第472話 眠り姫の髪を梳いて
チーン!
エレベーターに乗り込んで二十秒もしないうちにロザリンの部屋がある階に到着した。人が住むことが目的のこの階は遮音の魔術が掛けられていて実に静かだ。
コンッコンッコンッ!
ゲイボルグの言う通り、時間がないため双魔は部屋の前に着くとノックをしてすぐにドアノブに手を掛けた。
(……いつも通り服は着ないで寝てるだろうが……見なければ問題ない)
ロザリンは部屋で眠るときは一糸纏わぬ生まれたままの姿だ。これまで事故で何度か見てしまったことがあるが、流石になれてきたので、最近は上手く対処できるようになってきた双魔だ。
「ロザリンさん、おはようございます!入ります……よ……」
ドアノブを回して扉を開くと双魔は部屋の中に一歩踏み入った。そして、思いもよらぬ光景を目にした。いや、してしまったと言った方がいいだろうか。
「あ、後輩君。おはよー……ふぁふ……」
双魔の予想に反してロザリンは起きていた。双魔の目の前でしっかり立っているが、風呂上がりらしく上半身は肩にバスタオルを羽織って、下半身は水色のローライズショーツ一枚。つまり、八割九分裸だった。
「……失礼しました」
バタンッ!
双魔は思考を処理しきれずに一度扉を閉めて廊下に出た。久々にばっちりロザリンの綺麗な肢体を目に焼きつけてしまった。無抵抗に体温が上がる。悲しいかな、男の本能がしっかりと働いていた。
(っ……まさか起きてるとは……いや、自分で起きれるようになったロザリンさんの成長は喜ぶべきだろうが……これは……よかった、ティルフィングがいなくてよかった……と言うか、またゲイボルグに嵌められたのか?…………いや、何を思い出してるんだ俺は…………)
『後輩君……後輩くーん?』
双魔が思考回路にショートを起しているとドアの向こうからロザリンの呼ぶ声が聞こえた。落ち着きは完全に取り戻せてはいないが返事をしないわけにもいかない。
「……なんですか?」
『入ってきて』
「……服は着ましたか?」
『?うん、シャツとズボン』
「……本当ですね」
『うん。後輩君に嘘はつかないよ?』
「…………」
双魔は恐る恐るドアを開けた。前に一度、「服を着た」と言ってほとんど裸だったことのあるロザリンだ。が、少し部屋を覗くと言った通り白いTシャツと短パンを身に纏っていた。
(……ほっ……)
双魔は心の内で胸を撫で下ろすと今度こそロザリンの部屋に入った。
「おはよう、後輩君」
「ええ、おはようございます。そろそろ下に行かないと二日目が始まりますよ」
「うん、だから、髪を乾かして欲しいの」
「は?髪を?」
「うん」
よく見るとロザリンの若草色の綺麗な髪は濡れていた。風呂から上がったばかりでドライヤーの音も聞こえなかったので当たり前と言えば当たり前だ。が、双魔は思わず首を傾げた。
「どうして俺に?」
「?いつもはゲイボルグにやってもらうけど、今はいないから」
「……ゲイボルグに?」
衝撃の事実。なんと、ロザリンの美しい髪の手入れの一端をゲイボルグが担っていた。あの前脚でどうやっているのか分からないが何故かゲイボルグが出来てもおかしくないと思ってしまう。
「お願い」
「……分かりました……俺流のやり方でいいですか?」
「うん」
ロザリンはコクリと頷くと鏡台の椅子に座った。双魔の腕に何ら疑いを抱いていない。ここまで信用されるとむず痒い。
「じゃあ、いきますよ?」
「うん、よろしくね?」
さっさとやってしまわないと邪念が生まれそうなので早速取り掛かる。双魔はロザリンの濡れた髪を両手でそっと持ち上げた。そして、手に魔力を集中させる。すると次の瞬間、双魔の手から温風の渦が巻き起こりふわりと若草色の髪を浮かせた。
基礎魔術の一つである風の魔術を応用したものだ。家電製品がないところで重宝する魔術師の生活の知恵的な術でもある。
「んっ」
ロザリンが少し身動ぎをした。くすぐったかったのかもしれない。しかし、時間もないので黙って続ける。下から上に、双魔が手を動かすのに合わせて手の中の温風の渦も移動し、髪を乾かしていく。うなじの辺りまで乾かすと今度は頭の天辺から包み込むように手を当てた。ふわふわと草原のように髪の毛が揺れて、水分が飛んでいく。
「んんっ」
くすぐったかったのか、またロザリンが身体を震わせた。全部乾くまでもう少しだ。
「……ん、こんなもんか。もう少し待ってくださいね?櫛はありますか?」
「うん。これ」
双魔はロザリンから櫛を受け取ると今度は左手から冷風を起して髪を冷やし、右手に持った櫛で髪型を整えていく。ロザリンの髪は素直なストレートなのでさして苦労もなくすぐに整えることができた。
「ん、こんなもんかな……どうですか?」
「うんうん、ありがとう。後輩君、上手だね?」
「まあ、昔、師匠にやらされてたからですかね?」
「師匠?……竜のお師匠さん?」
「そうです」
(…………最近音沙汰無いけど……どうしてるかな?)
ふとしたきっかけだが双魔は久しく会っていない自分の師のことを思い浮かべた。と、同時にあることが気になった。
「……ロザリンさんはヘアオイルとか使わないんですか?」
「うん。匂いが気になるから」
ヘアオイルは髪の質を守るためには良い効果を発揮してくれるが嗅覚が鋭いロザリンには精油の香りを感じ過ぎてしまうのだろう。折角綺麗な髪なのに勿体ない。
「今度、香りの弱いヘアオイルでも持ってきますね」
「本当?」
「はい」
ルサールカに手伝って貰えば何とか作れるはずだ。材料もより取り見取りだ。きっとロザリン好みの者が作れるだろう。
(おっちゃんとルサールカさんにロザリンさんを紹介するいい機会にもなりそうだし……)
「んっ……後輩君、くすぐったいよ?」
「ん!すいません……」
無意識に髪の毛を撫でていたようでロザリンが身体を震わせてこちらを見た。微かだが笑みが浮かんでいる。普段は無表情な分、ロザリンの微笑みは魅力的だ。さっきとは違った意味でドキドキしてしまう。
「ううん。気持ちいいから、もっと撫でてもいいよ?」
「……そう言われましても……」
ロザリンは双魔の手つきがお気に召したようで、積極的に顔を手に擦りつけてくる。何とも言えない空気に双魔が動揺したその時だった。
『ピンポンパンポーン!ピンポンパンポーン!みんな!昨日は楽しんめたかなー!?みんなの恋のキューピッド!ついでにブリタニア王立魔導学園魔術科評議会議長のフローラ=メルリヌス=ガーデンストックだよっ!!』
大音量でフローラの陽気な声が響き渡った。反射的に懐中時計を取り出してみると針は開場の時刻を指していた。いつの間にかかなりの時間が経っていたらしい。
「ロザリンさん……不味いです」
「うんうん、分かった。すぐに着替えるね」
流石はロザリン。状況の把握と行動が早い。が、行動の方は早すぎた。双魔が部屋から出ていないのにTシャツの裾に手を掛けて一気に脱いでしまった。本日二度目なので、双魔は咄嗟に目を逸らすことができた。
「っ!!ロザリンさん!……俺は先に大会議室に行ってますから……」
「?うん、分かった。私も急ぐ」
背中を向けているが、ロザリンが頷くのが分かった。早く部屋を出ないと今度は何が起こるか分からない。双魔はそそくさと眠り姫の部屋を後にするのだった。
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