第49話 捨てたもんじゃない

 ひと冬を越え、放火により焼けただれた僕とケビンの樹皮は順調に回復していた。

 しかし、僕たちにはこれから、やけどの痛み以上に辛いことが待っている。

 気温が上がると、南の方からムクドリの大群がやってくるのだ。

 彼らは僕たちの枝という枝にとまり、耳をつんざくような大声を上げる。

 そして、木の下を通りかかった人達や、ベンチなどに大量の糞を落としていく。

 公園を管理する人達が気が付いた時に掃除してくれるが、一晩であっという間に汚くなってしまう。

 そんなある日、初老の男性とその奥さんと思しき女性が公園に入って来た。。

 男性は腕組みし、ケビンの周りをウロウロ歩いては何度もため息をついていた。

 その時、作業衣を着込んだ市の職員と思しき若い男性がやってきた。


「何でしょう?ご用件というのは?」

「見てみろよ、これ、何とかできないの?」


 男性は、苛ついた口調でケビンの真下のベンチを指さした。


「ああ……ムクドリの糞、ですか」

「そうだよ。見ろ、こんな汚れてるのにここに座って下さいってことか?お前らは平気で座れんのか?ええ?」

「いや、私もちょっと……」


 すると、女性が職員の正面に立ち、金切り声を上げた。


「私たちはいつもこの公園で散歩するのが日課なのよ。見ての通り年寄りだから、少し歩いたらちょっと休憩したいのよ。でも、こんなベンチで休憩なんかできっこないでしょ?」

「そう…ですよね。申し訳ないです」


 職員は何も反論できず、ひたすら頭を下げていた。


「私らはずっと郊外に住んでたんだけど、この公園のそばに出来たマンションは町の真ん中で利便性があると聞いて、引っ越してきたんだ。それがなんだ、このザマは」


 そう言うと、男性は両手を腰に当てて、再びため息をついた。


「とにかく、このベンチを早急にきれいにしてほしい。それから、木にたむろしているムクドリを駆除してほしい。それが出来ないというなら、この木を伐採することだな。そもそもこの木があるから、ムクドリが集まってくるわけじゃないのか?」

「そ、それはちょっと……」

「とにかく、あと1ヶ月で状況が好転しないなら、市長に直談判に行くからな。わかったか!」


 そう言うと、男性は背中を向け、マンションへと足早に歩き去っていった。

 女性も、その後を追うように帰って行った。


『ルークさん、大丈夫かなあ?ムクドリ、僕は鳴き声も糞も大分慣れたけど、ベンチの糞の汚れはどうしょうもできないよ。このまま何もできず、僕らは伐採されちゃうのかな?』


