フェルトの秘密

紫堂文緒(旧・中村文音)

第1話

 生徒がだんだん少なくなって、とうとう廃校になった小学校の一室に、オルガンが一台、ぽつんと残されておりました。

 古くなった校舎と同じように、古びたオルガンでした。

 長い間ずっと誰にも弾いてもらえぬままだったので、正しい音が出るかもわかりません。

 その上、ふたを閉めるちょうつがいが壊れているので、いつもあくびをしているかばのように口を開けたままでした。

 その、いつも開けっ放しのオルガンにはうっすらとほこりが積もっていましたが、白と黒の鍵盤の上には、きちんと赤いフェルトが引いてありました。



 その日はよく晴れた秋の日で、教室には窓から温かい日が射し込んでおりました。

 そして、フェルトに上に、小さい黒い生き物がぽっちりとおりました。

 それは一匹の蟻でした。

 この蟻は働き蟻と言って、巣にいるほかの蟻たちのために、えさを集めては持ち帰る役目をしていました。

 けれど、なにしろ大変な食いしん坊で、見つけたえさをちょこちょこつまみ食いしてはお腹いっぱいになって眠くなり、このフェルトの上でうとうとと昼寝をしていたのです。

 少し、さぼるのが好きでもあったのでしょうね。


 そんなわけで、蟻は今日ものんびりと眠りをむさぼっておりました。

 と、あんまり気持ちがよかったのか、それともおいしいものの夢でも見ていたのか、少し笑いかけたその口もとから、よだれがひとすじ、たらりとたれました。

 それで蟻は気がついて眠りから覚めると、あわてて前足で口をぬぐって起き上がり、すたこらとまた、えさ厚めに戻っていきました。



 ところが何日かして、蟻がまたオルガンの上へやってまいりますと、赤いフェルトが一ヶ所、ぽつんと黒くなっておりました。

 穴が開いていたのです。

 蟻は驚きましたが、ふと、しばらく前、寝ている間によだれをたらしたことを思い出しました。


「ははあん、おいらがよだれをこぼしたあとを虫が食ったんだな。

 花みつを食べたあとだったから、よだれも甘くておいしかったんだろう。

 あいつらフェルト食いの虫たちも、やっぱりおいらと同じに甘いもんが好きとみえる。


 …しかし、困ったな。

 廃校とはいえ、小学校の大事なオルガンだ。

 そいつを守るフェルトだ。

 それに穴を開けちまったぞ。

 このままにしておくわけにはいかんな。

 そんなことをしたら、おいらの名がすたる。


 ……そうだ!

 ぶどう園の手前のすずかけの木の陰に、洋服の生地を売る店があったっけ。

 今日のえさ探しはこれで切り上げて、ちょっくらそこへ寄ってみるとするか」


 蟻はその日、帰る道すがら、生地屋へ寄ることにしました。

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