おまけ&ロザリン編

 「……やっと帰った」


 一つ目の授業が終わった双魔は準備室の椅子に腰掛けて背伸びをしていた。その表情はやれやれと呆れながらもどこか嬉しそうだ。その理由は十分程前に遡る。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「おい!双魔!今日は何の日だ!おい!」

 「ハシーシュ小母さんよ、アンタいつから山賊になったよ?」


 授業で使った資料を棚に戻していると、準備室のドアを蹴破るように来客が飛び込んできた。ハシーシュだ。因みにアポイントメントはない。


 「私は山賊じゃない!それより、今日はホワイトデーだろ!こっちじゃ聞かないけどな!」


 ハシーシュは若い頃に日本にいた経験がある。それでホワイトデーを知っているのだ。知っているからといって、何の前触れもなく教え子の準備室に突撃していいといいわけではないが……。


 「あー……そういえば……」


 双魔は一か月前の記憶を呼び起こす。その時も今とほとんど同じ状況だった。


 『おい!双魔!今日はバレンタインデー!ほんっっっとうに!くだらないイベントだけどな!自分には関係ないって決めつけるのも惨めだからな!お前にチョコレートをやることにした!受け取れ!受け取ったな!んじゃあな!セオドアんとこでヤケ酒だ!』


 と、嵐のような勢いでチョコレート(後で調べるとロンドン市内で有名な高級店のものだった)を置いて去っていったのだ。今はそれのお礼参りということだろう。が、双魔も忘れないように早めに準備はしておいた。


 「確か……この辺に……あった。ほれっ」


 双魔は執務机の足元をゴソゴソと物色すると、発見した物をハシーシュに投げた。ハシーシュはそれをパシッと受け取ると、まじまじと見た。


 「……キャラメルリキュールか!流石双魔!分かってるな!」

 「仕事もそれくらいのテンションでできないもんかね?」

 「それは無理な相談だなっと!安綱に隠れてきたんだ!さっさと戻らないとな……双魔!ありがとよ!」


 そういうとハシーシュは来たとは正反対に、丁寧にドアを閉めて去っていった。


 「たまに子供みたいだな……あの人。いや、たまにじゃないか?」


 双魔は一人、楽しそうに残りの資料を棚の元の場所に戻したのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ハシーシュは今頃、安綱の折檻を受けているだろう。双魔は合掌して思考を切り替えた。今日は他に思案しなければいけないことがある。


 「さて、イサベルは次の授業で会うとして……いや、まあ壁が壊れたから家でも会えるけど、そこは置いといて……ロザリンさんにはどうするかな……」



 ロザリンにホワイトデーの贈り物を用意しているのだが、今日は会えそうな時間がない。


 「こうなるとロザリンさんも隣に引っ越してきてもらった方が……って、俺の勝手過ぎるか。もっと現実的な案を……ん?」


 思っていより深く考え込んでいたのか、迷走に気づいた双魔が我に返った時だった。ポケットに突っ込んでおいたスマートフォンが振動する。一度で止まないので、誰かが電話を掛けてきているのだろう。


 「誰だ……って、ロザリンさん!」


 画面にはロザリンの名。何と向こうから連絡をしてきてくれた。渡りに舟、闇夜に提灯。双魔はすぐに通話ボタンをフリックした。


 「もしもし?」

 『もしもし、双魔?電話ってこれでいいのかな?』

 「ん、大丈夫ですよ」


 スマートフォンを一緒に買いに行ってからしばらく経つが、ロザリンはまだ少し操作に不慣れなままだ。そのロザリンが自分から電話を掛けてきてくれたのだから、会いたいと思っていたところにそれが加算されて、なんだか嬉しくなってくる。


 『今、どこかな?会いに行ってもいい?』

 「ん、今は準備室ですけど……」

 『うんうん。分かった』


 ブツンッ!プー……プー……


 「……切れた」


 場所だけ聞くとロザリンは双魔の返事を待たずに通話を切ってしまった。きっともうこちらに向かっているはずだ。ロザリンは話が早い。早すぎるくらい早い。鏡華とは違った感じで考えていることを察してくれるところがある。そんなことを考えていると、部屋の前に気配を感じた。如何やらもう到着したようだ。元々近くにいたのかもしれない。


 『双魔。入っていい?』

 「いいですよ」

 「うんうん。こんにちは」


 ロザリンはドアを開けて挨拶をすると、そのまま流れるような動きで部屋に入って来客用のソファーに腰を下ろした。少しだけ眉根に皺が寄っているのは、魔術科棟の地下にはお気に召さない臭いが充満しているからだろう。他の人は気にならないが、ロザリンの嗅覚は超敏感だ。どうやら、薬品実験が趣味の講師の部屋から嫌な臭いが発生しているらしい。


 「突然、どうしたんですか?」

 「双魔に会いたくなったから。あとね?」

 「ん?何ですか?」

 「双魔が私に会いたがってるような気がしたから」

 「……」


 眉間の皺も消えて、あまりにも自信満々といった表情で、フンスッと鼻を鳴らしたロザリンに、双魔は思わず言葉を失って、そのまま笑ってしまった。 


 「正解?」

 「ん、正解ですよ……クックッ……ロザリンさんに渡したいものがあったんです」

 「そうなの?」

 「そうなんです……これを」


 双魔は執務机の後ろに用意しておいた若草色の紙包みを持つとロザリンに手渡した。大きな包みでロザリンは首を傾げながら受け取ると、膝の上に置いて両腕で抱きしめた。


 「すんっ……草のいい匂い?」

 「流石、よく分かりましたね。綿花の白詰草コットン・クローバーっていう植物を詰めた枕です。ロザリンさんがぐっすり眠れるように、感触と香りを吟味して作ってみました。お気に召してもらえるといいんですけど……」

