Steel Eyes

本編

第1話

 



「……井。――桜井! 起きろ桜井哲哉てつや!」


 バゴッ!

 最後の怒声とともに頭部に打ち下ろされた一撃が、否応なしに意識を現実へと引き戻す。

 効果的な目覚ましとなった超絶ハード仕様の出席簿をぼんやりと見上げ、哲哉は唸りながらゆっくりと瞬きを繰り返した。


「……っでー……」


 クスクスと笑う同級生たちの声をBGMに、心なしか頬を引きつらせた現国担当教師が仁王立ちで見下ろしてきている。

 そうか、そういや授業中か、と悪びれなく大欠伸をかましてしまい、二度目の攻撃を食らう。


「やっぱり眠りコケたか。入学早々教師陣のチェックが入ってるだけあるな」


 厚手の出席簿を容赦なく振り下ろした中年男性教師が呆れた声を出していた。


「えー……俺もうチェック入ってんの?」

「当たり前だ。おまえ昨日の授業もことごとく寝たんだってなあ? えぇ?」


 ねぼけ眼でのそりと顔を上げた哲哉の頭に、ぐりぐりと出席簿のが押し付けられた。

 学級担任でもあるこの中年教師の注意(制裁?)は、やはり他の教科担当に比べて手厚い。

 しかも恰幅のいい見てくれなだけに、迫って来られるとなかなかに……鬱陶しい。


「いででででで! センセ、もっと優しくしてーぇ」


 語尾にハートマークをたっぷり乗せた「お願い」だったにもかかわらず、黒い出席簿は三度みたび小気味いい音とともに降ってきた。

 もはや周囲には遠慮なく笑い声が飛び交い、哲哉が恨めしげに、だって……と声をあげる。


「最初の授業なんて出席とって名前確認して、あとは先生の長え話だけじゃん。誰だって眠くなんぜぇ?」

「だが本当に寝るのはおまえだけだ。律儀に六教科全部で寝たそうだな? 職員室じゃおまえの噂でもちきりだ」


 中背小太りの体がさらにジリジリと詰め寄ってくる。


「お、俺ってばもうそんなに有名人ー?」

「ああ喜べ。人気独占状態だ。非難轟々なほどになあ」


 ち、近っ!と椅子ごと後ずさって廊下に面した窓にへばりつく哲哉に合わせて、ぴったりと大顔面もまた目の前に迫ってくる。


「や……やーん、センセってば嬉しくないみたーい」

「当たり前だーーー! なんで俺がおまえのような生徒を受け持たねばならんのだー!?」


 とたんに丸太のようなゴツイ両腕で担任は首を絞め上げ始めた。


「ぐげげ……教師がそんなコト言っていいのかーっ?」

「教師だって人間なんだぞー! よく寝る生徒より寝ない生徒のほうがいいし、屁理屈こねるヤツより真面目なヤツのほうがいいに決まってるだろー!」

「きゃーあ、センセぇ、アタシを捨てないでェ」

「まだ言うかー!?」

「ゲーーーッ、マジで絞めるなーーーっ!」


 四月九日。

 私立宮園高校、三時限目。

 一年二組は大爆笑の渦の中で、幕を閉じた。

 





