シーアネモネ
霜月ミツカ
1
きみの瞳を見ているとき、ぼくのこころは波打つことをやめる。鏡の中のなかのじぶんを見ているような、そんな気持ちになるから。だけどきみがぼくの名を呼ぶと、ぼくの心臓は高く跳ねる。骨格が似ていると声も似てくるらしいが、きみの声はぼくよりも少し子供っぽくて声変わり前の名残がある。ほかの誰がぼくの名を呼ぶよりも甘く、柔らかい耳触りがある。それはきみの滑舌のせいか、この世界の誰よりもぼくがきみのことを大事に思っているからか、一体どちらなんだろう。
ドアに鍵をかけ、二枚敷かれた布団のうち、一枚にふたりで入る。週末、あたえはぼくの家に泊まりに来ることが多い。ぼくの両親はあたえのことを非常に気に入っていて、彼が来ることに拒否反応を示すことはまるでなく、むしろ歓迎されている。単純にひとり息子のぼくに友だちがいるのが嬉しいのか、やはり両親もあたえがぼくに少し似ていて、双子の片割れがいるように感じているのかもしれない。
布団に入ってしばらくは天井を見ている。暗闇でも目が慣れてくると天井の線を認識することができる。頬に視線を感じ、その方を見るとあたえの唇がすぐ傍にある。
「先週のこと、もう忘れた?」
「ああ、忘れた」
「嘘だ。忘れたふりをしているだけだね」
そうだな、ぼくは呟いて、少しだけあたえから離れる。そうするとこんどはあたえのほうからぼくの手首を掴んで、唇を強く締めた。寂しさがぼくの胸を叩く音がした。
なにかひとつ零れたよね。
言おうとしてやめた。だけどきっと同じことを思っているはずだ。暗闇だから余計に眼球が潤って、光って見える。ぼくらの関係の間には寂しさが挟まっていて、それを紛らわせるために手を繋いでいる気がした。
繋いだ手の指の骨は、手に少し痛い。きのうよりきょう、きょうよりあした、ぼくらは少しずつ新しくなっていく。ぼくの思うようにあたえがそのままでいてくれるのかはわからない。成長期の愛は手探り。こちらの気持ちが変わらなくても相手の気持ちが変わってしまうことも恐い。
目を閉じて、しばらくして目を開ける。隣を見ると眠たそうな目であたえがぼくのことを見ていた。
「寝ろよ」
そう言うと笑った。
「宝良が寝たら寝るよ」
それから数秒経ってたぶんね、とつけくわえた。
感情が温度を伴い、体温をあげた。幸福というのは柔らかく、凡そ三十八度くらい。体温より少し高い。
あたえの名は亜多英と書く。こんな名にしたあたえの母親は、多くのものを彼からあたえてほしかったのだろう。
ひらがなにしたほうが美しいから、彼の名を呼ぶとき、頭の中で「あたえ」の三文字を頭に浮かべる。
あたえと出逢うまでぼくは友情も愛情も知らなかった。
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