8
次の日あたえは学校に来たがぼくを見ようとしなかった。だからぼくも話しかけにいかなかった。最初、あたえの隣の席じゃなかったらいまでもぼくらはこんな関係だったのかもしれない。羽野亜多英というひとがいてもきっかけがないから話すことなく高校生活を終え、その後思い出すこともない。それと比べればぼくらは少し、おかしな愛に溺れすぎていたのかもしれない。
あたえの母親がどんなひとであろうとあたえにはもう関係のない気がした。寂しそうによく笑うが、彼の過去には関係ない。別にいいじゃないか。ぼくは女を知らない。知らないからこそそんな風に感じるのかもしれない。
その日一日中あたえはぼくのところに来なかった。高校に入って初めてひとりで昼ご飯を食べた。コンビニエンスストアのサンドイッチは案外味が濃く思えた。いつも味なんてわからなかった。あたえのことが気になって。
帰り際、ぼくは彼の前を通った。
「好きなだけ、そうしていろよ」
ぼくがそう言っても無視された。
「待ってるから」
ひとりになることにあたえが飽きなかったらぼくは卒業するまでひとりなのかもしれない。来年のクラスは持ちあがりだからどちらかがいなくならない限り、必然的にあたえと同じクラスになる。
翌日もあたえはぼくを無視した。無視、というよりも彼は殻をつくりその中から出ようとしない。ぼくだけでなく世界に対して否定的になっていた。あたえは中学時代、それ以前はどういう性格だったんだろう。過去を知っていてもいまを、その先を知れるわけじゃない。だから考えるだけ無駄だ。
家に帰り、何もしたくなくて、そのまま家に帰り、すぐに布団を敷いた。次の日が土曜だし、もうどうにでもなれと思い、眠った。
ぼくは一体あたえに何をしてあげるべきなんだろう。ぼくなんかがあたえに何をできるんだろう。
子どもの頃、どういう風にひとを好きになるのかわからなかった。だけど、ふつうにサラリーマンになってふつうに結婚する未来を見ていた。でももう、反れたような気がする。
このままきみは、思い出になってしまうんだろうか。
気づいたら朝が来ていて窓から光が入り込んできていた。ドアの外から母親が「寝てんのー?」と叫んでいた。いつから母は、無許可で部屋に入って来なくなるんだろう。
「あたえくん来てるわよ」
嘘だろう。そう思いながらゆっくり起き上がり、ドアを開けた。ほんとうに目の前にあたえがいた。
あたえはぼくの顔を見て黙っていた。
母はそのまま下に降りた。
「ごめん、なんか、どんな顔したらいいのかわかんなくって」
「別に、いいよ。あー、早かったな。もうちょっと無視されるかと思ってた」
あたえは口元だけあげたが、全然笑ってなかった。
「入れよ」
ぼくはドアを開けて彼を招き入れた。
「寝癖すごいけど」
「ああ、きのうの晩からずっと寝てた」
ぼくはドアを閉め、鍵をかけた。いつも無意識に鍵をかけていた。だから母が入って来なくなったんだ。
「どうして」
「なんか、眠かったから」
あたえはじぶんの家のように腰かけた。ぼくは制服のままで、ズボンがすっかり皺になっていた。そのままズボンを脱いで、替えのものに着替えた。それから、あたえの隣に座った。見つめ合ったわけでも、ことばを交わすわけでもなく首の角度を変え、キスをした。外で子どもがはしゃぐ声が聞こえる。ここからでしかひとつにならない方法を知らないから、焦燥からついばみあった。あたえのほうから唇を離し、ぼくの体に寄りかかった。
それからぼくらは黙って横に寝転んだ。触ってほしいと思いながら、言わなかった。たぶんあたえはそんな気分じゃないと察した。
「やっぱり落ち着くなぁ」
そう言って指を絡めてきてぼくは動けなくなった。深く息をし、寝息を立て始めた。ぼくらはそれから夜まで眠った。
食欲があまりないんですと言いながらあたえは盛られた分のカレーをしっかりと食べていた。あたえと話しているとき、両親はずっと嬉しそうだった。ぼくが、あたえのことをただの友人以上に思っていると知ったらどう思うんだろう。ぼくは、ずっとこういう風にしていくんだろうか。
あたえが先に風呂に入り、ぼくが後に入った。
