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 立ち上がってキッチンへ行き、本来ガスレンジを置くべき場所に置かれた卓上型のインジェクションヒータにポットをかけた。湯を沸かす間にコーヒーサーバを取り出して網走監獄みやげの分厚い木の鍋敷きの上に置く。ガラスのコーヒーサーバの上に白い陶器のドリッパを置いて紙のコーヒーフィルタをセットする。筒状のコーヒーミルはキャンプなどに持ち出すような携帯用のものでステンレスの肌が鈍い光沢を放っている。防音扉みたいなキャニスターの蓋を開けて銅のメジャーカップで豆を取り出す。メジャーカップの表面は桃色でも橙色でもない銅色で周りのものを閉じ込めていて明るい部分と暗い部分が極端なコントラストを描いている。限りなく黒に近いブラウンの豆を銅のカップからステンレスのミルへ手渡すと、豆は少しずつ回転して隙間を詰めながら積み重なっていく。筒状のミルの頭部にハンドルを取りつけて回すと筒の中ほどにあるセラミックの刃がコーヒー豆を粉砕する。ハンドルを握る右手にコーヒー豆の砕かれていく振動が伝わってくる。最後の一粒が刃に吸い込まれると急に抵抗がなくなる。鼻詰まりが急に解消したみたいな解放感だ。ハンドルを取り外し、筒を捻って真ん中あたりから二つに分ける。上半分に入れられた豆は真ん中の刃を通って粉になり、下半分にたまる。おれは粉になった豆をドリッパにセットしたフィルタの中に入れた。


 ポットの水面では内側から湧き上がってくる泡が満員電車から吐き出されてくる人のようにはじけている。IHのスイッチを切るとすぐに水面の混雑は落ち着きを取り戻す。ポットを濡れタオルの上に置いて少し冷ましてからフィルタの中へ注ぐ。粉砕された豆の中央から外周に向かって螺旋を描くように一廻り濡らしてしばし待つ。粉は濡れた部分だけ明度が下がる。ドリッパの縁に飛んだ水滴は光沢を放って主張する。水滴は染み込まない相手の上では光沢を放ち、染み込む相手の上では相手の明度を下げてそこが濡れていることを知らせる。だから触れなくても見るだけで濡れていることがわかる。しばらく蒸らした後再び中央から螺旋を描いて湯を注ぐ。粉の中央が盛り上がってきてドーム状になる。このドームの内側に香りが閉じ込められていることを想像しながらドームを膨らませていく。決壊しないように気をつけながら落とす湯の量を調節すると手の動きに合わせてドームが膨らんだり落ち着いたりする。息をしているようだ。注ぎ終えるとドームは縮んで平地になり、更に陥没して円錐状の穴になる。円錐の先端がとがりきる前にドリッパを外すとコーヒーが完成する。シンクの中に置いたドリッパの底から残った褐色の液体が帯を引く。


 できあがったコーヒーをカップに注いで自室へ戻る。豆を取り出したとき、挽いたとき、湯を注いだとき、あたりに官能的な香りをまき散らしたコーヒーは、カップに注いだあたりでその喜びの大半をすでに失っている。カップから立ちのぼるわずかな香りを楽しみながら口をつけると、香りから想像したのとは程遠い味がする。


 コーヒーを一口すすってから椅子に腰を下ろす。画面では長い髪をツインテールに結い、セパレートタイプの水着をどうにかしたような露出度の高いプロテクターだかアーマーだかなにかそういう鎧みたいなものを身に着けた少女が、長い舌とたくさんの触手を持つ全身ぬめぬめの粘液にまみれたモンスターみたいなものと対峙している。おれは隣のモニタに表示した絵コンテを眺めて想像する。できれば近寄りたくないような、臭気さえただよってきそうなモンスターと対峙した少女。少女はこのモンスターと戦うための特別な力を持っている。今画面に展開されているのはモンスターの最初の攻撃をかわして体制を立て直した少女が反撃にうつるまさにその瞬間だ。それがコンピュータグラフィックスの技術を使って作られている。おれはそのソフトウェアの中の空間でカメラを動かして画面のレイアウトを調整する。迫りくるモンスターの巨大感とか嫌悪感とかそれに向かっていく少女の勇気とか決意とかそういったあれこれと太腿や二の腕の肉感を表現するレイアウト。カメラは地表すれすれに置いてローアングルで少女越しにモンスターを見上げる。モンスターのポーズを調整する。少女のポーズを調整する。カメラの角度を調整する。モンスターを調整する。カメラを調整する。少女を調整する。カメラ。少女。モンスター。少女カメラモンスター。モンスター少女モンスター少女少女少女少女少女。細かい調整を繰り返して絵を作っていく。威圧感。緊張感。太腿感。レイアウトのバランスが決まったらアニメーションをつける。動きのタイミングがリズムを生み出す。1秒間に24コマ。24分の1秒単位でタイミングを微調整する。24分の1秒の違いが大きな差になって映像を支配する。なびく髪の毛の形。指の表情。太腿。上半身のひねり具合。膝の曲がり具合。太腿。二の腕。脇。太腿。決して重くはないけれど確かに重さはあるという気配。アニメの少女に体重を与える作業だ。たった1.5秒の映像を何日もかけて作る。しかもこの少女やモンスターのCGモデルは別のスタッフが作ったもので、おれが納品した後にもまだ別の工程がある。膨大な労力をかけてこの少女はモンスターと戦っている。これがおれの仕事だ。

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