第五章「波乱の二日目」

第471話 二日目の朝

 静寂に陽の光が差し込み、鳥たちの囀りが歌を為す早朝。ブリタニア王立魔導学園のとある一室にて、彼は窓の外を見ていた。眼下には己も研鑽を重ねた学び舎が、引いては繫栄するロンドンの町並みが柔らかく照らされ始めている。


 「…………懐かしい。時が経つのは早いものだね…………私はもう、あの頃に戻ることはないだろう……運命を持って生まれてくるというのも考え物だ」

 「王、おはようございます」


 背後から外で歌う鳥のように可愛らしい声が聞こえてきた。ゆっくりと振り返るとプリドゥエンが立っていた。ジョージは微笑んで答える。


 「ああ、おはよう。懐かしい場所に来て昂っているのかもしれないね。今朝は自然と目が覚めたよ」

 「それはようございました…………御身のお加減は如何でしょうか?」


 「それも問題ないよ。侵されているとはいえ、毎日臥せっていては決戦への勝利など見えもしないからね。無理はしないつもりさ」

 「左様でございますか……ケントリス殿が朝食の支度をしてくださいました。お召し上がりになりますか?」

 「先生には気遣ってもらってばかりだね。もちろんいただくよ。今朝は調子がいい。でも、昼に備えて無理は禁物かな。プリドゥエン」

 「かしこまりました」


 プリドゥエンは傍に置いてあった木製の車椅子に手を掛けるとジョージに寄せた。


 「うん、ありがとう。よろしく頼むよ」

 「は」


 ジョージが車椅子に腰を掛けるとプリドゥエンは揺れが起きないようにゆっくりと押して部屋を出ていった。窓から差し込んでいた朝日が一瞬、途切れた。希望の目覚めを促し見守る太陽に一塊の雲が掛かっていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「おはようさん」


