第12話




「そこまで」


 凛とした柾貴の声が響き渡り、場の空気が一変する。

 離れて一礼した後、文字どおり崩れ落ちて――――睦月はえた。


「っだあああああああっ!」


 両手両足を大きく投げ出してそのままゴロンと床に寝転がる姿は、どこから見ても試合に負けて悔しがっている少年剣士。

 握られているのは竹刀ではなく真剣で、目の前で繰り広げられていたのは本物の戦闘シーンさながらの、やたらアクロバティックな斬り合いだったが。 

 首筋や額からは幾筋も汗が滴り落ち、肩も大きく不規則に上下させている。

 時折咳き込む荒い呼吸を聞いてるだけでも、そうとうキツそうだ。

 つられて思わず吐きそうになる。


(そりゃ痣だってできるわ……。むしろよく痣だけで済んでたな……)


 刃が掠るとか間違ってグッサリとかさ……と未だ目を見開いたままの哲哉を、穏やかな笑みを湛えて柾貴が振り返った。

 こちらは睦月とともにあれだけ激しい動きをしたにも関わらず、息も上がっていない。


「これはほんの一例で、すべてお見せすることはできないが」


(!? これだけじゃない!?)


「子らが帰った後は、毎晩こうして身を守る術を叩き込んでいる」


 つい目も口もぱっくり開いて、そのまま柾貴を見つめ返してしまう。    

 何やってんだこの親子……?

 いったい何から身を守るというのか。


「傷も痣も作らずに対峙できるのは何年先になることか……」


 微笑んだまま見下ろす父親をギロリと睨み返して、睦月が上体を起こす。

 まるで勝った気がしないばかりか、バテバテな自分に比べて疲れ知らずな父親が面白くない……といったところか。    

 よほど悔しいのか小さく舌打ちまで聞こえた。


(虐待どころか普通に――いや、かなり……ものすげえいい親父さんだったんだな)


