第50話 似たもの同士

 公園を通り過ぎる風が段々冷たくなってきた頃、僕たちの枝を埋め尽くしていた葉も次第に色づき、やがて地面へと次々に落ち始めた。

 毎年のこととはいえ、青々と力強く育ってきた葉がこの時期になると次々に落ちていくのを見るのは、空しい気持ちになる。

 落ち葉が公園の地面を覆い始めた頃、スウェットスーツを着込んだ一人の男がうつむいたままとぼとぼと歩きながら、ケビンの真下にあるベンチにやってきた。

 男は猫背の姿勢で地面を見つめると、大きくため息をついた。

 何やら、深く思いつめているように感じた。


『ルークさん、あの人、隆也さんだよね?今日ってお仕事のある日だと思うんだけど、どうしたんだろう?』


 僕は、男の顔を覗き込んだ。

 目の下に深いクマを作り、生気のない表情をしていたが、その男は、紛れもなく隆也だった。


『そうだよ、隆也だよ。確かに、今日は仕事に行かないんだろうか?』


 隆也は、昼頃までずっとベンチに座ったまま、何もせず、頬杖をついたまま次々と舞い降りてくる落ち葉を見つめていた。

 昼時になり、妻の怜奈が隆也の所にやってきた。


「お父さん、ここにずっといたら風邪ひくわよ。家で休んでたら?」

「だってさ……家に居たって、テレビ見るかスマホいじる位しかやることがねえんだもん」

「じゃあ、ここの落ち葉を掃除したら?また地面いっぱいに落ちてきたから、今年はもう手を付けた方がいいかもよ。仕事を辞めたんだから、今度は時間を気にせずゆっくりやれるからいいじゃん」

