エスペシャリーシンパシズム
霜月ミツカ
1
頭上ではシャンデリアが揺れていた。オペラ座の怪人みたいにあれが落ちてきたらどうなるんだろう。目の前のふたりのおしゃべりがすでに頭の中に入ってきていない。よくない、と思いながらあと何分で帰れるんだろうと考えはじめていた。あのシャンデリアが落ちたら、帰れるかなぁ。
仕事で使うから仕方なくfacebookに登録したら、高校の同級生の莉緒に発見されて、食事に誘われた。断る理由がないから莉緒と愛理と仕事帰りに渋谷で会った。
話題は上司がどうのとか、後輩がどうのとか。芸能人の不祥事とか。地に足がついていない話題ばかりだと偉そうに品評するわたしは、自分のことは全然話さなかった。話題が「婚活」にシフトしたとき、莉緒が、「まだ旋くんと付き合ってんの?」とわたしに話題を振ってきた。旋という名詞が現れたとき、彼の気の抜けた顔が思い浮かんで、この全てを投げ出して帰りたくなった。
「うん。まぁ、一応」
「結婚しないの?」
そう訊かれたとき、そんな発想はなかったなと改めて気づいた。
「結婚、するのかな」
「えー? 希和は結婚願望ない系?」
「そういうわけじゃないんだけど」
旋と自分の恋愛のゴールはどこにあるんだろうといつも考えていた。ウエディングドレスが着たいとか、子どもが欲しいとか、そういうことは全然考えたことがなかった。漠然と、一生一緒にいたいだけだ。
「そうなんだ」と愛理は適当に相槌を打って、わたしの話題は終了して、次の話題に移行してしまった。
吐きそうなくらいの徒労感を抱えながら自分の住んでいる部屋の隣の、旋の部屋の鍵を開けた。
部屋の中は真っ暗だったのでもう寝てしまったかと思いながら、丁寧に揃えられた旋のまっさらなスニーカーの隣にハイヒールを脱いで部屋にあがった。
リビングに入ると暗闇の中、ソファに寝転びスマートフォンを見ている旋の姿があった。
「おかえり」
「目悪くするよ」
わたしが電気をつけようとすると「やめて」と叫んだ。
「眩しいから」
馬鹿かと、こころの中で呟きながら電気を点けた。「ひゃー」と旋が叫んで目を覆った。
旋の体に跨ってキスをした。きのうもこんな風にキスをしたのに、離れていた時間が長すぎたなんて思いながら旋の唇の感触を味わった。背中が熱くなる。旋がわたしの背に手を伸ばした。キスをしているだけで、融けてしまいそうになる。
「結婚するの? って訊かれた」
場所をベッドに移動して、思う存分求めあった。満足したら旋は、わたしがやめろと何百回も言っている煙草を吸った。
「結婚、ねぇ」
旋は小馬鹿にするように言い、紫煙を鼻から出した。
「希和がしたいなら、あしたにでもしよう」
「理由がないかな」
「俺も」
ガラス製の灰皿に煙草を押し付けて寝転び、わたしの顔を見て、キスをしてきた。煙草臭かった。
旋とは高校時代に出会った。それから十三年が経った。まわりでこんな長いこと付き合っているのはわたしたちだけで、「結婚」ということばはわたしたちにずっとまとわりついてきた。
「理由ができたら、結婚しよう」
「うん」
こういうことを言ってくれる旋が楽だった。
子どもはあまり望んでない。だけど、嫌いなわけじゃないし、絶対要らないわけじゃない。ただ、子どもがいる自分たちが想像できない。
旋の、骨っぽい肩を触りながら「ずっと一緒にいよう」ということばを飲み込んだ。ことばにしなくてもそうしたかったし、ことばにしない自分たちで居たかった。
「帰るね」
わたしがベッドから出ようとすると「だめ」と抱き留められた。この感じ、ずっと前にもあった気がする。そういうデジャブみたいな感じは、珍しくなかった。
次第に旋の寝息がきこえてくる。すぐに眠りにおちることができる旋が羨ましいと思いながら、その寝顔を見ていた。
十三年、大きなできごとがなかった。あまりに変化がなすぎて、時間だけが過ぎて、ミニマルテクノみたいだねってよく言った。そしてすぐ、ミニマルテクノやってるひとたちに失礼だねとも言った。
一緒に住まないで隣の家に住んでいるのは、一緒に住むと自分の生活スペースが狭くなるからと旋が言ったから。だけど会いたいときにいつでも会えるように隣に住むよう要求された。わたしも旋と同じ気持ちだったからそれでよかった。
お互いの親も早く結婚すればと勧めてくるけれど、いつもこのままでいいと思っているから、その気になれなかった。
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