルフの賢者フローネはただ目を疑念に細める。
『《転生の秘儀》…我よりも遥かに古代の魔族が作りし禁術。我はこれを用いたことにより、この意志と力を持って再臨することができる。…しかし、貴様らは違う。…我を討ち果たしたことは褒めて遣わそう。だがその愚かな真似のせいで、この夢幻世界は消滅する。貴様らを道連れにな!』
「魔王…ッ!」
ぎりっ、と臍を噛む勇者エルフィン。そして騒然となる勇者一行。
それは、自分達が元居た世界に帰れぬことは……わかっていたことだった。
魔王の本拠が異次元にあると知り、帰る術がないことを理解した上で、承知した上で、彼らはエルフの賢者フローネの行使した強制転移詠唱術でこの夢幻世界に乗り込んだのだ。
しかし結果は、魔王の肉体はなんとか討ち滅ぼすことが出来たものの、奴の魂までもは滅っすることが叶わず、魔王は再度この世に生を受け、世界滅亡を企てるというのだ。勇者一行の奮闘を嘲笑うかのように。
「
と、武闘家カレンが間一髪入れず、最後の力を振り絞って、魔炎を纏った必殺の飛び蹴りを魔王の魂へ噛ますが、
『無意味』
「んがっ!」
と、何の抵抗も無く魔王の魂をすり抜けてしまう。
そのままの勢いで転げてしまう武闘家カレン。
「くっ、サンドラぁ!」
歯噛みした彼女は僧侶サンドラへ長い旅の絆から以心伝心のつもりで、浄化詠唱術を使えっ、と促すが、
「……む、無理です。今の魔王は……純粋な魂だけの存在です。死霊や亡霊とは違います。常世の理に従う存在…。私たちにはもう手出し出来ません…」
そう言うと己の無力さに膝を突く僧侶サンドラ。もう何も出来ないという現実を認めてしまっていた。
『そういうことだ。愚か者ども。無駄な足掻きよ』
嘲笑う、魔王の魂。
勇者エルフィンは自らを奮い立たせ、再度必殺
「くっ……くそ」
あまりの理不尽に、悔しさに、歯噛みする。
『くっくっく、やっと絶望に囚われたか勇者よ。……であるが《転生の秘儀》を使ったとしても、いつ転生するかはさすがに我にも分からぬ。百年後か千年後か。…はたまた遥か未来か。それに次は元の魔族に生まれ変わるかも分からぬ。もしかしたら人間かも知れんがな』
「へっ、あんま当てにならない魔法だね! 転生するにしても、それこそ黒甲虫かもしれないじゃないかい? そしたらあたいが踏みつぶしてやるよ!」
と、傷だらけの身体で威勢を吐く武闘家カレン。
『愚か者め。この《転生の秘儀》は、ある程度だが転生先生命体を指定できるのだ。無論、我の知性を存分に生かせる生命体にしてある』
「都合の良いこった!」
『減らず口など、いくらでも言うがいい』
その途端、その背後に巨大な空間の渦が現れた。
『くっくっく、ではさらばだ。勇者よ。…だが安心するがいい。おそらく貴様らは伝説となろう。帰る見込みのない異世界に単身乗り込み、見事魔王を討ち取った英雄としてな。転生した未来で我がその伝説を確かめてやろうぞ!』
その渦に吸い込まれて行く魔王の魂。
「畜生……畜生」
そう呻く勇者エルフィン。
『くっくっく、はっはっは! はははは!』
「魔王ぉぉぉーーーーーー!」
魔王の嘲笑が勇者の脳内に響き、夢幻世界は無に還るが如く消滅した。
無論、勇者たちの肉体を巻き込んで。
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