第78話 応援してるからね

 寒い冬を越え、今年も蝶が舞い春風がそよぐ季節がやってきた。

 無事に冬を乗り切った苗木たちは、身体に貫禄が付いてきたように見えた。成長著しいのはケンで、すでに人間の首位の高さまで成長していた。その後は、身長順にヤット、ミルク、ナナ、キキ、そしてキングの順という所であろうか?

 キングはなかなか大きく伸びないが、それでも去年の今頃に比べたら、随分体つきが良くなっているように感じた。


 夕方近くになり、今日も学校を終えた子ども達が楽しそうに話をしながら公園を通り過ぎて行った。そこには、いつものようにうつむき加減で歩く剛介の姿があった。

 今日もランドセルを背負ったまま、真っすぐキングの所にやってきた。


「元気かい?僕は今日も元気に学校に行けたよ」


 そう言うと、キングの枝をそっと撫でた。

 剛介はいつものように座り込んで、まるでキングと目線を合わせるかのようにじっと全身を見つめ、キングの枝を優しく撫でていた。


「ねえ、今日もキングは元気なの?」


 剛介の後ろから、ランドセルを背負った少女が声を掛けた。


「ああ、あいなちゃんか。うん、大丈夫だよ」

「剛介、いつも学校帰りにキングに声を掛けて帰るよね」

「だって、キングは……何というか、僕みたいな感じがするんだ」

「キングが、剛介?」

「他の木がぐんぐん大きくなってるのに、なかなか身体が大きくならなくて、

 少しの風でも体が折れそうになるし。ひょっとしたら僕みたいにいじめられてるんじゃないかって、心配になっちゃって」


 すると、あいなは突然笑い出した。


「木にもいじめなんてあるわけないじゃん。考えすぎだよ、剛介は」

「でもさ、どことなくいじめられっ子みたいに見えるんだよな。あいなちゃんは何も感じないの?」

「さあ、そこまでは感じないかな。というか、この木にキングって名前つけたの、私なんだけど、この木は絶対強い木になるって感じたから」

「強い木に?どうして?」

「それは……何となく、そんな予感がしたからかな?」

「じゃあ、僕は、キングのように強くなれると思う?」


 あいなは、剛介の目を見つめると、いたずらっぽく笑いながら答えた。


「剛介はいつかは強くなれるよ。私は剛介のこと、誰よりも信じてるし、応援してるから」

「あいなちゃん……」

「あ、そろそろ塾に行く時間だから、じゃあね]


 あいなは手を振って、マンションの玄関へと駆け込んでいった。

 しばらくの間、剛介は気が抜けたような表情であいなの背中を見送っていた。

 その姿を見て、苗木たちは噂話で盛り上がりだした。


『ねえ、あいなちゃん、何となく剛介君のこと好きなのかな』


『どうなのかな?でも、あいなちゃんは剛介に気をかけてるのは分かるな。彼女の本心が知りたいよな』


★★★★


 その晩、剛介はいつものように隆也と一緒に剣道の練習をしていた。練習が終わり、水筒の水を飲む剛介の元に。隆也は何やら一枚のチラシを持って近づいてきた。


「なあ剛介、お前にぜひ挑戦してもらいたいことがあるんだ」

「挑戦?」

「これだよ。昔、俺やシュウが通ってた道場の先生から、少年剣道大会があるから、よかったら剛介も出てみないかって誘われたんだよ」


 そう言うと、隆也は一枚のチラシを剛介に手渡した。剛介はチラシに目を配ると、目を丸々とさせて仰天していた。


「ねえおじさん、僕……まだ無理だよ。出たら負けるのが目に見えるもん」


 すると隆也は、腰に手を当てながら剛介を睨むと、唸るような声で一喝した。


「確かに、大会に出るのは道場とかで練習している上手い子が多いかもしれない。でも、こういう所を目指して練習することで、もっと強くなれるんだ。たとえ負けたとしても、やりきったことは自信になるんだ」