「ゲホ……っきしょー……マジだったぞありゃ」


 思いきり顔をしかめて哲哉は絞められた首周りをさすった。

 未だ興奮の冷めやらぬクラスメイトのほとんどが、廊下側最後列を振り返っては笑い声をこぼしている。


「ぎゃははは、大丈夫かよおめー?」

「入学早々、担任に泣かれながらシメられるか? フツー」


 気さくな笑顔で近寄ってきた三人組は、二日目あたりから会話を交わすようになった男子生徒たち。


「やー、それほどでも」

「いや、褒めてねーから」


 またもやその場が小さく沸いた。


 ――と。


「さっきのは哲くんが悪かったよ」


 突然、隣から響く声。

 机の上で頬杖をついた小柄な女生徒が、呆れたように明後日の方角を見ながら続ける。


「いつもよりヘラヘラしすぎだったな」

「あー?」


 ぐりん、と哲哉の首が四分の一回転した。


「おまえねー、ずっと隣に座っててそりゃないでしょお? 止めるか助けるかしろよー」


「何度も同じことすんの飽きちゃった」

「ひどいわっ、洋海ひろみちゃんもワタシを捨てるのねっ」

「そろそろそーしなきゃなー、とは思ってたしね」


 ひーどーいー、と大げさに泣き崩れて机に突っ伏す哲哉と隣の女子生徒を見比べて、男生徒たちが口を開く。


「何? 中学一緒だった、とか?」

「ずいぶん親しげじゃん」


「ん? あー、まぁ中学どころか小学校、幼稚園もぶっ通した仲だから。おまけに家もめちゃ近」


 机に突っ伏したまま、頭の上にひらひらと掌をかざした。


「佐藤洋海ひろみです。ヨロシク」


 人懐こい笑顔で女生徒が首を傾げる。

 肩の上で切り揃えられた、まっさらなストレートが静かに揺れた。


「すっげー腐れ縁でさ。『桜井』と『佐藤』で新学期は大抵こうして隣同士」

「高校でまでそうだったね、哲くん。嬉しい?」

「嬉しくない……」


 さめざめと泣く真似をして哲哉が再度机に突っ伏した。

 再び小さく笑いが起こった、そのタイミングで。



「そこ、通してくれる? ――――悪いけど」



 抑揚のない冷ややかな声が、前触れもなく降ってきた。

 振り仰ぐとそこには、それほど背の高くない一男子生徒。

 『悪いけど』というセリフがいかにも建前であることを感じさせる無表情さで、その少年は哲哉を見下ろしていた。


「あ、悪い」


 椅子ごと教室後方のロッカーに寄りかかり、出入口を塞ぐ形になっていた哲哉が、あわてて前に詰める。

 それに対して何ら反応を示さず、男子生徒は後ろを通り抜け教室を後にした。



「……自己紹介ン時以外であいつが喋ってんの、初めて見た……」


 周りを取り囲んでいた男子生徒の一人が、ぼそりと口を開いた。


「俺も」

「そういや、そうだよな」


 次々にうなずく残りの少年たち。

 うなずきこそしなかったが、それに関しては哲哉も同意見だった。


 記憶のある限りでは――居眠りしていなかったときに限られるわけだが――出欠確認時の返事と、入学して二日目の自己紹介以外で彼の声を耳にした覚えはない。

 その自己紹介にしても、高校生活の抱負やら野望から異性の好みに至るまでやたら熱弁したがるクラスメイトたちとは異なり、


『⑤番。大谷おおたに睦月むつき


 ……という「よろしく」的な挨拶もない、「です」「ます」の語尾さえ付かない、五秒にさえ満たない自己紹介を、彼は例の無表情でやってのけたのである。

 それだけ吐き捨ててさっさと席に戻る姿を見送った直後の、しんと静まり返った教室内の妙な雰囲気といったらなかった。

 それなりに教員歴が長いはずの中年担任の、呆気にとられたあの表情が忘れられない。



「でもさ、なんかいいよね。クールでさっ」


 わずかに赤らめた頬を両手で包み、隣で洋海がくーーーっと悶えている。


「おまえ……渋めのオヤジ以外、眼中ねーんじゃなかったのかよ? ほんっとミーハーな?」


 長い付き合いだけあっていろいろとよく知り得てしまうのである。ときには本人から。ときにはこれまた仲の良い親同士を仲介に。

 今は時代劇俳優のナントカさんに嵌まっているらしいが。


「いいじゃん、いいじゃん! でもあたしだけじゃないんだよ!」


 目一杯呆れた視線をくれてやるが、まるで意に介さず洋海は足までバタつかせ始める。


「知らなかった? 女子の間じゃ密かに人気なんだから」

「またまたあ。俺のコトだろそれは」

「哲くんは変な意味で一番目立ってるだけ」

「がーん」

「ぎゃはは、やっぱな」

「いいぞー桜井」


 ある程度の長身と持ち前の明るさで中学までは順調に(?)人気を保持してきた哲哉としては、やはり少なからずガラガラと崩れるものがあった。

 が、だからといって別に狼狽えて大騒ぎするほどのことでもない。

 相変わらず立ち直りも早く、いーけどね、と軽くため息をついたところで四限目の始業チャイムが鳴り響いた。 

 いつの間に戻ってきたのか、教室なかほどにある自席で、件の大谷睦月はひとり静かに次の英語のテキストを繰っていた。





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