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小学校のときも、中学校のときも、いわゆる「気の合う」友だちというものがいなかった。ぼくは趣味を持たないから、その「気」というのを判断するにはじぶんの嗅覚から「似たもの」を嗅ぎ分けるか、頭のてっぺんで感じる「波長」というものを感じ取るほかない。だいたいの人間と話していて耳鳴りがした。みんなよく笑う。クラスを牛耳っているやつも、誰かにいじられているやつも、地味なやつも、男も女もみんなよく笑う。なにがそんなにおかしいんだ。みんなの螺子が何本か抜けているのか、ぼくの螺子が固く締められてるのかまるで判断できなかった。ひととそれなりに話すことはできた。相手の気分を害さないようなことば、表情をつくり、当たり障りのないことを言えば誰にも嫌われない。そんなとき、表情筋が軽くつった。筋肉痛になるほど愛想笑いしていた。もしかするとほかのやつらも同じで誰もこころから笑ってなどいないのかもしれない。
高校は、私立の男子高に進学することにした。学校名がなんとなく気に入ったのと、塾の先生に「宮嶋なら行ける」と勧められたから。それ以外に理由はなかった。
駅から川沿いにまっすぐ十分ほど歩いたところにあるいわゆる「自然に囲まれた閑静な高校」だった。学校の前に一軒コンビニエンスストアがあり、ところどころに民家があるくらいで、いろんな意味で勉強する環境としては問題がないところだった。ちょうど、入学式の頃は桜が散り始める頃で、校門のところに一際目立つ桜があり、昼間だというのに、厭な気というか、何かを犠牲にしつつ、堂々と咲いている、そんな趣きがあった。校門とその樹をバックに、何人かの温室育ちそうなやつらが親にカメラを向けられていた。ぼくの両親は「もう宝良も高校生だからいつまでも親がついていては」と言い訳し、入学式についてこなかった。周りを見渡せば割と親が同伴しているやつらが多かった。厭な気のする桜を通り過ぎようとすると、その樹の下で立ち止まったまま動かない生徒がいた。ぼくと同じくらいの身長で、髪型も似ていた。凝視していると振り向いた。知っている顔。いや、知らない。はじめて見る顔なのに親しみ、というよりも見慣れた、見飽きた目。――鏡の中で見るぼくだ。ただひとつ大きく違うことがあって、ぼくの目は一重瞼だが、彼の目は三重で、重たそうだった。似ているはずがないのに、とても似ていると感じた。
相手は警戒心を持ちつつ、無関心を装った硝子のような目をしていた。
完全に見ていたのに、偶然目に入っただけだとこころの中でつぶやきながら昇降口へ向かった。制服の採寸のときには見かけなかった。もし見ていたら覚えているはずだ。
一年C組の下駄箱にはくすみのない真っ白な紙に「宮嶋」と名字が印字されていた。手提げの中から試着のときに一度だけ履いた上履きを取り出した。足の親指の骨が当たった。いつか、この靴にも慣れるだろう。深く、息を吸った。
喋っている二人組を二つを除いて、ほかの生徒たちは皆、黙って黒板に書かれたじぶんの席に座り、空気と一体化しながら、何かを探っていた。自己紹介があるだろうから、それより前に誰かに話しかけるのはよそうと決めていたので、焦りはなかった。出遅れて孤立するかもしれないがそれもやむを得ない。すっかりもうあらゆる出来事に「期待」というものをしていなかった。そういえば、あいつは、どこのクラスなんだろう。そう思った瞬間、教室の入り口から影のように入ってきた。また、目が合い、すぐにそらした。彼は黒板を一瞥し、じぶんの席を把握したらしくゆっくりと歩く。ぼくの、隣だった。もう一度彼は黒板をみた。
「みやじま」
彼は黒板を見て丁寧に発音した。
ぼくも黒板を見る。羽野と書いてある。
「はの」
ぼくが同じようにいうと、彼は満足げな顔をして、前を向いた。似てない。似てないと思う。だけど、なんか、近い。
彼の鞄には「亜多英」と書いてあった。
「あたえ?」
彼はそう、と短く言い、
「よく読めたね」
と教師が生徒を褒めるような真似をした。
顔の子どもっぽさ、体の細さから亜多英という漢字は重いから「あたえ」という感じがした。
「たから?」
今度は彼が、ぼくの名札を見ていう。
「そう」
「ふうん。宝良。きみは、宝物なんだね」
鼻の形、唇。それも、なんだか似ている。だけど、バランスが、ぼくよりもあたえのほうがいい気がした。ぼくが失敗作で、彼が成功品だ。神様はあたえをつくろうとしてぼくができてしまったんだ。きっと、ぼくの瞼の線を一本、あたえが持って行ってしまった。
「誕生日はいつ?」
ぼくがそう訊いた。
「四月十二日」
「なんだ」
「え?」
「てっきり、同じ日なのかと思った」
あたえは、数秒ぼくを見て、笑った。
「変な人だね。宝良。きみは四月十二日じゃないのか?」
「残念、十二月八日だ」
急に腹の底からおかしさがあがってきて、声を出して笑うとあたえも笑った。ぼくらをほかの生徒たちの視線がぼくらに集中して、笑いを堪えた。
ほかの生徒から見たら、ぼくらは奇妙なやりとりをしていただろう。でもぼくにとってはじめての経験だった。こんな風に出会ったばかりのひととこんな風に笑いあうことなどなかったから。
退屈な入学式を終え、当たり前のようにぼくらは一緒に帰り道を共にした。さっきひとりで歩いたところをもう既に誰かと一緒にいるなんて駅を降りたときは思いもしなかった。
土手でサッカーをしている子どもやキャッチボールをしている親子を見ながら駅に向かい、四つしかない改札を通って、電工芸地盤の前で止まった。
「のぼり? くだり?」
「のぼりだよ」
「じゃあ一緒だ」
ぼくらは同じ一番線のホームから出る電車に乗った。電車は少し混雑していて、いつものガソリン臭さに交じっていろんなひとの匂いがする。
「どこで降りる?」
ぼくがそう訊ねるとあたえはつり革を掴み、体を揺らしていた。
「三つ目」
「ぼくはその前なんだ」
「近いね」
そんな近いところにあたえの存在があったなんてなかなか実感の沸かないことだ。
淡々と電車は停車駅で人々を乗り降りさせ、ぼくの家の最寄駅に停まる。
「じゃあ」
ぼくがそう言うと、あたえは薄く笑みをつくった。
「バイバイ」
ホームに降りて、扉が閉まるのを見ていた。
淡泊な言葉で別れた割には名残惜しかった。あしたまた会えるのに、しばらく会えないような気持ちになる。ホームを通り、歩いて十分の家に辿りつく。
家の中に入ると、母がおかえりと顔を出した。
「入学式どうだった?」
「まぁまぁかな」
ぼくはそのまま階段をあがり、自室に入って、折りたたんでいる布団を広げ、仰向けになり、枕に顔を埋めた。
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