「負けるために試合にでるなら、出ない方がいいもん」

「負けるため?というか、何で最初から負けると思ってるんだ?勝つと思って練習するんだよ。試合に出る子達は、みんな最初から負けるだなんて思ってないよ」

「でも、こんな小さくて気が弱くて、道場に通ってるわけでもない僕が……」

「いいから出てみろ!負けた後のことなんて、試合が終わってから考えたらいいんだ。明日から、もっと気合入れて練習するぞ、いいな?」


 隆也は剛介の言葉をさえぎり、竹刀を剛介の胸元に突きつけた。


「わ、わかったよ。でも……知らないよ。僕、勝てるなんて思えないよ」


 そう言うと、剛介は隆也に背中を向け、暗い表情でうつむきながら自宅へと帰って行った。苗木たちからは、剛介の様子を見て心配する声が相次いだ。


『ええ?剛介、試合に出るつもりなのか?たとえ隆也からの命令とはいえ、徹底的に突っぱねればいいのに』


『いや、あの子が隆也相手に突っぱねるのは難しいよ。とにかくこれから、試合に向けて練習するしかないよな』


 翌日から、隆也の剣道の指導が俄然厳しくなった。

 素振りの回数も増え、僕たちを練習台にした面打ち以外にも、試合で使う面をかぶり、剛介と隆也が竹刀で打ちあう練習も始めた。少しでも剛介がへばると、隆也は容赦なく怒号を浴びせた。


「どうした、これで終わりじゃねえぞ。さ、立てよ」

「だって、もう疲れたもん」

「お前の試合の相手は今頃もっと練習してるぞ。だから剛介ももっと練習しないとだめだ!さ、もう一度行くぞ!」


 剛介はふらつきながら、再び立ち上がると、唇をかみしめながら竹刀を構えた。

 隆也が竹刀を振り上げた隙を狙ったかのように、剛介の竹刀が隆也の面を直撃した。


「そうだ、その調子だ!やればできるじゃねえか」


 隆也は親指を出して高笑いした。

 剛介はふらつきつつも、隆也の笑顔を見ているうちに元気になったのか、少しだけ笑顔を見せてくれた。


 その後も、隆介の容赦ない特訓の日々が続いた。僕とケビンも毎日面打ちの練習台になり、何度も竹刀で叩かれて身体中に痛みが残るけれど、剛介が試合で納得いく結果を出すことを信じて、歯を食いしばって耐え続けた。

 最近この時間帯になると、マンションの高層階の辺りから、誰かが窓を開けて剛介の稽古の様子をじっと見ているのが、僕の視線に入って来た。しかしこの場所からは顔が良く見えず、どこの誰なのかきちんと判別がつかなかった。


 一か月後、剛介は道着をまとい、竹刀の入った大きなカバンを持って公園の中に入ってきた。時を同じくして、隆也も自宅から姿を現した。


「おう、気合入ってんな。さ、今日は今までの成果をちゃんと見せにいくぞ!決して負けると思うな。勝つつもりでな」

「うん。毎日あんなに練習したんだもん、大丈夫だよ」


 剛介の言葉には、いつになく自信が溢れていた。ここまで僕たちも彼の練習を見届けて来たけれど、あれだけ厳しい練習によく耐えてきたと感心していた。

 その時突然、息を切らしながらあいながマンションから姿を現し、二人の後ろを追いかけてきた。


「ちょっと待って!」

「あ、あいなちゃん?」


 あいなは剛介を呼び止めると、小さな袋を剛介に手渡した。


「今日は剣道の試合なんでしょ?」

「な、何で知ってんだよ?」

「剛介のお母さんに聞いたもん。最近、剛介が夜中まで公園で剣道の練習してるから、何かあるのかなあって心配になってね」

「練習してるところ、見てたの?」

「うん……窓の外から、ね」

「よ、余計な心配なんてしなくていいよ。こんな僕のことなんか」


 すると、あいなはポケットをまさぐり、小さな白い台形の袋を取り出すと、剛介の手に収めた。


「なにこれ?」

「お守りだよ。昨日、近くの神社でお祈りしてきた時に買ったんだ。試合の間、身に着けておいて」

「お祈りって、どうして?」

「だって、剛介には試合に勝ってほしいから」

「……あいなちゃん」

「さ、行ってきて!ずっと応援してるからね。私、剛介はきっと勝てると思ってるから」


 そう言うと、あいなは手をふって再び駆け足でマンションへと戻っていった。


「なんだ剛介、あの子は?お前のコレか?」


 隆也はにやけながら、右手の小指を立てた。


「ち、違うよ!何言ってるんだよ!」


 剛介は隆也の背中を思い切り叩くと、ふくれっ面のまま隆也を置き去りにするかのように早足で進み始めた。


『わお、あいなちゃん。やっぱり剛介のこと……』


 これから剛介が試合に行こうとしているのに、苗木たちがあいなの話題で盛り上がっていたその時、キングが小さな声で何かをつぶやいているのが僕たちの耳に入って来た。


『剛介、ファイト……負けるな、剛介』


 キングは、全身から絞り出すかのように声を出し、剛介へのエールを送っていた。

 僕は必死に声を出そうとするキングの姿を、心から愛おしく思った。


『大丈夫だよキング、剛介はきっと、やってくれるよ。キングのため、いや、支えてくれたみんなのためにね』

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