1章3節3項(19枚目) 導くもの

 占貌せんぼうの仮面。

 端的に言えば、対象者に相応しい仮面を教える代物。

 当然だが、ここで指す仮面とは、仮面の適合者バイパーに姿を変える、世界にばら撒かれたとされる特殊な仮面である。

 付け加えれば、対象者は占貌せんぼう仮面の適合者バイパーではない。その仮面を被れば、自身と相性のいい仮面が分かるわけではない。

 知ることができるのは、仮面を被る当人ではなく、他者である。

 描写や鏡面反射などを用いない限り、己の顔貌がんぼうを直接見ることが叶わないのと同じである。

 行く末をのぞく、占術の一種である。

 羨望せんぼうする未来に導くため、過去と現在を掌握しょうあくし、今を形作る世界に対して、働きかけていく。

 占いし者は実現方法を画策できぬ者の知恵として、また足踏みに戸惑う者の支柱として、他者に寄り添う存在である。

 願望をつかみうる道筋を示す存在であり、行動を起こす者が抱える不安をぬぐう後押しをする存在である。

 占貌せんぼうの仮面はそれと同義である。その仮面で映し出される像は、仮面の適合者バイパーになれる仮面である。

 しかし必ずしも映し出されるわけではない。

 相応しい仮面が存在しないのであれば、何も映し出されない。

 仮面は誰もが扱える代物ではないから、それは当然と言える。

 仮面の適合者バイパーに姿を変えられず、ただ仮面を所有するだけの存在。俗に仮面の保有者ホルダーと呼ばれる存在で満足するのであれば、それでも構わないだろう。欲望がはら蒐集しゅうしゅう活動に勤しみたいのであれば、それはそれで問題はない。

 けれど仮面の適合者バイパーを目指すのであれば、やはり自身と親和性が高い仮面でなければならない。

 その点は絶対である。見合う代物が存在しなければ、その姿に変わらない。

 占貌せんぼうの仮面はその事実を突きつける。可能性の有無を明確に示してくれる。

 それ故に仮面の適合者バイパーに姿を変えられる適正を見抜く装置と言われている。

 そこまで分かれば、今後の行動も取りやすくなる。無駄足を踏む必要がなくなる。

 仮面の適合者バイパーになれない絶望に浸る可能性は残されているものの、何も知らず、行動を起こすよりはるかにマシである。こだわりを捨て、新たな道を模索できることを教えてくれるから、有意義と言える。

 遅かれ早かれ、自身に相応しい仮面がないことは分かる。死に行くときに理解する。手に入れられなければ、存在しないのと同じである。

 希望と絶望を隔てる、第一歩。

 その方法は至って単純である。

 占貌せんぼう仮面の適合者バイパーと肉体接触するだけ。

 自身に見合う仮面を知りたいと願う者、占貌せんぼう仮面の適合者バイパーが仮面を贈りたいと願う者、その場に居合わせただけの者など。

 他者の肉体に手で触れることにより、占貌せんぼう仮面の適合者バイパー顔貌がんぼうに触れられた者に相応しい仮面が映し出される。

 接触する間、その現象は続く。離れてしまえば、元ののっぺらな仮面へと戻る。目や鼻や口などの輪郭も浮かび上がらせない、真っ白なツルツルの形状になる。

 何度も言うが、映し出される仮面の情報は姿だけ。名称は浮かび上がらない。

 繰り返すが、占貌せんぼう仮面の適合者バイパーは、確かな情報すら知ることもできない。

 役割は浮かび上がらせることだけ。自身が被る仮面を通して、理解することは決してない。他者から教えてもらわない限り、正体やそのヒントも分からない。

 従って占貌せんぼう仮面の適合者バイパーに触れられた者もしくはその周囲にいる者が確かめることになる。

 占いし者の視点ではなく、それ以外の視点で確かめることになる。

 それこそ、鏡でもなければ、即時に知ることはできない。

 目があってないような容貌ようぼうではあるものの、視認することはできる。仮面で顔が覆われていたとしても、元々持つ生命体としての感覚器官を通して、日常でやっているように物事を認識できる。

