第77話 いつか強くなれる日まで
冬晴れの午後、僕たちの木々に付いていた葉は全て落ちて、枝がむき出しになって寒さに震える日々が続いていた。
小さな苗木たちには、この寒さと強い北風は僕たち以上に身体に堪えているに違いない。時々聞こえてくる『寒いよう』という悲痛な声に耳を塞ぎたくなったが、この寒さに耐えぬいてこそ強い木になれる、というのが僕の実感である。
『大丈夫だ、いつかきっと春はやってくる。それを信じてひたすら耐えるしかないんだ』
僕は時々彼らに声を掛け、一緒にこの寒さを耐え抜いていこうと励ました。
太陽が西に傾き始めた頃、寒さに震えながら、公園の中を下校中の小学生たちが早く家に帰ろうと早足で通り過ぎようとしていた。もちろん、元気が取りえの彼らゆえ、大声でおしゃべりしたり、突然悲鳴をあげたりで、どんなに寒くてもとても賑やかであった。そんな中、うつむいたままとぼとぼと歩く男の子の姿があった。
『あのうつむいてる子、剛介かな。今日もいじめられたのかな?』
ケビンは、剛介の姿をいたたまれない様子で眺めていた。
『本当だ、剛介だね。頬や額に傷が出来てるね。またいじめられたのかな?』
僕はうつむき加減の剛介の顔をじっと見つめると、顔のあちこちに傷ができているのを確認した。隆也の指導を受けながらほぼ毎日僕たちを練習台に剣道の練習をして、少しは強さを身に着けたのかな?と思っていたが、そんなに簡単には行かないようであった。
剛介は、いつものようにキングの前で歩みを止めると、ゆっくりとしゃがみこみ、その姿をじっくり見つめながら話しかけた。
「お前、今日は元気だったか?寒いし、また風が強くなってきたな。僕はまだまだ弱いけど、いつの日かどこの誰よりも強くなりたいと思ってるんだ」
『傷……痛くないの?すごく痛そうだよ』
キングは、剛介の顔を見て驚き、小さな声で剛介を気遣っていた。
「僕、もっと強くなりたい。だから毎日、剣道をがんばって練習してきたんだ。でも、なかなか強くなれなくて。いじめてる奴らの方がもっと強いんだよね。どうしたら、あいつらに勝てる位強くなれるんだろう?」
そう言うと、剛介は傷を押さえながら涙を流した。
「もう、こんな痛い思い、悔しい思いをするのは嫌だよ」
剛介は立ち上がると、泣きじゃくりながらマンションへと歩き去っていった。
その背中は、いつになく惨めさを感じた。
『ねえルークさん、どうやったらいじめっ子に勝てるんだろ?』
ヤットが心配そうな様子で僕に質問してきた。
『俺たちでやっつけてやりたいよな。でも、何もできないのが悔しいよね』
ケンは憤慨しながらも、やり場の無い怒りをどこにぶつけていいか分からない様子だった。
『みんなの気持ちは痛い程分かる。でも、あの子が強くなるにはあの子が努力するしか方法が無い。それは、僕たちが立派なケヤキになるために、この底冷えするほどの寒さや吹き飛ばされそうな北風に耐え続けるのと同じさ』
『そんな。それしか方法がないの?』
『ないよ』
僕はキラからの問いかけにほんの一言、そう答えた。
日が暮れかかり、人通りもほとんど無くなった頃、隆也が玄関から竹刀を片手に姿を見せた。こないだ強風の日に苗木たちを守ろうとして風邪をひき、しばらくの間寝込んでいたものの、今は元気になり、再び竹刀を片手に剛介の指導に励んでいた。
「あれ、今日は剛介の姿が無いな。どうしたんだ、毎日練習しないと上達しないのに」
隆也はいつまでも姿を見せない剛介のことを心配した。しかし、いくら待ち続けても、剛介は姿を見せることが無かった。
「今日は特に寒いから、風邪ひかせちゃまずいって親御さんが止めてるのかな?」
隆也は体中をこすりながら暖を取って待ち続けていたが、辺りを暗闇が包み込み始めると、さすがにあきらめた様子で、背中を丸めて自宅へ帰って行った。
その後も剛介は公園に姿を見せることなく、夜は更けていった。
翌日も、その次の日も、剛介は学校帰りに公園を通り抜けていくものの、その後竹刀を持ってこの公園で練習することは無かった。
「一体どうしたんだ?剛介はもう剣道やるのが嫌になったのか?」
来る日も来る日も肩透かしを食らい続ける隆也は、全く姿を見せない剛介に苛立ちを感じ始めていた。
そしてその次の日も剛介は姿を見せず、隆也もついに堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろ!もうこれ以上できないのなら、ちゃんと俺に一言言うべきだろう?こんな寒い中、毎日ずっとここで待たせるなんて非常識だぞ」
