堕天使の夢~それでも少年は、世界を愛する

読み方は自由

プロローグ

第0話 夢のきっかけ

 それはたぶん、罪なのだろう。帝国くにが、社会が、過去から連なる歴史が、そう決めたのだから。そこに疑問の余地はない。法律書に書かれた条文は、多くの命が苦しみ、悶え、涙した結果の賜物である。だから、どんな道徳よりも強いのだ。犠牲を基礎に築き上げられたモノだからこそ、彼らは何も疑わず、その剣を振りかざす。「正義は、我にあり!」と、堂々たる態度で右手の拳を上げるのだ。眼前の敵が滅びるように、己が魂を叫びつづける。


 少年の眼前に広がっていたのは、そんな正義が闊歩かっぽする世界、同胞達が罪人の業を咎める世界だった。世界の真ん中には罪人……即ち、帝国の反逆者が立っている。反逆者の風貌は見窄みすぼらしく(年齢はおそらく、四十の半ばくらいだろう)、その服もボロボロに擦り切れていた。数多の誹謗や中傷、暴力によって刻まれた衣服を泥に塗れながらも縫い直し、「それ」を己が意思、社会への抵抗として、毅然と身にまとうにように。罪人の醸し出す空気には、それを感じさせる色、正義と信念とを併せ持つ覚悟が漂っていた。


 少年は、その覚悟に魅せられた。立派な理屈からでも、幼稚な本能からでもなく、罪人の浮かべる表情が、彼の血管を通って、心臓の奥地に訴えかけたのだ。心臓の奥地には、彼の根っこ……「魂」とも言うべき根っこが生えている。彼が彼であるための証、命の根幹が未成熟ながらもしっかりと根付いていた。

 

 命の根幹は、彼に訴える。


「罪人の表情は、確かに恐ろしい。

 だか、そこから目を逸らしてはいけないのだ。

 罪人が光らせている眼光にも。

 自由を踏みにじられても尚、その自由を失わない心にも。

 お前には、それらを見つめる義務があるのだ。

 眼前の罪人がそうしているように。

 お前もまた、自分を取り巻く世界、世界の穢れと向き合わなければならないのだ」と、簡素でありながら、彼の心にそう訴えつづけた。

 

 少年は黙って、その言葉を聴きつづけた。自分の周りがどんなに……いや、音は最早死んでいる。先程まで聞こえていた怒声も、今では空気の微々たる振動にしか聞こえない。地面の下でそっと囁く虫達、その声と同じ程度にしか。今の彼に聞こえているのは、命の根っこが訴える言葉、そして、罪人の叫ぶ真実だけだった。


「貴方達に自覚はないかも知れませんが」と言って、断罪所の断罪席を睨みつける罪人。断罪席には数人の天使達がおり、彼らは「大天使」と呼ばれる皇帝を中央に、位の高い順から横一列、左右に広がる形で、眼下の罪人をじっと見下ろしていた。


「ウェステリアの社会は、天使の個を殺した独裁国家です! 『洗脳』の力を上手く利用した。独裁国家の辿る道は、破滅しかありません。遙か昔の神話、一つの塔にあらゆる者を住まわせ、国家の垣根を取り払おうとした天使達が、神の怒りを買ったのと同じように。私は、その厄災を防ぎたいのです。天使が天使たる尊厳を持って。私達は、誇り高き天の使いです。天使は己が手で、その秩序、平和、未来を掴み取らなければなりません!」

 

 罪人は、両手の拳を握った。そうしなければ、周りの反応に耐えられなかったから。同胞達の向ける無慈悲な目、凍えるような眼差しに狂いそうになったから。

 

 断罪席の天使達は、彼の叫びに応えず、その顔をじっと見下ろしつづけた。傍聴席の観客達も、彼の叫びを嘲笑っている。まるで彼の叫び、それ自体を踏み潰すかのように(程度の違いはあるが)、その目にもいやらしい、下品な笑みが浮かんでいた。

 