「バカか。辞めたんじゃねえ、辞めさせられたんだよ」

「もう、いつまでもそんなこと気にしててもしょうがないわよ。ほら、まずはお昼食べて、その後、二人で落ち葉拾いしようよ」

「何でこの俺が……シュウの学費もまだ終わらないのに」

「だから、過ぎたことは気にしてもしょうがないわよ。シュウの学費は私の収入と学資保険で何とかなるから!さ、早くお昼たべましょ!」


 怜奈に背中を押されながら、隆也はうなだれたままベンチから立ち上がり、歩き始めた。

 どうやら隆也は、何らかの理由で仕事を辞めた、いや、辞めさせられたようである。

 情熱家で、自分の仕事に誇りを持って取り組んできた隆也にとって、辞めさせられたことで自尊心が傷つけられたことは、僕にも容易に想像がついた。


『ルークさん、隆也さんが仕事を辞めさせられたって言ってたけど』


『そうさ。人間は生きてくために仕事をしてるけど、時に自分の意に反して辞めさせられることがあるんだよ。僕たちが自分達の意のままに立つ場所を選べないのと同じでね』


『そうなんだ……隆也さん、かわいそう』


 しばらくすると、隆也は箒とポリ袋を持って、公園の落ち葉を集め始めた。

 しかし、隆也にはいつものような素早さと手際の良さはなく、箒で同じ場所ばかりを何度も掃いているようにしか見えなかった。

 それはまるで、人間らしさのない生気の失せた機械のようであった。

 その時、あの黒パーカーの少年が、ズボンのポケットに手を入れたまま箒を動かす隆也の姿を斜め後ろからじっと見つめていた。


「おじさん、何やってんだよ、全然落ち葉が減ってないじゃねえかよ」

「いいんだよ。以前だったら早く終わらせようとしていたけど、今はもう何時間かかっても構わないんだ」

「え?何時間もこんなことやってるの?おじさんそんなに暇なの?」

「ああ、暇だよ」

「はあ?」


 すると、黒パーカーは隆也から強引に箒を奪い取ると、手際よく落ち葉を公園の片隅に集め始めた。

 隆也は、ただ茫然と立ち尽くしたまま、黒パーカーの仕事ぶりをまじまじと見つめていた。


「もう全部集めちゃったよ。こんなの1時間、いや、30分あればできるよ。あ、落ち葉をポリ袋に入れる作業はおじさんがやれよ。どうせ暇なんだろうからさ」


 そう言うと、黒パーカーは箒を隆也の手に投げつけるように渡した。


「ありがとな。というか、そんな焦ってやらなくてもいいのに」


 隆也の表情を見て、黒パーカーはため息をつき、ケビンの真下にあるベンチにそっと腰かけた。

 しばらく無言のまま、隆也の様子を伺っていたが、やがて、極まりが悪そうな表情で隆也に話しかけた。


「おじさんさ、何で会社をクビになったの?」

「そんなこと、お前に話す必要はない」

「ふうん、俺には言いにくい理由なんだな」

「バカ言え!お前みたいな若造には理解できない理由だよ」

「ほう、そんなに深い理由なんだ?じゃあ猶更聞きたいね。」

「深い理由?そんなわけないだろ。単に仕事ができない、もう若くないから使い物にならない。それだけさ」

「へえ、そりゃ可哀想に」

「お前に言われたくはねえよ」

「ところでおじさん、俺みたいな若造が、何でこんな昼間っからプラプラしてるのか、不思議に思わない?」

「はあ?」


 隆也は目を見開いて、黒パーカーの方を向いた。

 黒パーカーは、ベンチから少し腰を動かすと、片手で今座っていた辺りをトントンと叩いた。


「ここに座れよ、どうせ暇なら、俺の話付き合えよ」

「ケッ、偉そうに。別に興味あるわけじゃないけど、話してくれるんなら、聞こうか」


 すると、黒パーカーは頭に被っていたパーカーのフードを持ち上げた。

 黒パーカーは、ついに僕たちの前にその素顔を見せてくれた。顎を覆うように髭を伸ばしていたが、顔を見た限りでは、おそらくシュウと同じ位の歳の若者である。


「俺の両親は二人とも学校の先生でね、俺にも親と同じ先生になってもらいたからって、中学高校と部活をやらせてもらえず、ずっと塾通いさせられてたんだ」

「そうなんだ?今はそんな風にゃ見えないよ」

「でも、高校の途中位から勉強についていけなくなったんだ。塾に行く振りしてサボって、仲間とつるんで遊んでいた。当然、大学には不合格さ。浪人したけど、成績は上がらず親ともギクシャク。最近は受験勉強するのを止めて、街の中をひたすらブラブラしてるんだ。何の目的もなく、気の向くままにね」

「へえ、俺と同じような人生歩んでるな。思うように生きられないというかさ。でも……俺の場合、思うように行かずに気持ちがへこんだ時には、こいつらが俺を助けてくれた。俺にとっては、かけがいのない心の拠り所なのかもな」


 そう言うと、隆也は僕たちの方に目配せしながら、柔らかい笑顔を見せた。


「やっぱり、この木がそうなんだね」

「え?」


 黒パーカーは片手で額にかかった髪をかき上げると、隆也と同じように僕たちの方向へ視線を向けた。


「俺、放火容疑で逮捕されて拘置された時、あんた達が必死にこの木に付いた火を消そうとしていたって話を警察から聞いたんだ。俺、その時は正直不思議に思ったね。どうして公園の木に、そんなに一生懸命になれるんだ?って。でも、うちの親がムクドリのことでこの木を伐採しようと市に脅しをかけていたのを見てさ、何だかわからないけど、心の奥から、この木を守らなくちゃって気持ちに駆られたんだ」

「ふーん、それでここのベンチを毎日必死に拭いていたわけか」

「そうさ。ムクドリの件でうちの親に言いがかりつけられて、この木が切られるなんて不憫だし、絶対許せねえって思って、ベンチの掃除を始めたんだ。で、自分で言うのも変だけど、毎日掃除を続けるうちに、この木に愛着が湧いてきてね。何というか、生まれて初めて、自分の心の拠り所になるものに出会えた気がするんだ」

「ほう、それはよかったな。じゃあ、俺と一緒にやるか?ここの木の落ち葉拾い。結構大変だぞ?覚悟は出来てるか?夏にはムクドリ駆除もあるけど、どうだい?」


 すると、黒パーカーは口元に笑みを浮かべて、隆也の背中を片手で強く叩いた。


「大した使い物にならねえけど、俺で良かったら、やってやるよ。あ、そうそう、バイト代はちゃんと払ってくれるんだろうな?タダじゃやらねえぞ、俺は」

「う~ん、もう無職の身だから、悪いけどカネは出せないな。じゃあ、この近くにある『うまか亭』の弁当でどうだ?唐揚げ大盛で」

「いいね~!唐揚げ大好きだからな。よし、じゃあやってやるか。俺もあんたも何の取りえもない無職プータローだから、親近感あるし」

「は?今、何か言ったかい?」

「いや、何でも……というか、いつの間にか公園の落ち葉が増えてるじゃん!せっかく綺麗にしたのに。もう一回、俺に箒貸せよ!おじさんは早く落ち葉をポリ袋に詰めて!」

「ほう、早速やる気だな。ならば、俺もがんばるかな。こんな生意気な若い奴に負けてられないからな」


 秋の冷たい風は、容赦なく僕たちの枝から葉を地面に落としていく。

 黒パーカーは箒で落ち葉を集め、隆也は集めた落ち葉を次々とポリ袋に詰め込んでいった。


『ルークさん。あの二人、いいコンビだよね?』

『そうだよな。こないだの放火の件もあるから、隆也はあの子を許さないと思ってたけど』


 しばらくすると、心配そうな表情を浮かべた怜奈が公園に入って来た。

 隆也は、怜奈の姿に気が付いたのか、黒パーカーの肩を叩くと、二人並んで怜奈の元にやってきて、落ち葉の詰まったポリ袋を目の前に差し出した。


「今日の収穫だ!でも、まだ全部やりきれていないから、また明日やるよ、こいつとね」


 そう言うと、隆也は片方の手で黒パーカーの髪の毛をくしゃくしゃにしながら怜奈に笑いかけた。

 黒パーカーは、髪がボサボサになりながらも、屈託のない笑顔を見せていた。


「なんだ、心配した私がバカみたい」


怜奈は、呆れながらも安堵した表情で、二人の姿を見つめていた。


『ルークさん、隆也さんはとりあえず大丈夫そうじゃない?』


『ああ、あの少年が再び火を付けてくれたからね。今度は僕らじゃなく、隆也の心にね』

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