そう言い放つと、隆也は竹刀を地面に叩きつけ、そのままぶつぶつと文句を言いながら自宅へと戻っていった。
姿を見せなくなってから一週間が経ち、ようやく剛介が僕たちの前に姿を見せた。しかし、その手にはいつも握りしめている竹刀が無かった。
しばらくすると、隆也がポケットに手を突っ込みながら、剛介の前へと近づいてきた。
「おう、今までどこに行ってたんだよ。しかも今日は何で竹刀を持ってきてねえんだ?」
「実は僕、もう剣道を辞めようかと思って……」
「何だと?」
「剣道を、辞めたいんだ。何度練習しても、上手くならないし、強くなれないから」
「バカ言うなよ。この俺だって、上手くなったのは始めてから何年も経ってからだぞ。息子のシュウだってそうだ。剛介が練習始めてから、まだ一年も経ってねえだろ?」
「でも、僕は今すぐ強くなりたい。もう、これ以上いじめっ子にいじめられたくないんだ。素振りしても、木を相手に練習を続けても、今すぐ強くなれないんだもん」
「バカか、お前は」
「ば、バカって。おじさんだろ?僕の気持ちも分からないで」
「分からない?分かってるから諦めずに練習しろって言ってんだよ」
「練習を続けたら、いつ強くなれるの?来年?再来年?そんなの僕は待てないよ」
「いい加減にしろ!馬鹿野郎!」
隆也は、剛介の横っ面を引っぱたいた。
剛介は頬を押さえると、公園中に響く位の声を張り上げ、泣き出した。
「いじめられるのが嫌だから、今すぐ強くなりたい?ならば、練習するしかねえんだよ。毎日の辛い練習に耐えて、剣道の技だけじゃなく、心も体も強くなるんだよ」
「でも、でも……そこまで待ってたら、僕の身が持たないもん……いじめっ子は僕が強くなるまで待ってくれないんだよ」
「じゃあ、お前をいじめる奴らをここに連れて来い!俺が相手してやる」
「え?」
「ばーか、俺はお前に剣道を教えるだけで他は何もしないとでも思ったのかよ」
そう言うと、隆也は剛介の前にしゃがみこみ、真下から剛介の肩に手を当てて、じっと目を見つめた。
「何かあったら俺を頼れ。もうこんな老いぼれで、体力もねえけど、お前を守るために、何でもするから。俺はすぐそこの家にいるから、いつでも声を掛けろ」
「うん……おじさん、ありがとう」
剛介は涙を拭いながら頷くと、隆也は笑いながら剛介の髪を何度も乱暴に撫であげた。
「ただ、勘違いはするなよ。仮に俺がお前を助けても、相手に対し勝ち誇るようなことは絶対にするな。本当に勝ち誇れるのは、お前が自分の力でいじめっ子達に勝った時だ」
剛介はちょっぴり気落ちした様子だが、隆也の言った言葉が少しは理解したのか、頷くと、隆也の顔を見つめながら力強い声で返答した。
「うん……わかったよ。心も体も本当に強くなれる日まで、まだまだ、もっともっと練習しないとね!」
「そうだ。さ、今日からまた練習するぞ。しばらくサボってたから、取り返すためにもいつも以上に気合いれてやるから、覚悟しろよ」
剛介は隆也の脅しにたじろぎつつも、大きく頷くと、駆け足で自宅へと走っていった。
『へえ。隆也、たまにはいいこと言うよね』
ケビンは隆也の言葉を聞き、思わず感嘆した。
『隆也自身も幼い頃にいじめられた経験があって、その経験があるからこそ、強くなるために毎日剣道の練習を続けていたんだって、こないだ話してたよね。剛介を見て、自分の幼い頃を思い出さずにいられなかったんだろうね』
『そうか、剛介、早く強くなれるといいね』
『なれるよ。心も体も、きっと強くなれる。ただ、隆也やシュウよりはヘタレだから、時間はかかるかもしれないけど……ね』
その時、剛介が白い息を吐きながら、小走りで竹刀を持って公園の中に駆け込んできた。いよいよ今日から剣道の練習が再開されるようである。
「さ、まずは面打ちからだ。お前はそっちの木で、俺はこの木を相手に練習するぞ」
「はい!」
え?いきなり面打ちの練習から?
驚く間もなく、剛介の竹刀がケビンの、そして隆也の竹刀が僕の体を直撃した。
「メーーン!」
掛け声が響くと同時に、僕とケビンの悲鳴が公園に響き渡った。
『ルークさん、また痛さに耐える日々が始まるんだね……』
『そうだな。でも、剛介が強くなるために、僕らは耐えるしか……イテテテテ』
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