『ムクドリの駆除は、難しいんだよなあ。以前一度やってもらったことがあるけど、次の年にまた戻ってきたんだよな……ん?誰だ、あれ』


 その時僕は、公園の片隅から誰かが僕たちの方をじっと見ていることに気づいた。

 次の瞬間、人影はそそくさと僕の視線から外れ、マンションのある方向へと走り去っていった。

 あれ?あの人影の身長や体型、どこかで目にしたような……。


 夕刻を過ぎ、辺りが闇に包まれると、いつものようにムクドリたちが僕たちの枝に集まり始めた。

 彼らは甲高い声で、しかもまるで合唱するかのように声を揃えて鳴き続け、木の下に大量の糞をまき散らしていった。

 そんな中、マンションの方向から、暗闇に紛れて黒いパーカーをまとった人間が現れた。両手には凶器らしきものを持ちながら、とぼとぼとケビンの方向へと向かっていた。


 僕の記憶が正しければ、彼は以前、僕たちに放火した犯人である。


『気を付けろ、ケビン。お前の所に、こないだ放火した犯人の男が向かってるぞ!』


『え?ほ、本当なの?また僕たちに火を放つつもりなのか?』


 ケビンの声は、恐怖におののいていた。

 黒パーカーはケビンの前で止まると、片手に何か柄の長いものを持ち、ベンチに押し付けた。

 すると、手にした長い柄を何度も何度も動かし、ゴシゴシと音を立てて拭き始めた。


『あれ?』


 ケビンは、拍子抜けしたような声を上げた。

 暗闇の中で動きが良く分かりにくかったが、黒パーカーは、ベンチを掃除していたのだ。


『ルークさん、この人……掃除してるよ。ベンチの上を』


 黒パーカーは、もう片方の手にぶら下げていたものを地面に置き、そこに何度も掃除道具を浸した。

 どうやら、掃除道具だけでなく、バケツも一緒に持ち込んできたようであった。

 その後どれくらいの時間が過ぎただろうか?黒パーカーは額の汗を拭うと、バケツと掃除道具を持ち、大きなあくびをしてからトボトボとマンションへと戻っていった、


『やっと帰ったか……怖かったなあ。また何かされるんじゃないかと、内心ビクビクしていたよ』


 しかし、ケビンには意外にも怖れおののいた様子が見られなかった。


『いや、今日はあの人から、こないだのような殺気は感じられなかったよ。確かに、見た目があの時と同じだから、怖かったけど……』


 翌朝、朝陽に照らされたベンチからは、白い糞の跡がほとんどなくなっていた。

 あんなに白い跡が残り、汚らしかったベンチが、驚く程に美しくなっていた。

 しかし、夕方になると、再びムクドリの大群が僕やケビンの枝を覆いつくした。

 あんなに綺麗になったベンチは、彼らの糞であっという間に白くなってしまった。


『あーあ、やっぱり駄目か。あの人があんなに頑張って掃除したのに』


 ケビンは残念そうな声を上げたその時、黒パーカーが再び公園に姿を現した。

 そして、昨晩のように、時間をかけて丁寧にベンチを拭いていた。

 時間をかけ、何度も掃除道具を動かす音が、少し離れた所に立つ僕の耳にも聞こえてきた。

 翌日も、またその翌日も、ムクドリたちは容赦なく糞をベンチの上に降らせた。そして、夜になると黒パーカーが掃除道具を持って公園に現れ、ベンチを綺麗に掃除して帰って行った。


『ルークさん、あの人、すごいよな。毎晩、欠かさず掃除に来てるよ』


『すごいよな。僕、ほんのちょっとだけど、彼を見直したな……』


 ある晩、黒パーカーはいつものように公園に現れ、掃除道具でベンチを丁寧に拭いていた。

 そこに、ちょうど仕事帰りだった隆也が通りかかった。

 まずい、隆也はきっと僕たちに火を放った件で、黒パーカーに相当な恨みを抱いているに違いない。


「何やってんだ?こんな夜遅くに?」


 隆也がうなるように声を出すと、黒パーカーはギョッとした顔をして、掃除道具を持って、慌てて公園から立ち去ろうとした。


「どこ行くんだ?あれ?お前…どこかで見たことがあるな?」


 すると、黒パーカーは不敵な笑みを浮かべた。


「ふーん、覚えていたのか?しかし相変わらず鈍いんだね、おじさん」

「何だと!?またどこかに放火したのか、てめえ!」

「おじさん、この公園の木を放火から守ったんでしょ?そんなにこの木のことが好きなら、どうしてムクドリを追い出そうとしないの?それに、そこのベンチ、ムクドリの糞ですごく汚かったんだよ。このままだと、ムクドリをおびき寄せているこの木が悪者にされて、伐採されちまうんだぞ」

「な、何だって!」

「うちの親が市長にチクる前に、早くムクドリを追い出せよ。あ、ベンチもきちんと掃除しろよ。今までは俺がずっとやってたけどさ」


 そう言うと、黒パーカーは隆也に背を向け、足早に公園から去っていった。


「何だよ、伐採って……?悪いのはムクドリで、この木じゃないだろ?何言ってんだ、あいつは」


 隆也はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 こないだ。この場所で市の職員に僕たちを伐採すると脅していたのは、あの黒パーカーの両親だったのか……やれやれ、子が子なら、親も親だと思った。


 数日後、夕闇迫る中、市の職員と思しき作業服をまとった男性と隆也が、会話を交わしながらゆっくりと僕たちの前に近づいてきた。

 彼らは僕の手前で足を止めると、僕の身体を覆いつくす枝葉に目を見遣った。


「ごめんよ、これからちょっと強い音を出すから、驚くなよ」


 隆也がそう言うと、男性は花火を地面に据え付け、発火点にライターで火を灯した。弾丸のような鋭い玉が、火を帯びながらシュルシュルとガラスが擦れるような音を立てながら僕の方に向かってきた。


『こ、怖い!』


 やがて花火は、僕の手前で強烈な音を立てて鋭い玉がはじけ飛んだ。

 すると僕の枝に群れていたムクドリたちは、耳を突き破るほどの声で叫びながら一斉に夕空へと飛び立った。


「やった!これで少しは減ったかな?」

「いや、これだけじゃダメですね。彼らはまたここに戻ってきます。いたちごっこですから」


 案の定、ムクドリたちはしばらくすると戻ってきた。

 しかし隆也は諦めず、翌日も、またその次の日も、ムクドリたちに花火が向けて発射した。

 やがて、僕やケビンの枝に戻ってくるムクドリの数が、日を追うごとに減ってきていることに気が付いた。少しずつ、「ここは居てはいけない場所」だと学習させたのだろうか?


『すごいよルークさん、以前よりベンチが綺麗になってきている……』


『おそらく、ムクドリの数が減ってきてるんだろうな。だんだん効果が出てきたね』


□□□□


 1か月後、僕やケビンの枝に集うムクドリの数は、信じられないほど減少した。

 以前、ベンチの糞についてクレームを付けた、黒パーカーの両親である老夫婦は、ベンチを見て、あまりの綺麗さに驚きの表情を見せた。


「すごい、よくここまでやったな。ムクドリの鳴き声もほとんど聞こえなくなったし」

「へえ、やればできるじゃない。市役所も捨てたもんじゃないわね」


 ベンチを眺めながら驚嘆する老夫婦を。あの黒パーカーが公園の片隅から夫婦の様子をそっと見ていた。


「ふーん、捨てたもんじゃない、か……この俺をきちんと育てられなかった癖に、随分偉そうなこと言うじゃねえか」


 黒パーカーはそう言うとニヤリと笑い、上機嫌な様子でマンションの方へと足早に去っていった。

 親子の間に何があるのかは知らないけど、『捨てたもんじゃないのは市役所でも親でもない、ほかならぬ君だよ』と、僕は彼の背後に向かって、そっと呟いた。




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