 歩み寄り、大丈夫かおぶってやろうかと構い倒す父親と、拗ねまくって悪態ついている娘。そんな二人をあらためてしみじみと見比べて哲哉は深々とため息をついた。

 強い信頼とか固い絆、そういったものがなければできない世にも恐ろしい修練を目の当たりにすれば、当然考えをあらためざるを得ない。  


 単なる思いつきや趣味などではなく、本当に余程の事情があってのことなのだろう。

 普通じゃないあの稽古も、本来の性別を周囲にひた隠しにしていることも――。

 生半可な決意によるものではないのだと。

 揺るぎない意志とか――覚悟というべきか――そういったものを、柾貴は自分らに示したかったのかもしれない。


 結局根底にある大事な部分は明らかになってはいないが、不思議にも気分は落ち着いていた。清々しいほどに。

 それでいいと思えた。



「二人とも、良ければ夕食を一緒にどうかな」


 嫌がる睦月の頭を容赦なく撫でくり回しながら、柾貴が振り返って微笑む。


 突然押し掛けてきたあげくに勝手な臆測で問い詰めるような真似をしたクソ生意気な高校生に、なぜこの人はこんなにも……。

 気持ちはありがたいが自分としてはどうにも居たたまれないというか穴があったら入りたいんだが、という思いで哲哉は視線をさまよわせた。


「でもご迷惑――」

「はい、是非っっ!」


 ぼそぼそとつぶやかれた反省まみれの遠慮は、1オクターブ高い洋海ひろみの声で見事に上書きされた。

 忘れていた……。

 頬を紅潮させて潤んだ瞳で柾貴を見つめ続ける幼馴染を。







「は? 何でだよ? 肉からだろ」


「玉ねぎしんなりさせてからお肉入れたらレストランの味なんだよ? クオリティーわかってないなあ大谷くん」

「クオリティーより食の安全求めてるだけだ、オレはっ」


 料理当番らしい睦月を手伝う、と洋海が台所に押しかけて、早速ぎゃいのぎゃいのとやり合っている。

 思いのほか楽しそう(睦月が聞いたら怒りそうな気がするが)な弾んだやり取りに、知らず口元が緩んでしまう。 

 本当なら女子同士結構気が合う二人なのではないかと入口付近で観察していると、こっそり廊下の端から柾貴に手招きされた。   


「桜井くん、少しいいかな」

「あ、はい」


 着流し姿の柾貴と連れ立って中庭を臨める縁側まで足を伸ばす。

 薄っすら苔の生した岩岩に取り囲まれた小さな池と、そのほとりに咲いて揺れる山吹や菖蒲。その周りにはツツジと、少し視線を上げると椿や木蓮。

 砂利一色の味気ない正面の庭とは違い、そこには色鮮やかな緑あふれた小庭園が広がっていた。


「あのっ、すみませんでした。おもいっきりとんでもない誤解をしてました」


 到着するなり潔く哲哉は頭を下げた。

 とにかくまずは謝らねばと思っていたため、そのつもりは無かったのだろうが機会を与えてくれた柾貴にまたも感謝の念がこみ上げてくる。


「……とんでもない。実際、親とは無力なものでね」


 優しく静かな調子で、柾貴が口を開いた。


「できることなら傷一つつけず大事に守っていければ良いのだが……。わたしはこうして身を守る術を、生き抜く技を授けていくしかできないのだよ」


 穏やかな語り口の中にやり切れなさのようなものを感じて、思わず顔を上げる。 

 優しいがどこか物悲しさも感じさせる横顔。けれど底に秘めた強い想いのようなものは、絶えず伝わってくるような……。


「己を守り、運命さだめに打ち克っていくのは……結局は己自身でしかあり得ないのだから」


「――――」


「睦月は少々、重いものを背負って生まれてきていてね。これもなかなか簡単には話し辛いが……。だからどうしても必要なのだ、今していることは」


 すっかり黙りこんでしまった哲哉に、慈愛の塊のような優しい声と微笑みを向けてくる。   


「少し厳しいと感じたかもしれないが。剣道の他に……あの子が三つのころからああいった類の修行を続けている」


 いや少しどころじゃないから!と胸中ですかさずツッコんでいた。

 しかも、三歳?と上目遣いに記憶を辿る。

 自分が三歳の時なんて………………駄目だ、何も記憶がない。せいぜい鼻垂らして遊んでたくらいではないのだろうか。


「……いつまで、ですか? そういう……」


 道場を継ぐまで続けなければならない、とかだろうか。いや……やけに大それた話をされたような気がする。

 普通の剣道とは別に、というところにも何か重要な意味がありそうで、知らず緊張が走る。


「……さて……いつまでたせられるか……」

「え?」

「――いや。だからこそ、普通の若者として学生生活を謳歌してほしくてね。高校へもほぼ無理やり行かせている」


 聞き返した哲哉に真意は語らないまま、柾貴がさらに目を細めた。


「図らずも多くの秘め事を抱えさせてしまっているが、それでもわたしは『友人を作るな』と言った覚えはないのだがね……。あの子なりに思うところがあったらしい」

「……」


 そして。

 微笑みはそのままに、伏せられていた目をついと上げて、柾貴が哲哉を見る。


「君は、もしかして……」


 穏やかだが真っ直ぐな眼に、予感がした。


「――――」


 訊かれたら素直に告げようと思った。

 女だと、知っていると。


「……いや」


 だが――再びゆっくりと目を伏せ、柾貴は柔らかく笑う。


「すまないね、一方的にいろいろと……。睦月のお友達に会えるなんて初めてのことで、つい嬉しくてね。よろしく頼むよ、学校で」


「……はい」


 なぜ引っ込めたのかはわからないが、おそらく彼は知っているのだろう。

 自分が睦月の本当の性別に気付いていると――。







「ちょーーーっとちょっとちょっと! 久々に来てみたら、可愛い子たちがいるじゃない! うっそ、友達できたの!? あっ、付き添いの少年!」


 和やかに歓談しながらの食事中。

 インターホンも押さずに突然ドタバタと入り込んできたと思ったら一人で騒ぎ立てて、しまいには哲哉をビシリと指差したのは…………他でもない、養護教諭の倉田路代みちよだった。


(う……うるせえ)


「えっ保健室の先生!」

「はあい? いやん可愛い女の子ー!」


 耳を塞ぎあからさまに顔を顰める哲哉を押しのけて、頬ずりせんばかりに倉田路代が洋海に身を寄せてくる。


「姉さん、食事中です。静かにしてください」


 まったく動じることなく柾貴が笑顔でたしなめ、当たり前のように睦月が立ち上がった。


「伯母さんもカレー食ってく?」


「その呼び方やめい!」

「へいへい。も食う?」


 言ってるそばから食器を手に白飯をよそっている。気が利くというか何というか……。


 ――――って、え?    


「食う!」 

「「伯母!?」」


 今さらだがしっかり返事をしつつスプーンを握って催促している倉田路代に、洋海と二人、目を見開いてハモってしまった。


「そ。ここ私のよ。旧姓、大谷路代。ぃよろしくぅー!」


 左目のすぐ横でブイサインを決めて、ばちんと音が聞こえそうなウインクまで飛ばしてくる。


(なるほど、それでか……)


 もの凄い剣幕で睦月の身体を心配していたのも、女だということや父親のことまで知っていそうだったのも、身内だったからというわけだ。


「いーい!? 間違っても『おばさん』なんて呼ぶんじゃないわよ? 呼んだらキスするからね!」 


 色々なことがいっぺんに腑に落ちたところに、恐ろしくも微妙な脅迫が降ってくる。  

 相変わらずのパワフルさに、哲哉のひきつった口の端から少しだけ乾いた笑いがもれた。





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