いつも通り少しだけ課題をやって、それから眠る。二枚敷かれている布団に、ずっと前から一枚だけしか使わなくなっていた。去年よりも狭く思う。だけど、あっちに寝ろよとは言えなかった。少しずつ暑くなってきたけれど、近づいてあたえの体温を感じるのは不快ではない。この布団のなかはひとつの完結された世界だ。
「もうすぐ夏休みだね」
「あぁ」
きょねんの夏は初めて夏祭りに行った。日中はあたえがウチに来て宿題を少しずつ進めていったので早く終わった。時間のあるときはいろんな場所へ電車で行って降りてただひたすら色んなところを歩き回った。そういえば、不思議なくらい、あたえもぼくも日焼けをしなかった。
あたえの息が二の腕にかかる。
「今年もどっか行こうよ」
ぼくがそう言うとそうだねと小さく返した。
「宝良」
「ん?」
「なんでもない」
あたえは起き上がってぼくの唇に唇を重ねた。胸に頭をのせ、ぼくの体をひとつひとつ確認するように触る。
「ぼくは、はじめてじゃなかったんだ」
「え?」
「キスとか。宝良がはじめてじゃなかった」
その気持ちはショックとかそんな簡単に言い表せることではなかった。
「母親は言ってたよ。わたしはセックスがしたくてたまらないって。生んだのはぼくだけだけど、何回か妊娠したらしい。でももう子どもができなくなったんだって」
あたえの指が胸を這っている。その動きを何かの虫のように感じた。
「でもぼくもそうなの。ほんとは。ずっと殺してる。女は好きになりたくなかった。だからね、中学のとき、ぼくに興味ありそうな男に宝良にしたみたいにしたの」
あたえは虚ろな目でぼくの顔を見た。
「汚いでしょう、ぼく」
ぼくは黙っていた。
「汚物のぼくが、宝物のきみを好きになっていいはずないって思うのに」
ぼくは、あたえの頭を撫でた。
「あたえは汚物じゃないよ」
「でも、ぼくは、まともじゃない」
だんだんと声に涙が混ざっていった。
「きみのぜんぶがほしくて、めちゃくちゃにしてやりたいって思うとき、やっぱりぼくも母の子だと思う」
「違うよ」
あたえが小さく「え」と言った。
「ぼくだって、きみのことが欲しいし、めちゃくちゃにしたいって思うよ」
ぼくはゆっくり起き上がった。
この日が来るのをぼくも待っていたのかもしれない。だけど、まだためらいがあった。
「誰かとしたことあるの?」
あたえは何度も首を横に振った。
「ない。それだけはどうしてもしなかった」
「なんで?」
「まだ、そういうことしたいっていうひとに会ってなかったから」
ぼくはどうかなんて問わず、キスをした。キスをしながら、あたえの服を脱がせ、あたえもぼくの服を脱がせた。お互い真っ白な肌をしていて、痩せていた。肩や胸にもキスをしあった。あたえの乳首は茶色がかったぼくのとちがって、きれいな桃色をしていた。構わずそれを舐めて、吸った。
あたえは腿や手で、ぼくの性器を弄る。服を着たまま触れ合うのと、裸になって皮膚と皮膚を触れ合わせるのでは、快感の深度が違う。あたえはぼくのズボンと下着を一気におろし、くわえると、変な声を漏らしてしまった。
生暖かく、柔らかい感触がして、すぐにでも出てしまいそうだった。睾丸を指で触り、口の中で前後させた。
ぼくのものを口からだし、あたえは指に唾液を垂らして、じぶんの穴に入れた。
その様子を見ながら、ほんとうに、ぼくはあたえのことが何も知らないんだということを痛感せざるを得なかった。
「何やってんだよ」
「ひとりでは、したことあるの」
あたえは喘ぎながらじぶんでじぶんの体を刺激し、腰をくねらせた。それを見ながらぼくは我慢の限界がきそうだった。
「入れて」
あたえがぼくの手を引き、本来の使い方を間違った場所にぼくは入れた。あたえが深い息を漏らし、いろんな要求をしてくる。
「腰、動かして」
気持ちいいとか、そういうことばで言い表せないくらい、頭のなかは沸騰寸前だったし、体温も異常に上昇していった。ぼくの体を受け止めるあたえは、とんでもなく愛しかった。こんな痛めつけるようなことに何の価値があると思いながら、性器をただ弄られて射精するよりもずっと精神的満足感があった。
でも、ぼくらはもともとひとつだったから、こうするのが正解なのかもしれない。
「宝良」
