第8話
一ヶ月に一度、私の朝は早い。
太陽と共に__いや、太陽よりも早いかもしれない。白じむ空を部屋の窓から見上げ、隣で私の手を握って眠る美少年を見つめた。
アシェルが来てから半年が経った。
細かった体は肉付きがよくなり、父さんの手伝いをするせいか肌の色も黒くなった。それでもまだ白いけれど。
この半年は本当に忙しかった。一向に周りに馴染もうとしないアシェルを引っ張り回して他人との交流を図った。私が仲介者になってなんとか仲を取り持つ。
アシェルは最初めちゃくちゃ嫌がって私の背後に隠れることしかしなかったが、だんだんと改善されていった。ヘーメルの人達は優しくて寛大だから、いわゆる余所者であるアシェルにも優しかった。それに心を打たれたんだと思う。
もともと表情が豊かな方ではなく、あまり笑わないがゲーム内のアシェルよりはずっと笑顔がある。
こうやって添い寝する回数も減ったし、手を繋いで背後に隠れることも少なくなった。
寂しくなんかない。
アシェルを起こさないようにそっと握られた手を抜いて、布団を出る。朝はまだ寒くてぶるりと身震いをした。
無地のワンピースにポンチョのようなものを羽織って、誕生日に買って貰ったブーツを履いた。部屋の隅に隠してあった籠を持てば完璧だ。
静かにドアを開けて、外に出る。冷たい外気が頬を掠めた。
ヘーメルの領地を囲むように繁るヘーメルの森の南側に行く。急いでいると森の入り口にこちらに手を振っている人物が見えた。
「ごめん、ネージュ。待った?」
「ううん! いま来たとこ」
カレカノみたいな会話を交わし、立ち入り禁止と書かれた看板の下を潜る。苔の生えた石の階段を30分かけて降りれば閑散とした町が現れた。
隣の領地のハルヘンという町である。町と言うには少し寂しすぎる気がしなくもないが少なくともヘーメルよりはお店がある。
私はネージュと手を繋いであるお店を目指した。
私達がこの町に秘密で降りるようになったのは約五年前からだ。
五年前、私はネージュにアルメリア王国について話した。ゲームの知識とスチルの映像だけでおもしろおかしく語ればネージュが興味を示したのだ。
『私の知らない世界を知りたい』
ネージュはヘーメルでは珍しい水の民だった。しかも氷の魔法しか使えない突然変異だったらしい。そのため髪も白い。
ヘーメルの人々は皆優しかったからネージュを忌避したりしなかったけれど、ネージュはとても気にしていた。今はそこまでないらしいけれど、やっぱりどこか気になるんだろう。アルメリアに行きたい、というよりは知らないことを知りたいって感じだった。
そのために私達はこうやって親にも内緒で隣町に来て、果実や野菜を売っている。ヘーメルではそもそもお金が行き交わない。大抵物々交換である。
蔓の蔓延る小屋を叩けば重々しく扉が開いた。中からは白髪をおさげにして、シミとシワを浮かせた老婆が出てきた。腰は曲がっているが弱った様子はなく、歯の抜けた口を歪めてにんまり笑う。
「おお! 久方ぶりじゃぁ。ティナちゃん、ネージュちゃん」
「問屋のばあば! これ買って!」
「私も!」
二人で籠を付き出せば、ばあばは嬉しそうに微笑んだ。
「やあやあ。寒かったろう。お入りなさい」
「お邪魔します!」
中では暖炉が燃えていた。冬でもないのにばあばは寒がりだ。
五年前もこんな感じだった。
二人で初めての町で途方に暮れたのを覚えている。私はお金を手に入れると言えば売ることしか考えて無かったので人がいれば買ってもらおうと思ったのだ。
だがそもそも人が居なかった。売る相手がいない。二人で肩を落として帰ろうとすれば問屋という文字が見えた。ばあばの店だ。
そこに駆け込んで、果物や野菜を買って貰った。実際ばあばが全て食べているらしいがそれでもいい。こんな物を買っていくれるばあばは優しい。
「ほい。今日のお金だよ」
「わ、ありがとう!」
しわしわの手からお金を受け取る。
もうこうやって五年もお金を貯めておけばそろそろアルメリアに行けるのではないだろうか。
「心配したのよぉ、ティナちゃんたち最近来んかったでしょう? もう来んのや無いんかって思うてね」
「最近はちょっと忙しかったんだ。私の家に居候が居てね、その子の面倒をみなくちゃいけなくて」
居候、と言うとばあばは皮膚で隠れた目をくいっと開けた。ボサボサの眉毛が跳ね上がる。
「居候? 今時そんなことするんかねぇ」
「うん。実はね……」
アシェルのことを話せばばあばは嬉しそうに私の話に頷く。
「そうか、ティナちゃんもネージュちゃんも頑張ったんね」
「でも、最後はティナのお陰だよ! あ、今度アシェルもここに連れてこようよ!」
元気よくそう言ったネージュに私は首を振る。
「アシェルは多分来ないし、最悪父さんたちにバラさちゃうよ」