 少年は、その光景を無視した……と言うより、「意識」として入って来なかった。周りの同胞達が、罪人の叫びを咎め、罵り、蔑んでいるのは見えていても、それは意味を失った光景、もっと言えば、何枚もの絵を使い、ただ動いているように見せる、画家の遊びとしか思えなかったからだ。

 

 遊びで描かれた絵は、単なる落書き。意味も無ければ、思考も無い、ただのきたない絵でしかなかった。穢い絵には(余程の変わり者でない限り)、誰も惹かれない。だから少年の意識も、罪人の主張にしか惹かれなかった。「自分の未来は、自分の手で掴み取る」と言う。今まで考えもしなかった「それ」は、彼に雷撃以上の衝撃を与えた。

 

 だが、「黙れ!」

 

 その衝撃も、長くは続かなかった。雷撃もいつか止むように、その衝撃もまた大天使の怒声に掻き消されてしまった。一気に静まる断罪所の中。断罪席の天使達も表情こそは変わらなかったが、その震える目からは、動揺の色が明らかに見て取れた。

 

 大天使は断罪席の椅子からそっと立ち上がり、鬼をも恐れぬ眼差しで、罪人の顔をじっと見下ろした。罪人も黙って、相手の顔を見返した。相手がどんなに恐ろしく、また強大な存在であっても。自分の善を信じる罪人にとっては、何も恐れる事はない、幼い子どもが良くやる睨めっこのそれと変わらなかった。

 

 強かなたかと凶暴な鬼の睨み合い。

 

 彼らは己の正義を信じ、一方は「知の羽」を広げ、もう一方は「頑強な体躯」を活かして、自分が動く頃合いをじっと待ちつづけた。

 

 最初に動いたのは、鬼の方だった。

 

 鬼は冷たい目を細め、眼下の鷲をより一層睨んだ。


「貴様の手で掴み取るのではない。国が貴様に与えるのだ。俺の未来も含めて。貴様は今、ここに立っていられるのは、国が貴様の権利を守って来たからだ。貴様の権利を保障し、その命も」


「『維持して来たから』ですって? 冗談では、ありません! 『社会思想家』とは、名ばかりで……その実は。大天使バルジン」


「ああん?」


「私は、貴方の操り人形ではありません。ここにいる者達も」


 罪人は、傍聴席の観客達を見渡した。


 観客達は、その眼光に困惑した。自分達の事がいきなり出てきて。どう言う反応をして良いのか分からない一部の観客達は、戸惑いの表情を隠す事無く、互いの顔を見合ったり、その言葉に苦笑し合ったりした。アイツは一体、何を言っているのか? 彼の思考を読み取れない彼らには、そう思うのが限界だった。


「私と同じです」と、罪人が続ける。「私は、貴方の……いえ、『帝国くに』に疲れました。『統治の裏側』を隠し、『伝えるべき本質』を闇に葬る。こんなのは、仕事でも何でもない。単なる悪魔のお遊びです。私達の、後世の未来を奪い取る。私は、そんな事をするために……。大天使バルジン! 私は、誠意ある世界を創りたい。誠意ある世界に若者達の……。若者達の未来は、若者達の物です。貴方のような老害が、べて良い世界ではないんだ」

 

 老害の一言が、大天使には気に入らなかった。


「この俺が老害だと?」


「貴方はもう、五十を過ぎている。ご自分ではまだ、お若いつもりでも。年月の呪いからは、逃れられない。貴方の古い考えでは」


「『何だ?』と言うのだ? 貴様の考えなど、知った事ではない。貴様は、ただの堕天使だ。堕天使は、ウェステリアの社会に背いた罪人。罪人には」


「そうだ! そうだ」と、観客の一人が叫ぶ。彼もまた、大天使と同じ五十代の男だった。「罪人は、島流しにしろ!」


 周りの観客達も、それに呼応する。


「異議無し!」


「さっさと居なくなれ!」


 清々しい程の罵倒だ。先程まで静かだった断罪所も、今は元の活気を取り戻している。それこそ、先程の静寂を忘れてしまったように。その様子を見ていた大天使も、彼らの活気が余程嬉しかったのか、統治者たる笑みを浮かべて、観客達の声をしばらく聴きつづけた。


