Coda ~ D1
---- Coda
おれはメッセージを送信した後それが開封済になるのを見届け、しばらく待って次のメッセージが来ないことを確認してからコンピュータをシャットダウンした。
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おれが愛用している安藤珈琲は目抜き通りから一本折れたところにある静かな佇まいの喫茶店だ。おれは約束の14時の10分前に到着した。扉の上にはウィンドチャイムみたいなものがぶら下がっていて、扉を押し開けると恥凛恥凛と鳴って客の来訪を伝える。おれが鳴らした恥凛恥凛で店にいたほとんどの客がおれの方を向いた。おれの方を向いた顔は二つを残してすぐにまたどこかほかを向く。残ったのはいらっしゃいませと言った店主と手をあげて合図をする鞍内の二人だ。10分前に来たのに鞍内は先に来ていた。おれは店主にうなずきかけながら鞍内の向かいの席へ座った。
店内には低くフュージョンが流れている。こういう店によくあるジャズではなくフュージョンだ。この店ではジャズもかかるけれどその選曲にはだいぶ偏りがある。フュージョンよりのものや著名な演奏家が特殊なアンサンブルをやっているものなんかが多い。そしてどれもこれもベースがいいという共通点がある。聞いてみたことはないけれどおそらくここの店主はベースをやっているか、少なくともベースが好きなのだろう。
おれは座りながら鞍内に言った。
「マーカスだっけこれ」
「サンボーンだな。この曲はマーカスの曲だし演奏も有名すぎるけどアルバムはデヴィッド・サンボーン名義」
「これキーボードだれ?」
「ドン・グロルニックってやつ。だけどシーケンサー周りはマーカスなんじゃないか」
この辺りの音楽を愛好する鞍内がその知識を披露する。
「ケンちゃん相変わらずあの卑猥なアイドルやってんの? なんだっけ? ザーメンシャワーみたいなやつ」
「ばっか。そんな直接的なワードじゃねえよ。らぶりぃ♡みるくしゃわーな。全部ひらがなでらぶりぃとみるくしゃわーの間にハートマークな」
「だからそれはザーメンだろ」
「そうかもしれないがそうではない」
おれたちの悲惨な会話をたぶん耳にしたであろう店主が、何も聞かなかった風な顔をしておれの前に水を差し出しながらご注文はお決まりですかと聞く。おれはマンデリンのストレートコーヒーを注文する。店主は伝票にボールペンでメモをとって戻っていく。
コーヒー豆を並べたガラスケースがカウンターを兼ねていて、レジはそのガラスケースの前にぽつんと独立してある。ガラスケースの向こうは店主の領域で、色とりどりのカップとソーサーのセットが棚に並べられ、その上の段にアナログのメーターがついているようなアンプや重そうなCDプレイヤー、アナログレコードのプレイヤーなどが詰め込まれている。オーディオ機器の周囲にCDが並び、さらにその外側にLPレコードが詰まっている。棚の両端にはJBLの4312が埋まっている。青いフロントパネルが特徴的なスピーカーの銘機だ。棚の中ほどに店主がコーヒーを淹れたりする台のような部分があって、そこに今流れている作品のジャケットが小さなイーゼルに立てておいてある。
「澤木は最近なにやってんの? テレビ? 劇場?」
おれはカウンターから鞍内に視線を戻す。
「ん? ああ。今やってるのは配信のやつだね。最近は配信のほうが予算いいらしいよ」
「どんなやつ?」
「ほとんど裸みたいな女の子が戦うやつ」
「最近そんなのばっかりだな。戦ってるのはほとんど女の子だな。なんでかな」
「客が男だからな。そっちは? どんなのやってる?」
「某コンシューマ機の某大手が作ってる某ビッグタイトル」
「なるほどね。すげえ有名なやつだってことがよくわかる某っぷりだ」
「そういうこと」
店主が近づいてきておれたちのテーブルの横に立ち止まる。おれと鞍内はほとんど同時に店主を見上げる。店主は外国みやげの置物みたいな雰囲気で胸の前にトレーを持って立ち、眉を少し上げておれたちを見下ろしている。カイゼル髭がないことが不自然にさえ思える。
「おまたせいたしました。マンデリンでございます」
厳かにそう言いながらおれの前にコーヒーを差し出す。ロイヤルコペンハーゲンのカップに入ったコーヒーの褐色は白をぐっと引き締めて青と調和している。
店主がソーサーをテーブルに置くと、テーブルとソーサー、ソーサーとスプーン、ソーサーとカップ、スプーンとカップがそれぞれ触れ合って架千遅璃燐と音を立てた。
「ごゆっくりどうぞ」
店主は伝票をテーブルに伏せ、胸の前にトレーを抱くようにして一礼してからカウンターの奥へと戻って行く。おれはコーヒーの水面に目を落としたまま、おれの左側から後ろを通って右へと離れていく足音を見送った。
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