第355話 平穏、そして嘆き
「……あら?話が少し逸れてしまったわね!それじゃあ、ここからは手短に話しましょうか!」
「いいのか?」
「ええ、いいのよ!今から話すのは私とティルフィングの思い出だもの!双魔が詳しく聞く必要なんてないわ!貴方はこれからたくさん、たーくさんっ!ティルフィングとの思い出を作るんだもの!それは私の願いでもある。だから、いいのよ!双魔なら分かってくれるでしょう?」
「……そうか」
優しく穏やかな笑みだった。フォルセティの心根が浮き出ているような笑みだ。そんな風に笑いかけられては双魔も頷くしかない。生まれ変わりと言うだけあって双魔とフォルセティ、根っこは同じだ。逆の立場でも双魔はフォルセティに同じことを言うに違いない。
「それじゃあ、少しだけ話すわね!何から話そうかしら?」
フォルセティは頬に手を当てると楽しそうにティルフィングとの思い出を語り出した。
毎朝一緒に水浴びをして長く綺麗なティルフィングの髪を梳いてやったこと。一緒に散歩をしたこと。食事をしている時のティルフィングを見て幸せだったこと。簡単な仕事を手伝ってくれるようになったこと。二人で花を摘み、作った冠を被せあったこと。
フォルセティが語るのは平和の神らしい何の変哲もない穏やかな日々だった。その生活のおかげか漆黒のだったティルフィングの髪は徐々に透き通るような銀髪に戻っていき、負の力が浄化されていったらしい。
一時は忌むべきものとティルフィングを蔑視していた神々の目も変わった。フォルセティとティルフィング、見目も似た二人の仲睦まじい様子を見て優しく見守るようになった。後ろ指を指す者など一人もいなかった。
抗う術を知らず闇に飲まれた無垢なる剣はついに聡明な女神の許で平穏を手に入れた。
「……でも、それも束の間のことだった……ティルフィングは何も悪いことをしていないのに、不幸が降りかかる……切っ掛けはある事件だったわ」
「事件?」
「ええ、ある日お父様……バルドルの暗殺未遂が起きたの。犯人はお父様の弟の一人、盲目の神ホズ。偶然その場に居合わせたトール叔父様の手で捕縛されたホズの裁定は私の手に回ってきた」
「……ちょっと待ってくれ……北欧神話ではバルドルの暗殺は未遂じゃなく成し遂げられたはずだぞ?それが切っ掛けで……ん?……どういうことだ?」
フォルセティの話に双魔は混乱するしかなかった。知識としての北欧神話ではバルドルはホズによって暗殺されているはずだ。しかし、フォルセティと共有した記憶では確かに未遂に終わっている。二つの記憶に大きな齟齬が生じているのは間違いない。
「言い忘れていたけれど……誰が何の目的で行ったかは分からないけれど現代に伝わっている北欧神話の内容は事実から改変されているわ。私は途中で死んでしまったから全貌は分からないし、それに気づいたのは双魔が北欧神話についての知識を得た時。私にとっても最近のことだけれどね」
「……改変…………改変か……」
混乱の原因は理解したがまた大きな謎が生まれた。事実を改変し後世に伝えたという謎の存在が明かされたのだ。しかし、それもひとまず置いておくべきだと双魔は思った。
「……ん、悪い話を逸らしちまったな」
「ううん、気にしなくていいわ。それじゃあ、続きを話すわね……”
ここで語られる神話からずれていた事実が軌道修正された。神話においてもバルドルの暗殺を図ったのはロキだ。神話ではその後、バルドルの復活を妨害し、神々を罵倒して逃亡の末捕縛され幽閉、拷問され、その恨みから”
「私はロキ小母様を”黄金と白銀の裁定宮”に召喚して話を聴こうとした……でも、小母様は何も語らずに逃亡した。ムスペルヘイムの王スルトの許へ……そして、スルトと共に数多の巨人たちや怪物を引き連れて神々の住むアースガルズへと攻め上ってきた。それが”神々の黄昏”のはじまりだった」
双魔も知っている。”神々の黄昏”の勃発はフォルセティとティルフィング、二人の永遠の別離の引き金だ。無意識にフォルセティも、双魔も表情を曇らせた。
「私は最後まで戦争に反対したけれど……それは叶わなかった。オーディーンの孫娘として戦場に立たざるを得なかった。私の役目は前線で戦うトール叔父様を中心とした神々の軍勢に対する支援と作戦立案だった。兵を手足の如く操る小母様を相手取るのは困難だったけれど何とか渡り合ったわ。でも……私はここで過ちを犯していた……償うことのできない過ちを……」
そう言って俯いたフォルセティの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。その一筋にフォルセティの胸の内が全て込められているように雫は重く、真っ直ぐに落ちていった。
「私はティルフィングを戦場に連れ出してしまった……”黄金と白銀の裁定宮”で待つように言ったけれど……離れたくないと泣きじゃくるティルフィングを置いていけなかった……私が真実を司るけれど、未来は見えないわ……私自身があの子に……ティルフィングに悲しい思いをさせてしまうなんて思ってもみなかった…………」
「……………………」
「好転していた戦況に油断していたのかもしれないわ……気づいたら胸に矢が刺さっていた。お父様の弱点であるヤドリギの矢が、命を吸い尽くす矢が刺さっていた。私は倒れた、傍にいたティルフィングは倒れた私の傍で大声を上げて泣きはじめた……あの子の悲痛な声を聞くと胸の矢傷なんて感じないほど苦しかった……すぐにおじい様たちも集まって来たわ。エイル……医術の神が傷を見てくれたけれど……誰よりも私が終わりを悟っていたわ……泣きじゃくるティルフィングに……私は悲しそうな顔をしないで?……泣かないで?……貴女が泣くと私も悲しいわ……笑って……なんて残酷なことを言ってしまったのかしら……それが……私とティルフィングの最後だった……あの時……私は何を言ってあげればよかったのかしらね……私は今でも分からないの……………………」
話を終えたフォルセティは俯いたまま何も言わなくなってしまった。
女神の、自分の悲痛にかけるべき言葉は双魔の胸の内にすぐさま浮かんでくることはなかった。
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