 大天使は、観客達の声を制した。


「ヘジューイ・シモよ」


 それが罪人の名前、彼らが言う堕天使はんぎゃくしゃの名である。


「はい」


「ウェステリアの法に従って、貴様を下界へ追放する。下界での生活は、大変だろう。金や地位は渡せぬが、その代わりに」


「『力をお返しになる』と?」


「いや」


「では?」


「返すのではない。その鎖を外してやるだけだ。貴様とウェステリアの国を繋いでいた、大事な鎖を」


 観客達は、その言葉に青ざめた。繋いでいた鎖を外す……言葉だけでは良い意味にも取られるが、彼らにとっては、そうではない。飼い主から見放されるのは、これ以上にない恐怖、最大にして最高の不名誉だった。「お前は、この国には必要ない」と。存在意義の否定は、自我同一性アイデンティティーの否定にも等しかった。

 それを肌で感じた少年も、言い様のない恐怖を感じている。自分の魂がゴミ屑同然にてられる恐怖を。それを感じていないのは、国に裁きを下された本人、大天使の顔を平然と見上げる罪人だけだった。

 

 罪人は、自分の信念に微笑んだ。自分は、何も間違ってない。何も間違っていないなら、相手の目から視線を逸らす必要もない。真っ直ぐ見つめる彼の瞳には、若干の後悔と、自分への僅かな称賛しかうかがえなかった。

 

 大天使は、断罪席の天使達に命じた。


「刑を執行せよ」


「はっ!」と、臣下の一人。他の臣下達も、「仰せのままに」と頷いている。


 彼らは互いの顔を見合い、観客達もその様子を喜んだ。今日の断罪は色々と驚く所があったが、ここから先はいつも通り、彼らの興奮を誘う宴が、「処刑」と言う名の儀式が始まるのだ。観客達の罵倒が飛び交う。その声に混じって、少年の両親も「早くやれ!」と叫びだした。「裏切り者を追放するんだ!」


 彼らは、興奮気味に叫びつづけた。


 少年は、その光景に眉を寄せた。自分の周りを取り巻く世界……罪人を罵る観客達の姿と、それに動じない罪人の姿が、彼の心を激しく掻き乱したのだ。ここにいる連中は、自分の同胞ではない。自分の席から罪人に唾を飛ばしている天使はもちろん、その隣で興奮気味に口笛を鳴らしたりしている天使も、とても自分の同胞とは思えなかった。


 こいつらは、天使なんかじゃない。

 天使の姿をした何かだ。


 幼いながらもそう感じた彼は、溢れかけた涙を必死に堪えて、審議場の四方から一斉に飛び出して来た聖天使騎士団(大天使直属の精鋭集団)をじっと睨みつけた。


 騎士団達は罪人の周りを取り囲み、彼に向かって何やら呪文を唱えはじめた。


「天の意思に背く者、穢れ満ちた我が天敵。その天敵に新たな楽園を与え賜え」と、まるで観客達の興奮をわざと促すように。最初は厳かな口調で唱えていた呪文が、「楽園」と唱えた頃には、何処か悲しげな雰囲気に変わっていた。


 騎士団達は、その雰囲気に眉を寄せた。


 観客達は、罪人の足下に目をやった。罪人の足下には結界が、複雑な形状の紋章が描かれている。それは、天界と下界を繋げる紋章だ。その紋章が輝けば、罪人の刑は執行される。


 観客達はその光景を待ちわびる一方、それまでの暇つぶしとして、お約束の賭け……「罪人が最期、どんな風に叫ぶのか?」をやりはじめた。


「どっちに賭ける?」


「『頼む、許してくれ!』と叫ぶ方で」


「なるほど。そっちか。なら俺は、『自分の考えは、間違っていない』と言い張る方だな」


 彼らは賭けの結果に胸を躍らせつつ、罪人の足下に描かれた紋章をじっと眺めつづけた。紋章が光り出したのは、それから十数秒後、少年が「え?」と驚いた時だった。紋章から現れた美しい光。光は鱗粉りんぷんのように舞い上がり、罪人の身体をすっかり包み込んでしまった。


