2A 2

 最近はアニメをCGの技術で作るということが増えている。本来アニメは作画といってアニメーターと呼ばれる職種の人たちが大量の絵を描いて作られるものだ。当初CGはアニメの中では異物で、特殊な用途でしか使われていなかった。それが次第にいろいろなところに使われ始め、ついには作品全体がほとんどCGでできているというものまで登場した。当初そうしたものは普通のアニメとは違う別の表現という位置づけだったけれど、最近はもう作画のアニメと見紛うようなものまである。CGの質はどんどん上がり、コストは逆にどんどん下がった。その結果作画で作られていたものがCGで済むようになり、アニメーターの仕事が奪われ始めた。CGによって駆逐されたのは中間層で、CGではできないほどすごい作画をするアニメーターは一流としてかえって価値が上がり、CGを使うほどの予算がない場面では安いという理由で末端のアニメーターが消費されるようになった。こうして作画アニメーターはCGよりすごい一流とCGより安い底辺に二極化し、これまでアニメ制作を支えてきた中間層は奮起して上へ登るか、甘んじて下でひどい扱いを受けるという二択を迫られることになった。


 今、CGも二極化しつつある。アニメCGの黎明期を支えたプロダクションは質の高い劇場版なんかを作り始め、テレビアニメのCGを下請けするところが減った。そこへ新しい会社が次々に参入して中の下ぐらいの映像を量産している。おれがやっているのはその周辺の仕事だ。ギャラは安く納期は短い。指示は理不尽で出来上がる作品はマイナーだ。ただアニメの仕事には救いもある。どんなにマイナーな作品でも必ずちゃんと目の利くやつが見ているということだ。おれたちが採算を度外視してこだわったポイントに気づいて喜んでくれるやつが必ずいる。それがおれたちのやりがいにつながる。ここではやりがいという言葉は搾取の象徴だ。カスみたいな金額で質の高いものを要求され、金はないけれどやりがいはあるという言葉で丸め込まれる。深夜のマイナーなアニメなんてものは多かれ少なかれおれたちみたいなコスト感覚の死滅したやつのこだわりに支えられている。


 おれは映像クリエイターになりたかった。そして今こうやって映像を作って暮らしている。この職業はたぶん映像クリエイターだ。ではおれの夢はかなったのかと言えばおそらくそうは言えない。もっとこう、メジャーな作品の演出だったり監督だったり、そういうものになりたかったはずだ。だいたい映像クリエイターになりたいと思うやつはそういうところを目指して始めるんだろう。でもだれもが知っているように、そんなところへたどり着くのはごくわずかな人だけだ。じゃあそこへ行けなかったやつはどうなるのかというと、多くはプロダクションの中で日夜作業をするサラリーマンになる。プロダクションにもいろいろあって、元請けのプロダクションにいると経験に応じて末端のクリエイターからディレクターになり、その先は演出家になったり場合によっては監督になるやつもいる。下請け専門のところにはそういうキャリアパスはない。プロダクションに所属して上を目指す志みたいなものもなく、名のあるクリエイターにもなれないおれのように中途半端なやつらがこういうところに引っかかって、夢がかなったわけじゃないのに一定のなにかは満たされるという状態に落ち着く。そういうやつらから搾取してクソみたいなギャラでコンテンツを作るやつというのがいて、要するにおれたちは足下を見られているわけだ。でもことさらそれに文句を言うこともない。足下を見られているしクソったれな状況ではあるけれど、それによって満たされている部分が間違いなくあるからだ。ギブアンドテイク。それがひどく低次元なところで釣り合っているわけだ。


 作業に没頭していると数時間という時間は一瞬のように過ぎ去る。気づくと未来にいる。タイムマシンというのはこういうものなんじゃないかという気さえしてくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る