第24話 出て行くか、残るか?
あれから2ヶ月、いや、3ヶ月が経過しただろうか。頻繁に起こっていた衝動はようやく落ち着いてきたようである。
そして、公園の周囲の家々には、避難で離れていた住民が徐々に避難先から戻ってきた。壊れた屋根の修理も少しずつ始まったようで、屋根の天辺に青いシートが張られる家を多く見かけるようになった。
しかし、修理しても元に戻る見込みがなく、もうここには住めないと判断して引っ越していく人達もいた。
今日も1軒、沢山の家財道具を載せたトラックが公園の前に停まっていた。
『はあ、今日もまた1軒、引っ越していったね。おじさん、この町はどうなっちゃうんだろう?もう誰も住まなくなっちゃうのかな?』
ルークは、落胆交じりの声でつぶやいた。
『いや、きっと、誰かはここに残ってくれるよ。そう信じるしかない』
『そうなの?気休めいうなよ、おじさん』
『ルーク、もっと人間の心を信じてみなよ。きっと、この町に住むことを選ぶ人もいるはずだよ。僕は今、この町に住む人間の心を信じてみようと思うんだ』
僕は、出来る限り気丈に振舞おうとした。
しかし、正直言うと、断言できるほどの自信が無かった。
僕の視界に入る家々は、屋根が壊れ、塀が壊れ、1階が押しつぶされて、このままここで生活しようにも難しいと思わざるを得なかった。
果たして、どの程度の人達がこの町に居ついてくれるのか?
先が全く見通せない中、ルークが不安に感じるのも当然だと思った。
そんなある日、隆也の母親である君枝が、夫の敬三を車いすに乗せながら、公園の中で業者と何やら打合せをしていた。
業者は図面を出し、君枝に見せながら説明を続けていた。
僕は不謹慎ながら、ちょっと耳を澄ませて聞いてみた。
「皆さんの自宅は、市の調査の結果、全壊という判断になりました。また、当社で地盤を判断した所、現在の自宅のある土地は相当脆弱で、今後も災害が起きた場合、建物を支えきれず同じような被害が起きる可能性があります。この図面は隣町の新興住宅地なんですが、ここなら丘の上で地盤も安定してますから、先日の災害でも、倒壊がほとんどありませんでした。そして、新居では体が不自由になった旦那様も安心して暮らせるよう、平屋建てでバリアフリーの施工を行う予定です。」
「うーん……まあ、そうよね。やっぱり、地盤は、丘の上の方がしっかりしてるもんね」
「ぜひご検討ください。ちなみに、今は復興需要で予約が多く入っていますからね。早くお引越しを検討されるならば、早めにお返事していただけないと、順番待ちで最短でも2年位は待たされることになりますよ」
「わ、わかってるわよ。でも……でも、もうちょっと時間をちょうだい」
業者が書類を抱え、ニヤニヤしながら公園を通り過ぎていくと、君枝は思い悩んだような様子で敬三の車椅子を引きながら、独り言でも言うかのように敬三に語り掛けた。
「お父さん、私たち、ここから引っ越すしかないのかなあ?確かに業者さんの言う通り、安全な場所に引っ越した方がいいけど、家族の思い出がいっぱい詰まったこの場所から出て行くことが、どうしても引っかかるのよね」
敬三は、じっと君枝の言葉を聞き続け、その後しばらく黙り込んでいた。
そして、ようやくか細い声を出しながら、君枝の問いかけに答えた。
「俺は…遠くには、行きたくない。ここでまた、散歩したい。孫と、キャッチボールがしたい」
敬三の言葉を聞き、君枝は思わず目頭を押さえた。
「お父さんもそうなんだね。でも、ここで暮らすとまた被災するって業者さんが言ってるし。どうしよう……」
君枝は、目頭を押さえながら車いすを引き、自宅の方向へと歩き去っていった。
まさか……敬三一家まで、この町を去っていくのだろうか?
