第302話 病み上がりへのおもてなし
「帰ったぞ!」
「お帰りなさい、あなた。双魔さんもいらっしゃい!身体は大丈夫なの?さあ、こっちに座って!座って!」
家に入ってヴォジャノーイの背中から下ろしてもらったと思うとすぐに笑顔で出迎えてくれたルサールカに暖炉の近くのロッキングチェアに座らされた。
「ルサールカさん……お構いなく……」
「何言ってるの?双魔さんを構わなくて何に構うの?少し待っていてね、もう直ぐお湯が沸くから。あなた、裏で適当にベリーを摘んできてちょうだい」
夫婦揃ってのやや強引さに少し引き気味の双魔を気にすることなくルサールカは座った双魔の膝に毛布を掛けると近くにあった藤籠をヴォジャノーイへと放り投げた。
ヴォジャノーイはそれを平べったい大きな手で受け取るとキッチンにある扉から外へと出ていった。
ルサールカも火にかけた湯気の上がるポットを見てキッチンに戻ってしまったので、双魔は大人しく待つほかない。
手持ち無沙汰な双魔はぼうっと暖炉の中で赤々と燃え盛る炎を見つめた。パチパチと音を立てて薪が燃えている。時折、パチンッと大きな音がなって大きな薪が割れて崩れ、火花が舞った。
頭の中に浮かぶのはさっきまで見ていた夢の内容。特に最後の場面だ。
『運命の収束点が近づいているわ』
銀髪の女が言っていた言葉が特に気になった。
彼女の正体はまだ正確には把握できていないが、あの力、ティルフィングと契約してから使えるようになった転身能力とそれに付随した諸々の力と関係しているのは違いない。
何しろ、あの力で銀髪の女体に変化したときの見目が夢に出てきた銀髪の女そのものだ。
グレンデルに腹を貫かれて致命傷を負い、覚醒した時にもあの女が現れた。
(ティルフィングの記憶がないのも関係ありそうだな…………それに……)
オーギュスト=ル=シャトリエの術で復活したムスペルヘイムの巨人を打倒したときに現れた仮面の神霊も何かを知っているようだった。
更にはティルフィングと瓜二つの蒼炎纏う遺物らしき少女レーヴァテインもいる。
謎を解き明かす欠片は多く手の内に入っているのに決定的な何かが足りないのだ。
問題はティルフィングのことだけではない自分のこともだ。ヴォーダンが言ったように自分の心臓が神の臓器、”神器(アーク)”だというのならむしろ問題の根本は自分、伏見双魔という人間にあると考えるのが自然なのではないのかと思えてくる。
(……運命の収束点、か……近いうちに何かが起こるのか?)
「坊主、眉間に皺が寄ってるぞ。何か悩み事か?」
思考の海の奥深くまで入りかけた所で聞こえてきたガラガラ声で双魔はハッと我に返った。
いつの間にか下を向いていた顔を上げると外から戻ってきたらしいボジャノーイが双魔の向かいに椅子を持ってきて腰掛けていた。
手には好物のカブトムシの砂糖菓子の入った缶を持っていて、中からテカテカと光るカブトムシを摘み上げて大きな口に放り込んでボリボリと嚙み砕いてご機嫌だ。
「いや、何でもない……」
「お待たせ、お茶が入ったわよ!双魔さん、どうぞ!」
「ん、ありがとう……」
ルサールカがテーブルに置いたカップを手に取って中を覗き込む。黒々とした色のお茶が湯気と共に香ばしい匂いを漂わせている。
「今日はたんぽぽコーヒーを用意してみたの!たくさん作ったからまた持って行ってちょうだい!」
”たんぽぽコーヒー”とはその名の通りたんぽぽから作った飲み物のことだ。根をよく乾燥させて細かく砕いたものにお湯を注いで淹れる。見た目からコーヒーと呼ばれているが味はそこまで苦いものではない。
「いただきます……ふー……ふー……ズズッ…………ん、温かい」
冷まして口に含むと程よい苦みと香ばしさ、ほのかな甘みが口に広がっていく。例えるなら麦茶により深みが加わったと言った感じだろうか。
暖炉の火で外側から温まった身体が今度は内側から温まっていく。
「それと、木苺のシャーベットも作ってみたわ。病み上がりなんでしょう?これなら食べやすいと思ったのだけれど……」
テーブルの上に置かれたガラス容器には木苺が凝縮された真っ赤なアイスが二玉と数種類のベリー、ミントの葉が盛りつけられている。
「お気遣いどうも、いただきます……はむっ……ん、冷たくて美味い……」
添えられたスプーンを手に取ってシャーベットを食べる。心地よい冷たさと甘酸っぱく濃厚な木苺の味が口いっぱいに広がった。
「ウフフ、口に合ったみたいでよかったわ!お代わりもあるから、もしもっと食べるなら言ってね!」
ルサールカはご機嫌な様子でヴォジャノーイのカップにもたんぽぽコーヒーを注ぐ。
暖炉の火にあたりながら。双魔は至れり尽くせりの穏やかなティータイムがはじまった。
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