 ただし飲食できないから、味覚は封じられている。

 口内を切ったときに流れる血液であれば、感じることはできるものの、外部からの摂取による作用は不可能である。生命体の性質を宿した仮面であれば、それも可能ではあるものの、それに該当しない仮面であれば、ほぼ不可能である。

 しかし認識する原理が占貌せんぼう仮面の適合者バイパーに残されているのは確かである。

 対象者に相応しい仮面の姿を目にできるのはそのおかげである。

 それでも分かるのは相貌そうぼうだけ。

 しつこいようだが、他者と同じように名称は分からない。見た目以外、映し出された代物を特定する情報を持ち合わせていなければ、1枚1枚、実物と比較する作業が待っている。

 手元にある物であれば、楽に片づくと思われるが、逆の場合、人手間加えなければならない。他者の所有物であれば、視認できるように段取りを組まなければならない。

 調べるだけでも、相手に報復されてもおかしくない行動を起こす羽目になりかねない。己の所有物である仮面が狙われていると知れば、警戒されてもおかしくない。

 仮面が別物であり、相手の標的に見定められてしまうと最悪である。野望への勤しみが断たれてしまうから。今後の活動に制限が科せられ、身動きが取れなくなる事態に発展するから、そのように評価せざるを得なくなる。

 そして調査した結果、探し求めていた仮面だと判明すれば、手に入れたい渇望かつぼうは抑えられないはず。

 わざわざ調べ上げたのだから、諦めがつくとは思えない。そのきっかけがない限り、執着は簡単に断ち切れない。

 従って仮面に手を伸ばしてくると見当できる。

 しかし手段次第では結果が違ってくる。

 交渉で双方の納得が応じられた上で仮面を手にできるのであれば、後腐あとくされなく、今後に目を向け、行動を起こせる。最善と言えるだろう。大きく身を削ることになったとしても、最終的な収支で利益を上げられれば、結果としては上々である。

 しかし交渉が決裂した上で仮面を我が物にすれば、報復される確率は高い。

 財産を奪われたままではいられない。それが大切であればあるほど、やられたままでは終わらない。取り戻す気力を折れていない限り、行動を起こすのは目に見える。

 仮面に限った話であれば、己の意見を押し通すこともできる代物である。自己主張を強行させる切り札として切ることができ、ままを叶えられる代物かもしれない。望むべく到達点に届くやもしれない。