 少年は、その光景に息を飲んだ。自分の見ているモノは、残酷極まりない光景なのに。光の粉が、それを妨げる。粉の美しさで「それ」を誤魔化し、観る者の神経を麻痺させたのだ。


 彼は、自分の神経を恥じた。少しでも美しいと思った、自分の愚かさや幼さ、そして、未熟さに。あの光は決して美しくない、天使の傲慢さが生み出した油カスなのだ。


 彼は、両手の拳を握り締めた。


 ……眼前の光が消えて行く。それに合わせて、罪人の姿も見えなくなった。まるで幽霊が天に召されたように。残されたのは、罪人の置き土産、「彼がそこに居た」と言う記憶だけだった。


 観客達は、その余韻に歓喜した。断罪席の臣下達も……彼ら程ではないが、貴族の体面を崩さない程度に「クスッ」と笑ったり、「フフッ」と微笑んでいたりした。それに肩を落としていたのは、先程の賭けに盛り上がっていた二人だけ。彼らは互いの顔を見合うと、不満げな顔で賭けの結果に文句を言い合った。


 大天使は、観客達の声を制した。


「これにして、ヘジューイ・シモの断罪を終える。続いて、ホルマンの断罪に移るが」を聞いて、観客達がまた歓喜する。先程の熱を残しながら、更なる燃料を注ぎ込むように。次の罪人が現れた時は、その燃料に松明を放り込んだ。


 少年は、その炎で動けなくなった。身体の手足が焼かれ、その灰が椅子に吸い付いてしまった所為で、動かそうと思っても、動かす事ができなかったのだ。唯一動かせたのは、母親の声に応えた首と、その顔に視線を向けた目だけだった。

 母親の目は満足げに、でも凄く怒っている。傲慢な子どもが、そのまま大人になったように。少年の腕を引っ張る手も……あまり痛くはないが、何処か相手を苛立たせるモノ、不愉快にさせる雰囲気が感じられた。


 母親は、少年の身体を立たせた。どうやら、観たい断罪を観終えたので満足したらしい。彼女はニコニコしながら近くの夫に話しかけたが、少年が中々歩き出さないので、少年の腕を更に強く引っ張った。


「ほら? ぼうっとしていないで。さっさと帰るわよ? レウード」


 父親も、彼女の言葉にうなずいた。


 二人は少年、レウードの手を引き、断罪所の出入り口に向かって歩き出した。レウードもそれに従ったが、やはり気になるモノがあるのだろう。時折立ち止まっては、あの罪人が立っていた方を振り返った。

 

 彼は自分の正面に向き直り、暗い気持ちで断罪所の階段を降りて行った。階段を降りた先には広場が、広場の先には町が広がっていたが、石造りの道路を歩いている意識しか頭に入って来ないレウードには、その景色がすべて真っ白に見えていた。


 自分の生きる世界には、何の真実も描かれていない。たとえ、他の者には見えていても。そこに描かれているのは、誰かが白い染料で塗り潰した偽りの世界なのだ。

 

 レウードは、その恐怖に震え上がった。


「うううっ」の声に、母親が驚いた。


「ど、どうしたの? レウード、具合でも悪いの?」


 レウードは、その質問に答えなかった。答えられるわけがない。彼の抱いた不安や疑問は、今の彼では到底言葉にできない……仮にできたとしても、語彙力の不足や表現力の未熟さから単なる子どもの妄想か、早熟な感受性の芽生えとしか思われないだろう。大人は子どもの行動には大体寛容だが、その思想には大概不寛容だ。

 だから、平気で叱れる。「それは違う」と、さとせる。大人達が子どもに施す躾は、大抵は社会通例の押し付け、自分にとって都合が良い洗脳モドキなのだ。


 レウードは口の扉を閉じたまま、言葉にならない自分の思いを握り締めた。


 両親は彼の異変に首を傾げたが、大して悩む事もなく、一方は溜め息を、もう一方は優しげな笑みを浮かべた。


 父親は、彼の肩に手を乗せた。


「初めての体験だったらね。きっと刺激が強すぎたんだろう」


 まともと言えば、まともな推理。だから妻も、それには疑心を抱かなかった。


「連れて来ない方が良かったかしら?」


「そんな事はないよ」と、夫は首を振った。「アレは、だからね。

 