 ジョージが朝食に向かったのとほとんど同じ時間。双魔は鏡華たちより一足先に家を出て大会議室に来ていた。


 「「「……zzz……」」」

 「おう、早いな。昨日はよく眠れたか?」


 会議室で番をしていたメンバーは皆、椅子に座ったまま眠っていたが、宗房だけは起きていた。眠っている面子に気を遣ったのか、双魔に気づいても大きな声は出さなかった。


 「お陰様でな。イサベルたちは?」

 「女たちを男と同じ部屋にいさせるわけにはいかないからな。クラウもガビロールも、他の連中も隣の部屋だぜ。何だ?やっぱり婚約者が心配か?」

 「……悪いか?ああ、別にアンタたちを疑ってるとかそういうのじゃないからな?」


 双魔の返事を聞いた宗房はきょとんとしてからニヤリと笑った。


 「カッカッカッ!そりゃあ分かってるが……あの双魔が素直になったもんだ。女は男を変えるな?」

 「……ほっといてくれ。それより、鏡華から差し入れだ」


 双魔はぶすっとしたまま手に持っていた大きめの水筒を宗房に放り投げた。


 「おっとっと!危ないじゃねえか……あん?六道の姫さんから差し入れ?」

 「しじみの味噌汁」

 「カッカッカッ!流石、分かってるな。疲労回復には丁度いい。徹夜には効くぜ。んじゃ、早速いただくかな」

 「紙コップもあるぞ」


 双魔はそう言ってもう片方の手に持っていたビニール袋からホット用の厚手の紙コップを取り出して投げた。


 「悪いな。どれ……おお、いい香りだ」


 宗房は紙コップを取り出すとそこにトプトプと水筒の中身を注いでいく。白い湯気が上がり、だしのいい香りが部屋に広がった。


 「ん……んんん……ふぁあぁぁぁ……いい匂いだな」


 匂いに釣られたのかフェルゼンが目を覚ました。額に上げていた眼鏡をしっかりと掛けなおすがまだ眠そうだ。


 「おはようさん」

 「……ああ、双魔か。おはよう!」


 フェルゼンは双魔に気がつくとすぐに元気で爽やかな挨拶を返した。その声に反応して他のメンバーももぞもぞと起き出した。


 「差し入れを持ってきたんだ」

 「カッカッカッ!しじみの味噌汁は朝に効くぞ!味も美味い!ほら、お前らも飲め!」


 のろのろと動くメンバーたちに宗房が味噌汁を注いだ紙コップを配っていく。徹夜でも元気な宗房と、眠りからの覚醒が早すぎるフェルゼンと違って皆眠気眼だ。双魔も朝は強くないので身体の調子はよく分かる。


 ガチャッ!


 会議室の扉が開いた。隣の部屋にいた女子たちも目を覚ましたのだろう。これまでの準備の疲れもある。一日目が無事に終わった安心感もあってか、全体的に眠ってしまう者が多かったようだ。


 「……ふあぁ…………おはようございます……って!そっ双魔さん!?あわわっ!」


 最初に入ってきたのはクラウディアだった。可愛く欠伸をしていたが、双魔を見ると慌てて口を塞いでいた。恥ずかしかったのだろう。微笑ましい。


 「ん、クラウディアおはようさん。ああ、ちょっと」

 「へ?な、なんでしょうか?」


 双魔に手招きされたクラウディアは怯える小動物のようにそろりそろりと傍まで来てくれた。


 「いや、髪がな……」

 「え?へ?ひゃっ……」


 突っ伏して寝ていたのか柔らかい髪の毛が額にぴったりとくっついていた。双魔は指で髪を剥がして優しく額を撫でてやった。それで髪型は見慣れたように戻る。


 「ん、これでいい。お疲れさん」

 「ひゃっ、ひゃい…………ありがとうございます……」


 クラウディアは自分のおでこを両手で押さえると俯いて、消え入りそうな声でお礼を言った。


 (……ん?もしかして嫌だったか?……悪いことしたか)


 クラウディアの反応に双魔が親指でこめかみをグリグリ刺激するのを見て宗房はニヤニヤしていた。


 「双魔君、おはよう。昨日はよく休めたかしら?」

 「ん?イサベルか。よく休めた。そっちは大丈夫……大丈夫そうだな?」


 声を掛けてきたイサベルの方を見て双魔は苦笑した。そこに立っていたのはいつものイサベルだ。眠気を感じさせない凛とした表情、トレードマークのサイドテールも乱れることなく優雅に揺れていた。


 「ええ、少し仮眠をとったから」

 「ん、そうか……ああ、これ」


 双魔はビニール袋の中に残っていた宗房に渡したものより小さな水筒をイサベルに手渡した。


 「ハーブティーだ。スッキリするし、疲れにも効く。無理しないでくれ」

 「……ええ、ありがとう」

 「…………」


 イサベルは水筒を受け取ると照れくさそうに微笑んだ。双魔も釣られて笑ってしまう。


 「ヒッヒッヒ!色男は朝から違うな!見せつけられて困っちまうぜ!」

 「「っ!」」


 穏やかで、ほのかに甘い空気が聞き慣れた笑い声に霧散した。声のした方を見るといつの間にやって来たのかゲイボルグがニヤニヤと笑っていた。驚いたのか、やり取りを客観して恥ずかしさを覚えたのか水筒を胸に抱いて顔を双魔から逸らした。


 「……おはようさん……ロザリンさんは?」

 「ヒッヒッヒ!いつも通りだ。!ってなわけで、色男にはもう一仕事して貰わねぇとな?」

 「もう一仕事」、ゲイボルグのその言葉が何を意味するか、双魔はすぐに分かった。

 「…………」

 「お?察したか。その通り。今日も忙しくなるんだろ?さっさと眠り姫を起してきな!」

 「…………はぁ……」


 双魔は片目を瞑って頭を掻くと短いため息を一つ残して大会議室を後にするのだった。


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