第440話 ”錆びし煌剣”

 ティルフィングに優しく語り掛けたのは、もう一人、同じテーブルを囲んでいた錆色の簡素なドレスを纏った白髪の老婆だった。


 老婆は眼光は老いによって劣ることなく、背筋もしゃんとしている。手には裁縫針と丸い刺繡枠を持って、何やら縫物をしている。その手を止めて、ティルフィングに声を掛けたのだ。


 彼女の名は”錆びし煌剣”、スクレップ。双魔たちのクラスメイト、坊主頭と額の傷がトレードマークの巨漢、ウッフォ=グリュックス、双魔と鏡華の関係を羨ましがって男泣きしていた、あのウッフォの契約遺物だ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 スクレップはデンマーク王国の歴史書『ゲスタ・ダノールム』に語られる伝説の剣だ。


 かつて、デンマークはヴェルムンド王という名の強大な戦う王によって栄えていた。そのヴェルムンド王の愛剣がスクレップである。スクレップはどんなに固いものでも切断できる能力を持ち、この時点でも名剣であった。


 しかし、スクレップが遺物に昇華されるのはしばしの時が下ってからだ。ヴェルムンド王は彼の愛剣が自分よりも劣る愚物の手に渡るのを嫌い、王国に平和をもたらした後、地中深くに埋めてしまった。


 ところで、ヴェルムンド王には王太子であるウッフォという名の息子がいた。彼は屈強な身体を持つ大男であったが、生来、言葉を発さず、笑うことも一切なかったため、人々に軽んじられ、父王も彼を愚物だと嘆いていた。


 ヴェルムンド王の全盛期から二十年の時が経った。王は老いには勝てず、衰え、大人しくしていた隣国の一つが色めきだった。隣国の王はヴェルムンド王が老いたことと、跡継ぎであるウッフォが愚物であるという噂を聞き、一つの提案を持ちかけてきた。


 『両国の王子同士で決闘を行い、勝った方が負けた方の国を併合する。断れば即時戦争に踏み切る』


 それは提案ではなく、無理難題であった。ウッフォ王子は無能、ヴェルムンド王は力を失い戦争は不可能。王国は一気に存亡の危機に立たされた。


 謁見の間で頭を抱える王と側近たち。どちらを選んでも国は滅んでしまう。嘆きの声ばかりが聞こえる。そんな暗い雰囲気の中、一人の大男が姿を現した。ウッフォ王子だった。


 『父上、決闘を受けてください。私がこの国を守って見せます』


 誰も聞いたことのない重厚なウッフォ王子の声、初めは誰も王子の声だと気づかなかったが、次第に皆が気づき、謁見の間は騒めいた。王も呆気にとられていた。


 当然だこれまで一切声を出さず、病に取り憑かれた役立たずだと思っていた息子が、聡明な眼差しで「国を守って見せる」と言い出したのだ。


 『息子よ……お前は言葉を失っていたのではないのか?』

 『父上。私は父上の政は完璧だと感じていました。故に口を出さず、沈黙を通していたのです。しかし、今は国家存亡の危機。遂に立つ時が来たと覚悟を決め、私はここに参ったのです』


 ウッフォ王子の纏う王者の気風は最盛期の父王を上回るものであった。家臣一同は一瞬にして、王子への評価を改め、救国の英雄を得たりと歓喜した。


 父王も、息子の聡明さと慎み深さを見抜けなかった己を恥じ、息子と抱擁を交わし、隣国の提案した決闘を受けること決めた。


 ところが、ここでもう一つの問題が発生した。ウッフォ王子は父王に比肩する、否、それ以上の強力無双だった。城にあった武器は王子が一振りするだけでその力に耐え切れず、砕けてしまった。つまり、王子は徒手空拳で決闘に挑むしかなくなってしまったのだ。いくら王子が無双の強者であっても、武器を持った相手に確実に勝てる保証はない。されど、決闘は迫っている。さらに、王子の巨体に見合った鎧が城にはなく、仕方なくつなぎ合わせた鎖鎧で右半身を、楯で左半身を守ることにした。