僕は、突きつけられた事実に思わず胸が張り裂けそうになった。
数日後、以前君枝と打ち合わせをしていた業者が公園の中に現れた。
僕の目の前にあるベンチに腰をかけると、煙草に火を付け、貧乏ゆすりしながら、誰かを待っている様子だった。
「遅いなあ。こっちも打合せが立て込んでるんだ。これだから年寄り相手は嫌なんだよな」
その時、車椅子に乗った敬三を引き連れた君枝が僕の目の前に姿を現した。
「お待ちしておりましたよ。こないだの話、結論はどうなりましたかね?」
「それは……」
すると車椅子の敬三が、答えようとする君枝を制するかのように、声を震わせ、胸の奥から絞り出すかのように言葉を発した。
「俺は、ずっと、ここに、居たいから…それに…ここには、俺の思い出がいっぱい、あるんだ、だから…ここから、ここから他には行きたくない!」
敬三は、最後には感情を爆発させるかのように、泣きわめきながら叫んだ。
「ほう、ここじゃないとダメだと?あのねえ、旦那さん、ここは地盤が緩いんですよ。また災害が起きたら、同じように倒壊する可能性もありますよ?ご自身の身を案じるなら、私が出した案の場所に引っ越すべきでは?」
業者は、不敵な笑みを浮かべながら敬三を睨んだ。
「いやだ、いやだ……他の場所には行きたいと思わねえ」
「お父さん……」
敬三の必死に訴えかけるような表情を見て、君枝はうろたえた。
「いい加減にしてくださいよ、旦那さん。もういいや、病人は放っておいて、奥さん、あなたとお話します。あなたなら正しい判断が出来るはずだ」
「わ、私は……私は……お父さんのため……」
「そうですよね?お父さんのため、隣町のこの物件が良いんですよね?これで決定ですね!」
業者は笑いながらカバンから契約書を取り出すと、その後ろから、作業衣の男が契約書を横取りするように奪い取った。
「誰だよあんた!いきなり後ろから」
「俺は、この2人の息子の隆也だよ。大体、年寄りに強引に契約迫ろうなんて、何考えてんだよ」
そこにいたのは、隆也だった。両親の見舞いのため、ちょうど東京からこの町に来ていたようだ。
「はあ?私はこの2人の住む物件の話をしているんだ。あなたには関係ない。さ、その書類を返して下さいよ!」
「この契約書見たけど、契約者は親父の名前だよな。当の親父は、さっきからダメだって言ってるじゃねえか」
しかし、業者は鼻で笑い、君枝の方を振り向くと、懇願するかのような表情で優しい声で問いかけた。
「奥さん、さっき『お父さんのため』って言いましたよね?その先は何て言いたかったんですか?お父さんのため、この物件を契約したいって言うことですよね。こないだも私にそう言ってたじゃないですか?」
「いえ、『お父さんのため、この町に残りたい』って言いたかったんです。お父さんが、こんなに必死に訴えてるんだもの。私も、本心ではそう思ってたから」
「お、奥さん!」
「ほら、どうなんだ?おやじもおふくろも反対だってよ」
「……か、勝手にしろ!ほかにもお客さんがいるんでね、これで帰るわ!」
そういうと、業者は怒りで全身を震わせ、隆也の手から契約書をひったくると、そそくさと公園を立ち去っていった。
「隆也、ごめんね、私たちの問題なのに」
「いいんだよ。それよりさ。親父がせっかくここに残りたいって言ってるんだ。みんなで、ここに住むためのことを考えようぜ」
「み、みんな?」
「そうだよ、俺も、俺の家族もここに住むからさ」
「隆也……あんた!仕事は?」
「大丈夫、退職することは会社には相談済みだよ。あとはこっちで仕事探さないとなあ、何かあると良いんだけどさ」
そういうと、隆也は大声で笑った。
「隆也のバカ!何考えてんの、私たちのことなんかより、自分の心配しなさい!」
君枝は、大声で泣き叫んだ。
その時、敬三は、涙を流しながらつぶやき始めた。
「隆也、俺はうれしい、うれしいぞ…隆也と、孫と、一緒に住めるなんて…夢みたいだ」
君枝は、肩を落としながらも、小声で「仕方ないか」と言って、敬三の涙をハンカチで拭った。
「さあ、みんなでどんな家にするか、打合せでもするか。親父の部屋はもちろん、将来のことも考えてシュウの部屋も考えなくちゃな」
隆也はそう言うと、笑顔で両親の背中を抱きしめた。
『すごいね、おじさん、人間の心、信じてみるもんだね』
ルークは、やりとりを終始見届け、思わず感嘆した。
『だから言っただろ?もっと信じてみようよ』
僕は、自信満々に答えた。
けど、つい先日までは、内心は半信半疑だった。
この災害で多くのものが失われ、多くの人が去っていったけど、隆也達の姿を見て、この町に希望の光はまだまだ残っているように感じた。
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