「えぇ!? そんなぁ」
多分ではない。絶対にアシェルは来ない。そして確実にバラされる。
アシェルはヘーメルの外に出ることを極端に嫌う。ネージュが将来私とアルメリアに行きたいと言った時は怒った。
その日1日不機嫌マックスで、私が一人で謝り倒した気がする。アシェルにとってアルメリアは恐怖の国でしかないだろう。
「残念じゃ。アシェルちゃん? 女の子かえ?」
「男の子だよ」
「アシェルくんに会いたいの。美少年なんて何年も見てないなぁ。べっぴんさんはよぉ見れるけど」
ばあばは私達を指差して、ケタケタと肩を揺らして笑った。
「やぁだ! べっぴんなんて!」
「いやいや、二人ともべっぴんさんじゃ」
ネージュが頬を紅潮させてばあばの肩を叩く。確かにネージュは可愛い。白い髪に蒼い瞳は神聖な美しさを連想させる。
「ティナちゃんもべっぴんさんじゃ」
「私?」
可愛いなんて初めて言われた。
少し照れ臭くて頭を掻く。
「髪は短いけど綺麗な茶髪だし、瞳の色はヘーメルの森と同じだわ! 素敵!」
「ふぉっふぉっふぉっ。ヘーメルの血筋を感じる色じゃの」
二人して私をベタ褒めしてくる。気恥ずかしくて私も頬を紅潮させてしまった。
一人で照れているとばあばが思い出したように立ち上がった。奥の部屋に引っ込んで、手に袋を抱えて戻ってくる。
「ティナちゃん、ネージュちゃん、新しい仕事じゃ」
そう言ってばあばが袋から出したのは丸い石だった。
「これは?」
「魔法石って言うてな。この中に専用の魔力を入れて使うんじゃ。たとえば……」
ばあばが赤い石を左手にとって右手を翳すと火がぼうっと燃え上がる。
「え!?」
「わしは土の民じゃが、こうやって魔法石に魔力を流せば火の魔法も簡単なものなら使える」
「すごーい!」
「新しい魔法石に火の魔力を注げばそれは火の魔法石に。土の魔力を注げば土の魔法石になるんじゃ。まあ、土の魔力なんてあまり需要はないがな」
ばあばは白い魔法石、恐らく新しい魔法石を三つずつ私達に渡した。
「この魔法石に二人の魔力を入れてきて欲しい。魔法石はわりと売れるからの。高く買ってやるぞい。今の100倍の価値では売れる」
「ひゃ、100倍!?」
私は目が飛び出るかと思った。なんて美味しい話だろう。
「でも、私は氷の魔力しかなくて……」
「いいやないか。氷の魔法石も確かにあるしの」
「え!? あるの!?」
ネージュの言葉にばあばは優しく微笑んだ。
「氷魔法の使い手もおることにはおるんじゃ。珍しいがな。そうじゃ、氷の魔法石はさらに10倍の値段で買ってやろう」
「すごいよ、ネージュ!」
ネージュはじっと白い魔法石を見つめる。蒼い目がキラキラと輝いていた。
「ありがとう! ばあば!」
「一ヶ月かけて三つ完成させるんじゃぞ。無理しちゃいかんからな」
「もちろん!」
二人で手を振ってばあばに別れを告げる。明るくなってきた空を見上げて早く帰らねばと駆け足で石の階段を登った。
ヘーメルの結界はヘーメル領の人間だったら誰でも余裕で入れる。父さんたちが目覚めてないことを祈りながら二人で各家に向かった。
案の定、父さんも母さんも起きては居なかった。そーっと自室の扉を開けて愕然とする。
出るときは寝ていたはずのアシェルがベッドの上で体育座りをして丸まっていたのだ。あれは寝相が悪いとかいう類いではない。
ドアを開けて立ち尽くす私をゆっくりとアシェルが見た。瞳が緋色に燃えている。やばい。怒ってる。
「ア、アシェル。起きてたのね。おはよう」
「どこに行ってたの」
アシェルは体育座りしたまま憮然とこちらを睨んだ。美少年の睨みは怖い。
「ちょっと、ネージュと散歩に……」
「本当に?」
じっと私の頭から爪先を舐めるように見つめて。また不機嫌そうにぶすっと頬を膨らませた。
「遅い」
「ご、ごめん……」
なんかめちゃくちゃ怒っていらっしゃる……。
アシェルに近づけばまたいつかのように抱き締められる。力も強くなった。
黒い髪を撫でてやると少しは落ち着いたようだ。
「……朝まで一緒にいてよ」
「ご、ごめん」
ヤバい、可愛い。
可愛いんだけど、セリフの彼女感が凄い。
「今日からまたティナと寝るから」
「えっ」
「何? 文句ある?」
「……無いです、スミマセン」
アシェルはグリグリと頭を擦り付けるだけでそれ以上は何も言わない。諦めて気がすむまでやらせてやろうと体の力を抜く。
魔法石に魔力を込めてみたかったんだけどしばらくはお預けかなぁ……。アシェルにバレたら今度こそ追及されるだろうし、来月も行けるかな……。
魔法石の入った袋をじっと見つめた。
アルメリア行きのお金が貯まったのは、それから六年経ったころである。
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