 レウードは、今の言葉にいかった。特に「虫を潰して遊ぶのと一緒」と言う部分に。彼の父親は、虫と人間……もっと言えば、天使と虫の命に明確な上下を付けたのだ。「天使は上で、虫は下だ」と。まるで己が命の査定人にでもなったかのように、「虫の命は矮小だ」と決めつけたのだ。


 レウードには、それが許せなかった。


「虫にだって、命はあるよ!」

 

 父親は息子に怒声に驚いたが、驚いただけで特に怒る事はなく、挙げ句は息子の頭をそっと撫ではじめた。


「確かにね。でも、その命は」


「何だよ? 『ちっぽけだ』って言うのか? お父さんの気持ちだけで」


 今度は、流石の父親も黙ってしまった。


 レウードは父親の手を払い、母親の怒声を無視して、石造りの道路をまた歩き出した。

 

 母親は息子の腕を掴み、今の無礼を叱ろうとしたが、夫の「大丈夫」を聞いて、伸びかけた手を仕方なく引っ込めた。


 夫は「うん」とうなずき、彼女の足を促した。


 三人は無言で、自分達の屋敷に帰った。屋敷の玄関では、召使いが彼らの帰りを待っていた。いつもの笑顔を浮かべて。「お帰りなさいませ」の言葉にも、召使い特有のいやらしさが感じられなかった。彼は、自分の主人を心から信頼している。普段は傲慢な屋敷の奥様も、彼には夫人らしい温かな優しさを見せていた。

 

 三人は父親から順に、屋敷の廊下を進みはじめた。

 

 召使いは、主人の隣に並んだ。


「今日の断罪は、如何いかがでしたか?」


「ああ、今日も素晴らしかったよ。実に見事な断罪だった」


 見事な断罪、の部分だろうか。一瞬だけ、召使いの顔に陰が見えた。


「そう、ですか。そうは、よう御座いました」


 主人と召使いは息子達と別れ、主人の部屋に向かった。


「夕食のお時間ですが、昨日と同じでよろしいでしょうか?」


「ああ。それで構わないよ」


「畏まりました。では、その時間にまたお伺い致します」


 召使いは主人に頭を下げて、屋敷の奥に消えて行った。


 主人はそれを見送り、部屋の中に入った。部屋の中には、机や椅子、書棚などが置かれている。書棚の中には、多くの資料が収められていた。帝国が興った歴史から、最近の社会情勢まで。その中には、「我が愛しのウェステリア」と言う文学作品すらあった。


 主人は、その文学作品に手を伸ばした。それと合わせて(本当に偶然だが)、レウードも部屋のベッドに向かって歩き出した。


 レウードはベッドの前まで行き、そこに勢いよく寝そべった。ベッドの感触は、最悪だった。普段の彼なら、そんな事は決して思わないのに。今日に限っては、その感触が腹立たしく、また身体に跳ね返ってくる衝撃も、自分への嘲笑、あるいは侮蔑のように感じられた。


 愛用のベッドですら、自分の事を馬鹿にしている。


 彼はベッドの上を思い切り殴ろうとしたが、そうしようとした瞬間、その振り上げかけた拳をすっと下ろしてしまった。


は、これよりもずっと悔しかったんだ」

 

 愛する世界、この国の未来を守ろうとしたのに。その未来から、「お前は要らない」と弾き飛ばされてしまったのだ。とても無慈悲なやり方で。


「だけど」


 それでも、あのヒトは叫んでいた。


「『自分の未来は、自分の手で掴み取らなきゃならない』って。それがどんなに辛い事であっても。あのヒトには、それを叫ぶ覚悟があったんだ」


 少年の心が熱く燃え上がる。


 彼はその熱を保ったまま、真っ直ぐな目で部屋の天井を見上げつづけた。

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