 仮面の適合者バイパーになれ、仮面に宿った性質が志に活かせるのであれば、尚更なおさら、手放したくないことは容易に想像できる。

 そのような事態に発展すれば、厄介である。

 仮面の適合者バイパーとなり、相手を諦めさせる方向に持っていけるのであれば、問題はない。

 けれど、その道のりが途方であったり、泥沼と化したり、逆に白旗を揚げなければならない場合だと、面倒である。

 それが足枷あしかせとなり、歩みが遅くなれば、到達点に届くことなく、生涯を終えることになりかねない。

 特に降伏する羽目になれば、その目に傾くのは必至と言ってもいい。

 作業自体、照合する情報を持っていても同じである。

 仮面の入手のために奔走ほんそうすることには変わりない。

 ある程度の特定ができ、ある程度の危険を避けられるのは確かであるものの、超えるべき点は超えることになる。

 けれど導かれるだけ、まだマシである。

 占貌せんぼうの仮面で自身に相応しい仮面の存在を知らない者の場合、一通り被る羽目になる。仮面の適合者バイパーに姿を変えるまで、作業は続く。

 手元に持つ仮面の数が少なければ、それほど時間をかけることなく、終わりを迎えられる。

 しかし膨大に仮面がある場合、試す時間も比例して長くなる。

 全てを確認する前に当たりを引かなければ、その傾向となる。

 そして手元にある仮面で該当しなければ、目指すべく場所が分からぬ、探索に挑む羽目になる。

 手元に仮面がなければ、一足先にその段階を踏むことになる。

 探索は過酷を極める。

 どの仮面が当たりなのか、分からないため、在処を知り次第、手をつけることになる。手に入れる方法の検討に入る。

 しかし全てに関わろうとしなくともよいのかもしれない。

 体調や危険度や金銭事情などをかんがみて、選択するのもありかもしれない。

 何でもいいから、取りえず仮面を手に入れたいわけではない。

 自身に相応しい仮面を手に入れるのが目的であり、さらにその先を見据みすえているのであれば、仮面を手にすること自体が1つの目標にすぎない。

 代替できるのであれば、仮面を探す必要はない。

 自身に相応しい仮面を以ってして、目的を遂げる。

 その理想がない限り、探索から手を引くのは当然と言える。目的を阻む要因を取り除く戦力・権力・後ろ盾などが手に入れば、見限るのも納得できる。

 自死するよりも前に目的をいち早く遂げる、もしくは遠き未来で目的を遂げるために少しでも距離を縮める。

 目的に妄執もうしゅうしているのであれば、諦めるのは自然の流れと言える。残念な思考回路を有していない限り、誰もが思いつく。

 それは自身に相応しい仮面の情報をつかんでいる者にも言える。目的が遂げられるのであれば、仮面を手にできるやもしれない未来は捨ててもいいと。

 様々な事情を考慮こうりょすれば、えり好みするのも悪くない。

 けれど見逃した仮面こそが探し求めていた代物だった場合を想定すると、その決断は難しい。

 自身に相応しい仮面を手に入れたい願望が強いほど、それは容易ではなくなる。成功は保障されていないものの、2度と挑戦する機会がなくなる可能性を思うと、見送ることはできない。手に入れる機会をみすみす捨てることに繋がるため。

 自身に相応しい仮面が分かっていないと、そのような苦労も背負うことになる。何の手がかりがないまま、果ての見えない砂漠から1粒の金粉を探すほどの難易度が待っている。当てがないと偶然に期待するしかなくなる。当たりを引くまで、行動を起こし続けることになる。

 しかし仮面組織パレスを頼れば、自身に相応しい仮面の正体を知らない者でも望みはある。

 仮面装属の統治領域ノーブル・フィールドの場合、仮面装属の候補生ノーブル・ネクストに選ばれれば、自身に相応しい仮面を手にする機会が巡る可能性は高まる。

 仮面装属ノーブルは集めた仮面をその者たちに与えている。世の中の発展のため、各分野での活躍を期待している

 しかるべき人材を育て上げるために育成機関が設けられた。粗削りの原石を研磨して、より輝きを増すために。

 その育成機関に入学し、優秀な成績を修めれば、自身に相応しい仮面の審査を受ける権利を有することができる。

 仮面装属の候補生ノーブル・ネクストとは、その権利を有した者のことを指している。

 もちろん、仮面装属ノーブルに所属する条件でなければ、権利自体、渡されない。審査の成否に関わらず、その条件は絶対に遵守じゅんしゅしなければならない。

 みすみす活動の担い手を逃がしたくないために。ままを働き、人々の安寧あんねいを奪わせないために。

 約束を破れば、そのときは消される手筈てはずになっている。

 だから勧めてはいない。

 仮面装属ノーブルに所属したくないのであれば、育成機関に入学しないことを忠告している。納得できなければ、お引き取りしてもらっている。後に引き起こすいさかいの種にならないように仮面装属ノーブルは入学前の審査で弾いている。

 その過程を経て、仮面装属の候補生ノーブル・ネクストは選出される。権利を行使するにふさわしい者にその資格が与えられる。

 その権利を行使することで仮面の儀エレクトが執り行われる。そのときに占貌せんぼうの仮面が使用され、審査される者に相応しい仮面を明らかにする。

 その者にとって、実に結ぶ結果になる保証までは行わないものの、仮面の適合者バイパーとしての適正が認められ、さらに仮面装属ノーブルが保管する仮面であれば、授与される。

 保管する仮面に含まれていない代物であれば、手に入り次第、再度、仮面の儀エレクトが執り行われる。その時点で相応しい仮面であるかを判別する意味も含め、再度、催される。そこで問題が生じなければ、仮面が授与される。