 「枕……うんうん、ありがとう。嬉しい。使ってみるね。きっといい枕だね」


 ロザリンはこくこくと頷くと、ぎゅっと枕の入った包みを大切そうに抱きしめた。表情に変化はないが、とても喜んでくれているのが伝わってくる。だから、双魔も嬉しい。


 「でも、どうして?」

 「んー、ホワイトデーなので、今日は」

 「……ホワイトデー?」

 「ああ、ロザリンさんは知りませんか、そうですね。ええと……」


 ロザリンは左眼の魔眼、”魔王の封邪眼バロール・オクルス”に潜んでいたバロールの呪いで日中は時計塔の自室に籠っていたせいで世間知らずなところがある。ホワイトデーは日本独自のイベントなので知らないのも無理はない。双魔はできるだけ分かりやすく説明すると、ロザリンは理解したのか、いつものように頷いてくれた。


 「バレンタインデーのお礼ってこと?でも、私、お花貰ったよ?」

 「ああ、薔薇のことですか?いいんです。俺の気持ちだと思って受け取ってください」

 「双魔の……うんうん、分かった。でも……」

 「ん?」

 「もうちょっとお返しして欲しい」


 ロザリンはそういうと、ソファーをポンポンと叩いた。隣に座れということらしい。


 「もう少しっていうと……ちょっ!ロザリンさん!?」


 双魔がソファーに腰を下ろすや否や、ロザリンは的確に双魔のバランスを崩して、その上にのしかかった。まさに、双魔はロザリンに押し倒される形となった。そのまま、ロザリンはずいっと顔を近づけてくる。綺麗な瞳、長い睫毛、筋の通った鼻、形のいい唇が間近に映って、双魔の心臓は跳ね上がってしまう。


 「……わしゃわしゃして欲しい」

 「…………はい?」


 ある意味覚悟を決めそうになっていた双魔は、ロザリンの一言に思わず聞き返してしまった。わしゃわしゃして欲しい。つまり、こう、撫でて欲しいということなのだろうか。


 「……わしゃわしゃ?」

 「うんうん、わしゃわしゃ」


 どうやらそう言うことであっているらしい。別に断るようなことでもないので、双魔は両手をロザリンの頬に沿って、耳と髪の間に差し込んだ。


 ぷにょぷにょ。


 「……ロザリンさん、頬っぺた柔らかいですよね」

 「そう?いいから早く、わしゃわしゃ」


 ロザリンの頬はとても柔らかく、例えようのないくらい感触がいい。笑わない人は顔の筋肉が発達していないせいで、頬が柔らかいと聞いたことはあるが、ここまで柔らかいとは。感触を楽しんでいると、ロザリンの顔が少し不満げになってしまったので、双魔はご所望通り、側頭部から襟足を辺りをわしゃわしゃと撫ではじめる。


 「んふふふふふっ……気持ちいい。もっともっと……」

 「ロザリンさん……そんなにくっつかれると撫でられないですって……」


 ロザリンは気持ち良さそうな声を出すと、双魔の顔に頬を擦りつけてくる。双魔が言ってもロザリンの耳には届いていないのか、構わずくっついてくるので、撫でる位置を変えたり、撫で方を変えたりと、双魔はロザリンの希望を叶えるために試行錯誤して、わしゃわしゃわしゃわしゃと撫で続ける。


 「んふふふふふ……気持ちよかった」

 「ご満足いただけたようで何よりですよ……俺は少し疲れました」


 十五分ほどでロザリンは満足してくれたのか、身体を起こした。そろそろ次の授業に向かわなくてはならない時間なので、双魔はホッと一息ついた。


 「今からお仕事?」

 「ん、そうですよ」

 「そっか。それじゃあ、また明日ね。枕、ありがとう。ちゅっ」


 ロザリンは双魔の鼻に軽く口付けすると、枕の入った包みをを大事そうに抱えて、軽い足取りで準備室を出ていった。


 「……本当、自由な人だな」


 双魔はロザリンの唇の感触が残る鼻を撫でながら、呆れたように独り言ちる。言うまでもなく、その表情は柔らかな笑顔であった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「見て、双魔に貰った」


 その日の夜、ゲイボルグはロザリンに真新しい枕を自慢されていた。「じゃーん!」と言いたげな感じだ。極東の風習で、バレンタインデーのお返しに貰ったらしい。嬉しそうで結構だ。


 「ヒッヒッヒッ!良かったじゃねえか!今日早速……」

 「……すー……すー…………」


 「使ってみるのか?」と最後まで聞く前にロザリンの寝息が聞こえてくる。その表情はとても安らかで、幸せそうだった。少し前まで、眠る前に見せていた何処か悲し気で、不安そうな顔はそこにはない。


 「……良かったじゃねぇか……いい夢見ろよ」


 ゲイボルグは壁を使って器用に立ち上がり部屋の灯を消す。もう一度、ロザリンの寝顔を覗き見ると、そのまま自分のベッドで身体を丸めるのだった。




 

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