 王子は完全なる不利のまま決闘に赴こうとした。その時だった。


 『王子よ……聡明なる王子よ。我が声に応えよ』


 地の底から何者かが王子に語り掛けてきたのだ。


 『何者だ?』

 『我は汝の父王の剣である。汝に力を貸そう。足元を深く掘るが良い』


 王子は怪しいとも思ったが、父の名が出たことで声を信じることにした。深く深く深く穴を掘っていく。そして、遂に剣は姿を現した。しかし、美しかったであろうその剣は無惨にも赤錆に覆われた姿に成り果てていた。


 『我を信じよ。勝利をその手に授けよう』


 手に取った剣はその見た目とは異なる力強い声でウッフォ王子に勝利を約束した。王子は父の剣を信じることにした。しかし、また自分の力に耐え切れず壊れてしまうのではないかと恐れ、試しに振ることはしなかった。


 そして、決闘本番。輝く鎧と煌めく銀の剣を装備した隣国の王子は不格好なウッフォ王子の武装と錆だらけの剣を見て、敵を侮った。


 『何と哀れな!我が勝利は間違いない!せめてもの情けだ。貴殿の一撃を受けて差し上げよう!』


 ウッフォ王子は楯を構える隣国の王子目掛けて錆びた剣を振るった。するとどうだろうか。錆びた剣はかつての切れ味を一切損なってはおらず、敵国の王子を頭から真っ二つに切り裂き、その勢いのまま地面に突き刺さってしまったのだ。


 『父の剣よ。約束を守ってくれたことを感謝する』


 ウッフォ王子に勝利をもたらした瞬間、スクレップは遺物となった。以来、スクレップはウッフォ王子の一族に受け継がれ、千年の時を経た現在。彼の聡明な王子と同じ名の少年と契約を交わしているのだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 スクレップは慎み深い性格から、ブリタニア王立魔導学園に所属する異物の中でも特に言葉に含蓄がある。誰もが耳を傾けずにはいられない言葉を持っている。


 「……スクレップ……」


 混乱して再び駄々を捏ねようとするティルフィングも彼女の声に落ち着きを取り戻した。そのまま、スクレップは諭すように続けた。


 「いいかい?ティルフィング、良くお聞き」

 「う、うむ……」

 「気に入らないからと頭から他人を否定することほど愚かなことはないよ。それは分かるね?もし、双魔に「嫌いだ」、「お前は契約遺物じゃない」なんて言われたらお前はどう思う?ああ、勿論、双魔がお前にそんなことを言うはずはないと思うけれどね」

 「………むぅ……それは………………っ!……」


 スクレップの言葉を聞いて、ティルフィングの眉は八の字になった。言葉も失ってしまう。双魔にそんなことを言われるなんて想像もしたくない。そして、あることに気づいて、思わずレーヴァテイン顔を見つめた。


 「……お、お姉様?」


 レーヴァテインは嬉しさに少しの怯えが混じり込んだような表情を浮かべていた。


 「…………」

 「その様子だと気づいたね。お前は賢い子だよ。それに付け加えておくと、今のお前とレーヴァテインを見て、双魔がどう思っているのかも考えてみな」


 レーヴァテインを沈黙のまま見つめるティルフィングに、スクレップは微笑みを浮かべた。自分の与えた一言で伝えたいことが伝われば誰でも満足するものだ。


 ティルフィングはしっかりと自分がレーヴァテインに酷いことをしていたことを自覚した。思いやりが足りなかったことに気づけた。わだかまりの根は浅くなさそうだが、これで一歩前進だ。


 「さて、人と人、今回は遺物と遺物なわけだけど。二人以上の間で問題が起きた時、片方だけが納得、我慢してもまた同じことをぶり返すだけだ。次は……レーヴァテイン、お前の番だよ?」

 「……わ、私……ですの?」


 レーヴァテインの顔から嬉しさが消えていき、代わりに怯えが強まった。


 「………………」


 その心の内を探るように、錆色の老淑女は蒼き少女を瞳に捉えていた。

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