第495話 闘技場、終幕

 最初にその異常に気づいたのはティルフィングだった。


 「ソーマ!よく覚えていないが終わったのだな!?」

 「ん、なんとかな……」

 「そうか……それならば…………」

 「ん?」

 「なぜ、あの炎の翼は消えないのだ?」

 「……何?」


 ティルフィングの指差す先を見ると確かにアンジェリカから剥がれた炎の巨翼が宙に浮かんだままになっていた。変わらず灼熱を周囲に放っている。


 「おいっ!双魔!大丈夫か!?」


 双魔を援護して一番近い場所にいたハシーシュが駆け寄ってきてくれた。


 「何とか……多分シスター・アンジェリカも大丈夫なはずだ……ただ……」

 「そうか!分かってる、このクソ炎……って形変わってねぇか!?」

 「……まさか」


 ハシーシュの緊迫した声に双魔も目を疑った。炎は翼の形状を崩し、うねりにうねり、渦を巻き、やがて竜巻へと姿を変えた。そして、少しずつ舞台の上から動き始める。このまま闘技場の外に出しては不味い。学園が、ロンドンの街が火の海へと、地獄へと変貌してしまう。


 (っ!“悪神の霊柩”ディーブ・タブートを……)


 双魔が手を掲げて空間魔術を発動しようとしたその時だった。


 「なっ!?」


 天炎の竜巻が突然黄金の球体結界に包まれた。そして、呆気にとられる間もなく、結界は収縮していき、包み込んだ竜巻ごと消え去ってしまった。


 「今の力は…………」

 「兄上!?」


 ハシーシュが驚きの表情で後ろを振り返っていた。疲労で満たされた身体で何とか首をそちらに回すといつの間に現れたのか、観客席の最前列にジョージが腰を掛け、隣にプリドゥエンが立っていた。


 「非常事態によく頑張ってくれたね。全部を若者に投げてしまうのはあまりにも無責任だ。今のはせめてものお詫びだと思ってくれ。それでは、私は帰るよ」

 「……兄上!」


 ゆるりと立ち上がって踵を返したジョージの背中にハシーシュが呼び掛けた。ジョージはその声を聞いて振り返った。


 「ハシーシュか。元気にやっているかい?」

 「……お蔭さまで」

 「それならよかった。可愛い妹と話せて嬉しいよ。今回は会えないと思ったからね。ああ、そう言えばいい加減いい人は見つかったかい?私も早く安心したいんだ」

 「っ!その件は放っておいてくれって言っているでしょう!他にも言いたいことは色々ありますけど……」


 ハシーシュは珍しく子供のように不貞腐れているようだった。全く似ていないが兄妹仲はいいというシグリの話は本当らしい。しかし、ハシーシュの表情はすぐに真剣なものに変わった。


 「……私のことより……顔は見ていかれないのですか?」

 「……」


 ハシーシュの意味深な問いにジョージは微笑を浮かべて、再び踵を返して歩き始めた。それきり、一度も振り返ることなく、“聖剣の王”は去っていった。


 「……不器用なのもいい加減にしろよ……お互いに……」


 ジョージの何処か悲しげに見えた微笑みとハシーシュが絞り出すように呟いた言葉。双魔は何も分からない。何と声を掛ければいいかもわからなかった。この兄妹のやり取りに未来、自分が関わることになるとは今の双魔は知る由もなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「双魔さんっ!大丈夫ですか!?」

 「後輩君、大丈夫?」


 ジョージの消えていく背を見送った直後、今度は後ろからクラウディアとロザリンの声が聞こえた。また首をオイルの切れた機械のようにぎこちなく動かすと、クラウディアをおんぶしたロザリンが立っていた。鎧はないが犬耳と尻尾が生えている。集中していて気がつかなかったが、“真装”を発動して援護してくれていたらしい。


