第485話 格の違い

 訳が分からなかった。信じられなかった。舞台の上で聖十字教会最強の祓魔師、アンジェリカは膝をつき、平然と何もなかったかのように立つ“聖剣の王”を大きく開いた両の瞳に映していた。


 しかし、理解した。自分は敗れた。それだけは確かだ。どれだけ否定しようとも事実だ。デュランダルの一撃がプリドゥエンに叩きこまれる直前、黄金の輝きにデュランダルの剣気が霧散させられた。こんなこと初めてだった。主の、天使の、聖人の加護を受けた聖なる力が一方的に打ち消された。どんな力によってかは分からない。されど“聖剣の王”は自覚のなかった“滅魔の修道女”の自信を、矜持を圧倒的な実力差を以って打ち砕いたのだ。アンジェリカはもはや立とうとしても足に力が入らなかった。


 「……ここまで!この勝負、勝者はジョージ=ペンドラゴンとする!」


 ヴォーダンの声が呆然とするアンジェリカの意識を確かに取り戻させた。一瞬の静寂の後、耳障りな歓声が響き渡った。皆、ジョージを讃えている。アンジェリカを讃える声おあったが、今の彼女の耳には入らなかった。


 力なく握っていたデュランダルが一瞬、光に包まれ見慣れた伊達男の姿へと戻った。


 「シスター・アンジェリカ。お前も我を力を尽くした。それは間違いない……フハハハハハッ!それでも及ばなかった!持ち合わせる気はないが我には謙虚さが足りないな!!」

 「……貴方」


 デュランダルは敗れてなお楽しそうに笑ってアンジェリカを立たせる。そこにジョージとプリドゥエンが近づいてきた。


 「シスター・アンジェリカ、聖剣デュランダル。君たちの力は素晴らしかった。世界は安泰だ。私は安心したよ」

 「フハハハハハッ!当然だ!挑戦を受け入れてもらったことを感謝しておこう!」

 「……王」

 「これ以上はプリドゥエンに怒られてしまう。それではまた会う機会を楽しみにしているよ」


 デュランダルの礼を聞いて微笑むとジョージとプリドゥエンは舞台の上から去っていった。その背中をアンジェリカは呆然と見つめていた。


 「気に病むことはない。我も多くの者と闘ってきたがアレは特異だ。この状況では勝利することはできない。そういうものだ」


 そう言ってアンジェリカの背を軽く叩くデュランダルの横顔はいつもの不遜な笑みではなく歴戦の猛者、永き時を過ごす人知を超えた遺物としての顔だった。


 「……私のせいで負けたのではないということ?」


 アンジェリカはつい、口に出してしまった。完膚なきまでの敗北を初めて味わったせいか感情に起伏が生まれてしまっている。教皇の力の代行者としてあらざるべきことしてしまっている。


 「フハハ……そうだ。アレは仕方ない。当代の“聖剣の王”の実力を身を以って確かめられただけで良しとする。上はまだあるぞ、シスター・アンジェリカ。しかし、しかしだ……我らは聖十字教会の力の象徴だ。故に敗北のみをもって帰ることも出来まい……故に今度は我らが挑戦を受けるとしよう。気になっていることを放置するのは我の性分ではない!シスター・アンジェリカ、もう一勝負といくことにしよう!フハハハハハッ!!」


 高らかに笑うデュランダルの表情はいつもの不遜さが戻ってきていた。その笑顔を見て、アンジェリカはやっと冷静さを取り戻していく。彼の言う通り、自分は聖十字教会の力の象徴だ。無様な敗北だけをぶら下げて帰るわけにはいかない。しっかりと自分一人の力で立ち上がる。


 (私はデュランダルの望み通りにする。彼の足を引っ張ることは二度としない……私たちの力を示す)


 そこには、敗北を知り強さを増した“英雄”の姿があった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 時間は少し遡り、ジョージとアンジェリカが舞台上で対峙した頃。ハシーシュは学園内にあるとある一室の前に立っていた。手には双魔から預かった紙袋を持っている。


 コンッコンッコンッ!


 「……寝てるのか?」


 既に部屋をノックするのも三回目だ。本当に眠っているのかもしれない。が、もしものことがあっては大変だ。様子は見ておかなければならない。ハシーシュは了解をとるのは諦めてドアノブに手を掛けた。


 ガチャッ!


 鍵は掛かっていない。レースのカーテン越しに差し込む日の光で部屋の中は明るい。部屋の中心に置かれた天蓋付きのベッドには部屋の主が臥せっているのか毛布が盛り上がっていた。


 「邪魔するぞ……起きてるだろ?」


 ハシーシュの問いかけに帰ってきたのは沈黙だけだった。毛布の丘もピクリとも動かない。起きているのは間違いない。寝息とは違うリズムの呼吸が聞こえる。


 「……兄上が来るのを知ってたのか?それとも察知したか……気持ちは分からないでもないけどな……いつまでもこのままって訳にはいかねぇぞ?折角の機会だ。お互いに顔くらい合わせたらどうだ?」


 やはり、返事はなかった。ハシーシュの来訪をこのままやり過ごす心持ちなのだろう。分かり切っていたことだが、心の扉は完全に閉じ切ってしまっているようだ。


 「…………まあ、あまりうるさく言うのも性に合わないからな。気が済んだら……学園祭が終わったら評議会に顔出せよ。双魔もオーエンも、キュクレインもマック・ロイも心配してるぜ?お人好しばかりだな。クックック……ああそうだ、筋金入りのお人好しから差し入れだ。ここに置いとくぜ。じゃあな」


 キィィー……バタンッ!


 扉の閉まる音がした。普段は面倒臭がりで、だらしがない癖に実はお節介な叔母は出ていったようだ。静寂を取り戻した部屋の中でもぞもぞと毛布の丘が蠢き、やがて中からピンクのパジャマを着た少女が出てきた。ストロベリーブロンドの髪は乱れ、泣いていたのか赫い瞳は潤み、目の周りは赤く腫れていた。


 「…………」


 少女は憂鬱気にベッドの天蓋を見上げた。それから視線を下ろすと机の上に紙袋が置いてあった。ハシーシュが置いていったものだろう。


 ベッドから出て裸足のままで机のそばまで行き、紙袋の中身を取り出してみる。中身は見慣れない結晶がいくつも入った瓶だった。一緒に入っていたメモに走り書きで説明が書いてあった。お茶に入れると花が開く砂糖らしい。


 差し入れの主が誰とは言っていなかったが、面倒だと呟きながら世話を焼いている少年の顔が思い浮かんだ。


 「……私なんて放っておけばいいのに……誰も私に関わらなくてもいいのに」


 聞く者は自分しかいないのに、わざわざ声に出して呟いた。


 「っ!?」


 直後、大きな力を感じて身体を震わせた。この力は知っている。父の、“聖剣の王”の力だ。


 怖くなって、忌まわしくなって、寂しくなって、悔しくなって。少女は瓶を持ったまま再びベッドに戻って頭から毛布を被った。


 「……どうして?……普通の家に生まれたかった…………血も力もいらなかった…………あの人は……約束を……なんで……嘘つき……噓つきだ……」


 少女の、シャーロットの泣き声は誰に聞かれることもなく、くぐもった悲痛なその声は空気に溶けていくだけだった。


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