 そのような儀式を通じて、仮面を手にできる。早い段階で手にできる者とそうでない者に分かれるものの、機会は巡ってくる。

 そして仮面の適合者バイパーになれる可能性がないと分かれば、仮面装属の候補生ノーブル・ネクストの資格は剥奪はくだつされる。

 組織にいての優秀な手駒、仮面の適合者バイパーを増やすことを念頭に入れていれば、当然の処置と言える。勧誘以外の手段で手駒を充実させる点を考慮こうりょすれば、仕方がないと言える。

 可能性がない者に構えば、審査に遅れが生じる。人材輩出に支障を来たさない点を理由にして、1度剥奪はくだつされる。

 しかし可能性を言えば、事態が変わる場合もありうる。

 年月を重ねた結果、相応しい仮面が見える可能性もありうる。

 その点に配慮はいりょして、再び仮面装属の候補生ノーブル・ネクストとしての資格を授与している。仮面装属ノーブルの支部や専門機関で実績を立てれば、その機会もありえるため、仮面を望む者はくさらずに精進している。

 これは資格を手にできないまま、育成機関を卒業する者にも言えることである。

 卒業後の進路で仮面装属ノーブルの支部や専門機関を希望し、そこに所属できれば、仮面装属の候補生ノーブル・ネクストに選ばれる可能性は残されている。実績を立てれば、ありえないことではない。

 このように自身に相応しい仮面が分かっていなくとも、手当たり次第に仮面を被らなくてもいい方法がある。仮面装属ノーブルはその環境を用意している。

 他の仮面組織パレスでも制度は違えど、仮面を授ける行為自体は存在する。こと仮面装属ノーブルであれば、育成に傾けているだけにすぎない。

 しかしその第一歩が厳しい。

 誰も彼も仮面装属ノーブルが抱える育成機関に入れるわけではない。

 思想・思考・素行などに問題がないお墨付きを仮面装属ノーブルからもらわなければならない。

 さらにそこから強いられる競争に打ち勝てなければ、育成機関に迎えられることはない。

 そこに踏み込めなければ、己の試行錯誤で仮面を手に入れる手筈てはずを整え、行動しなければならない。仮面装属ノーブルに頼らなくとも、その過程を歩むことになるのは間違いない。

 その結果、仮面の探索に終わりを告げる決断を下すことになるかもしれない。分からない代物を見つけ出す困難に打ち勝てず、挫折ざせつの道を選んでもおかしくない。肉体的・精神的疲労やふところ事情と相談した結果、その選択に至っても不思議ではない。

 仮面の手がかりをつかめていない分、吹っ切れるのも難しいことではない。明確な言い逃れが用意されているのだから、それを理由に探索を止められるのだから。

 なまじつかんでいると、未練たらしいことだろう。当てがある分、探索もやりやすいから。

 それでも探索続行の決断は迫られる。

 仮面の手がかりをつかんでいても、諦めが頭をよぎるのは十分にありえる。

 この事情に限らず、限界だと感じて、歩みを止める自体、普通に起こりうる。

 行動が結果に結びつかず、何のために人生を費やしているのか分からなくなるくらいに追い詰められれば、当初に抱いていた情熱を手放す未来も十分に想像できる。

 仮に諦めなくとも、限界は必ず訪れる。この世で活動する肉体がちてしまえば、その定めに落ち着く。一生費やしても手に届かぬ結末に収束する。

 その辺、手がかりがあろうと関係はない。違いは過程のみ。

 下手に知ってしまったが故に抜け出せぬまま、最後を迎える。仮面への渇望かつぼうが抑えられなかったが故に。

 全く罪な代物である。そのきっかけを作ってしまう占貌せんぼうの仮面は。知ることが必ずしも幸せではないことを突きつけることにいて。そこに辿り着くか否かがすぐに分からないところが余計にたちが悪い。

 しかし行動を起こす選択自体、当人の手に委ねられているから、何から何まで仮面のせいにされては困る。

 他者に背中を押されたとしても、踏み止まれなかったのは己である。逆らわなかったのは己である。

 逆らっても、結末を変えられなかったのは己である。肉体操作を御せなかったのは己である。

 望まぬ結末に足掻あがけなかったのは己である。望まぬと判断したのは誰でもなく、己である。他者が判断しても、それを受け入れたのは己である。

 何でも周囲のせいにされても困る。全て己のせいでなかったとしても。

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