 「ん……なんとか……」

 「ああ!動かないでください!すぐに診ますからっ!」


 クラウディアはロザリンに下ろしてもらうと双魔に駆け寄って触診をはじめた。少しくすぐったいが真剣に見てくれているクラウディアに悪いので為されるがままになっておく。


 「ロザリンさん、ありがとうございました」

 「ううん、後輩君こそお疲れ様。大変だったね?」

 「……そうですね?」

 「あの力、何だったんだろうね?」


 ロザリンは不思議そうに首を傾げた。「あの力」とはデュランダル目掛けて降ってきた炎のことを言っているのだろう。正直、双魔にも見当はつかなかった。


 「……信じられない……何処も傷ついてない……ってそれもそうですけど!さっきの変身は何だったんですか!?あの女神様みたいな……ひゃっ!?」


 色々と予想外で混乱の百面相をはじめたクラウディア。双魔はその可愛い額に人差し指を当てた。クラウディアは驚いて変な声を上げる。


 「あとでちゃんと説明する。それより、そっちも診てやってくれ」


 双魔はクラウディアの額から指を離すと、そのまま横たえられたまま意識を取り戻さないアンジェリを指差した。


 「わっ、分かりました!!」


 慌ててアンジェリカの方に向き直ったクラウディアは双魔と同じように触診をはじめた。途中で焼け焦げた修道服に手を掛けたのが見えたので視線を逸らしておくと案の定、ビリビリと服を破く音が聞こえてきた。


 「おい、ティルフィング」

 「む?ゲイボルグ?」 


 ティルフィングがゲイボルグに呼ばれてとてとて歩いていった。向かって行ったのはアンジェリカの方なので双魔は見ることができない。


 「この阿呆を抜いてやれ。そこの嬢ちゃんは錬金技術科に連れてかれるのにコイツだけ残しても仕方ねえからな」

 「確かにそうだな。うむ!任された!」


 如何やら舞台に深く突き刺さったまま人間の姿に戻らないデュランダルの処遇を話しているようだ。そんな二人のやり取りを聞いて緊張の糸が切れたのか、双魔は途端に瞼が重くなってきた。


 「後輩君、眠い?」

 「……そう……ですね……」

 「うんうん、後は任せて。寝ちゃってもいいよ?」


 ティルフィングの代わりに屈んで双魔を支えてくれていたロザリンが耳をピコピコ動かしながら優しくそう言ってくれた。


 「……それ……じゃあ…………お言葉に……甘え……ま…………」


 覗き込んでいた双魔は安心したように瞼を閉じた。そのまま穏やかに寝息を立てはじめる。その寝顔を見たロザリンの大きな尻尾はフリフリと嬉しそうに揺れていた。


 こうして、緊急事態に結果は有耶無耶となったまま、少年と“英雄”の決闘それ自体は幕を閉じることとなったのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 闘技場での大事件に立ち会った者が皆去った後、誰もいなくなったはずの闘技場に二つの影が姿を現した。観客席でコントのようなやり取りをしていた中華風の少女、朱雲とその契約遺物、青龍だった。


 「まさかあのようなことになるとは……実に予想外だった。“滅魔の修道女”と“聖絶剣”に降りてきたあの力は何だったのだ?それに……あの少年の闘いぶり、最後に見せた乙女の姿……両者ともに神気を感じたが…………朱雲?」


 青龍が妙に静かな朱雲に違和感を覚えて隣を見ると、朱雲は身動ぎ一つせず、崩れた舞台を一直線に凝視していた。


 「……あの方です……」

 「うん?」

 「太公望が仰られていたのはあの方に違いありません!私の直感がそう言っています!!」

 「な、何ぃ?」


 突然目をキラキラと輝かせて元気に飛び跳ねた朱雲に青龍は少々訝しげな表情を浮かべたがそんなものは彼女には見えていなかった。


 「アンジェリカ殿と対峙した時からそんな予感はしていました!しかも!しかも!あの方は道に迷っていた拙を助けてくださった素敵な殿方!間違いありません!早速、お願いしに行きましょう!って、あいたーーーーーー!!」


 興奮して今にも走り出そうとする朱雲の脳天に青龍の手刀が直撃した。朱雲の素っ頓狂な声が静寂の闘技場に響き渡る。


 「馬鹿者!あの少年はどう見ても今日はもう動けないと言った様であったろうが!少しは考えろ!」

 「なるほど!確かにそうですね!それでは後日にしましょう!」

 「……まったく」


 青龍は腕を組んで朱雲に飽きれていたが、朱雲はそんなことは気にしない。まるで運命のような出会いを感じて、ただ興奮と無自覚なときめきに心を躍らせていた。

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