私は私であって私じゃない
Ley
対話
対話1
『私は誰』
私は、私に問う。
自己を知らず自己を否定し自己に肯定されて生きる私。
誰しもがやったことがあるだろう。でなければこんな言葉がこの世に存在するわけがない。自問自答、自分に問いを出し自ら答えるという行為。生産性もひったくれもない、と私は思う。世の中には自分に問いたり、ぬいぐるみなどに問いかける事で深層心理とやらが分かるなんて言う人がいるが。そんなことで私の深層心理がわかっていたらこんなに苦労などしてない。夜中一人で頭がショートして寝付くまで自問自答するのを好き好んでやるやつがどこにいる。
私は昔から寝るというのが嫌いだった。家の育て方として小学生高学年まで8時半に寝かしつけられ、健康的な生活を送っていた。段々成長するにつれ体力も付きそんな時間では寝れなくなる。
ベッドに入り電気を消し無の時間を過ごす。その時間はいろんなことを考える。視覚情報はほぼない。カーテンから透ける光に怯えるだけだ。ギュッと目をつむって思い出す。今日あったこと、食べたもの。あれどうしようかな、明日何しようかな、あいつ誘って遊ぼうか、そういえばママに手紙渡してないや、怒られるかな。そうこうするうちに、暗さと染みついた正確な体内時計のおかげで眠る。
ただこれは中学年まで。高学年にもなるとそんなごときじゃ足りないぐらいの元気が有り余ってる。そんでもって私の辞書に反省という言葉が載るようになる。ふとした瞬間から大反省会が開催される。今日借りた本早く読みたいな、司書の先生が勧めてたの明日借りに行こうか、明日水曜だからやってないわ、そういやあいつ怒ってたな、なんかしたっけ、あ、うわやらかした、やらかしたやらかした。
言葉がループする。そのうち自己弁解をしたり、別の反省することを思い出したりする。ただ、気が付いたら落ちている。朝起きたら考えていたことの8割は覚えてないし、覚えたとしても特に影響はない。
今思えばしょうもないことで悩んでいたものだと思うがその頃の私は真剣だった。あの寝るまでのあの時間が大嫌いで、寝るのが嫌いだった。
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