存在を確かめるように、あたえが名を叫んだ。
「きょうのこと、忘れないでね」
頷くのが精いっぱいだった。
「いつもは忘れてほしかったし、忘れたかったの。だけどきみとキスをするたび、きみの体に触れるたびぼくはきみがほしくてたまらなくなった」
ぼくは腰を前後させながらあたえの左指にひとつひとつキスをしていった。
「きみが、ほかの誰かとするときも、ぼくのことを必ず思い出してね」
あたえの目は、涙で潤っていて、弱い星輝きのようだった。
「しないよ。誰とも」
愛している。何百回も胸の内に溜めながら一度もそう言ったことはなかった。最初から、ぼくらはいつか過去になり、あたえも過去の中で生き続ける存在になる。そう思ってしまうことを否定できなかった。悲しいくらい未来を夢見ることができなかった。将来、一緒にいるのかなとか、どんな仕事してるのかなとか。この関係を続けながら、ほかの誰かとこういうことをしたりするんだろうかとか、そんな浅はかなことも考えるようになった。ぼくはまだ何も知らないから、うかつに一生の誓いも、ここでできない。だけど言ってみたかった。言えばほんとになる気がしたから。
ほんとは、ぼくもずっと変わりたくないよ。
いまを永久保存する方法があれば宇宙まで探しに行ったよ。――でも多分それも、いまのぼくの夢でしかないな。
「ごめん、もう、出る」
ぼくはあたえの体から離れて手の中に静かに射精した。性器が急に外気に触れると、こころのなかに寂しさが降りてくる。
あたえは「ちょうだい」と言い、手についたそれをあたえは少し舐めて、そのまま、じぶんの性器を両手で擦り、しばらくすると、射精した。
「混ざったよ」
いつもと同じことを言う。あたえはずっとひとつになりたかったのかもしれない。
手を拭き取り、あたえにパジャマを着せた。洗面所に行かせ、ぼくもパジャマを着た。
仰向けになって、天井を見ていた。終わった。何かがひとつ、確実に終わった。
あたえが戻ってきて、ぼくの唇に舌をねじ込んできた。また体が火照る。あたえの舌からは少し、歯磨き粉の味がした。
あたえが布団にもぐり、体を寄せあい、ひとつの生命体であるようなふりをした。
「なんで生きてるんだろうって、よく考えるの。ぼくは、親に望まれて生まれてきたわけじゃないのに。それでも生まれたのにはなんか意味があるんじゃないかなって」
ぼくが同じ立場ならそんな前向きなことを考えられない。
「答えは出た?」
「ううんまだ」
「そうか」
身長が伸びない代わりに、あたえは髪が少し伸びた。入学式のときは、髪型もほとんど同じだったのに、いつまでも垢抜けないぼくとの差が広がっていく。ぼくの背はもう少しだけ伸びればいい。ずっとあたえより少し高いままでいたかった。
「きみと出逢うまで、ぼくは、誰に対しても何も思わなかった」
誰に対して何も思っていなかったというのはあたえに会って浮き彫りになったことだった。
「そうなの?」
「ひとが嫌いだったわけでも嫌われていたわけでもない。でも、きみに、出逢って、いつも楽しい」
真剣にまっすぐ、あたえはぼくを見ていた。
「だからあたえ、きみは、ぼくを救うために生まれてきたんだよ」
じぶんで言って照れくさくて笑った。
「でもそんな理由じゃあ、不足だよね」
あたえは首を振り、笑った。
「十分すぎるよ」
この想いもいつか、終わっていくと思いながら唇を重ね、ぼくはあたえの胸に両手をおいた。鼓動が次第に早くなっていく。このとき確かに、ぼくらは、愛し合っていたんだ、とか、そんなことを忘れてしまったら取り出せるように体で覚えておくんだ。
あしたのことはよくわからない。だからこれからのこともよくわからない。いま、ぼくはあたえが好きだ。この好きという感情だけで生きていくのは脆すぎるけれどぼくはいま、あたえが好きだ。
あたえを“思い出の存在”になんてしたくなかった。
「きみが飽きるまで一緒にいて」
ぼくはこんな風な言い方でしか、お願できなかった。
「ずっと一緒にいてよ。来世も一緒にいて」
あたえはそう言い直し、もう一度、キスをした。
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