第281話 魔王からの解放

 『……これは……何……だ?』


 ゲイボルグを封殺し、忌々しき空間から脱出するために術者を屠ろうと魔眼を怪しく煌めかせて振り向いたバロール。その瞳に映ったのは巨大な紅の氷塊、舞い踊る小さな黄色い数多の花弁、そして漆黒の魔眼を輝かせた若草髪の少女の姿だった。


 『ぐがっ……ぐっ……グググググッ……』


 一瞬で全身が強張り、重くなる。そのまま身体が指先から動きを止めていくのが感じられた。


 「やっぱり、魔眼は自分にも効くんだな。自慢の魔眼を自分で喰らってみた感想はどうだ?」


 氷塊の向こうから、あの魔術師の声が聞こえてきた。魔王を恐れ、臆する様子の一切ない覇気に欠けた声だった。


 『……鏡……か……こ……小癪……な……』


 ”魔の視線には鏡を以って抗する”古来より世界各地に伝わる必勝法だ。ギリシャ神話に名高い石化の魔眼を持つメドゥーサも鏡によって征された。もちろん、バロールも鏡を差し向けられたことがないことはなかった。


 しかし、魔王バロールの巨大な身体を映し、尚且つ視線に込められた強力な魔力に抗い跳ね返す鏡など存在しなかったのだ。


 が、自分の姿を映しているものはどうだ。正体は分からないが強大な魔剣の剣気によって形成された氷の鏡。そして、かつての巨体ではなく触れれば壊れそうなか弱い少女の身体。


 何もかもが在りし日の絶大な力を誇る魔王の姿からはかけ離れている。


 『己の……魔眼の……力を制さずに……何が魔王かっ!』


 身体は動かなくなってしまったが口は動く。バロールはそこに一縷の可能性を得た。


 そして、両の目を閉じた。その瞬間、魔眼の束縛から身体が徐々に解放され、引き戻されていく。油断はしたが今度こそ生意気な魔術師を魔眼で捉え、動かなくなったところを八つ裂きにしてくれる。バロールは心中でほくそ笑んだ。


 『次に余の魔眼が開いた時が貴様の最後だ!魔術師よ!』


 そう叫んだ次の瞬間だった。


 『……何だ?何が起こっている?』


 閉じた瞼越しに強烈な閃光を感じた。同時に今まで感じなかったある意味懐かしき気配、神の気配がバロールの前方に現れたのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ゲイボルグがバロールの気を引いている一方、双魔は再び剣の姿に戻ったティルフィングを手に先ほど”紅の霧氷ルフス・ネブラ”を発動したときのようにティルフィングを直角に構え、剣身に左手を添えた。

左足の捻挫が鈍い痛みを感じさせるせいで脂汗が顔や背から滴り落ち、集中の妨げになる。


 (ソーマ……足が……大丈夫か?)

 「……ああ、大丈夫だ……心配するな……スー……ハー……スー……ハー……ティルフィングやるぞ」

 (うむ!)


 双魔は深呼吸をして何とか息を整えると静かに解技デュミナスを発動した。


 「”紅の氷面鏡ルフス・スペクルム”」


 ティルフィングから放出される紅の剣気が双魔の正面に円形の盾のように渦巻いた。そしてそのまま紅氷へと変化する。一枚の巨大な氷壁が双魔とバロールの間に出現した。


 表面は水面のように光を反射して名前の通りまさに鏡だ。しかし、少々出来が荒い。


 「舞え”研磨酢漿草グリンドオクサリス”」


ティルフィングに添えていた左手を紅氷の鏡に向けて唱える。掌から浮かび上がった黄色い魔法円から小さな黄色い花が大量に溢れ出て鏡の表面ににこびりついては磨いていく。幾度も黄色の花が舞う。その度に氷鏡の精度は上がり、職人が仕上げたものと比べても遜色のないありのままを映し出す鏡が完成する。


 その直後だった。膨大な魔力の波を感じたかと思うと高速移動を繰り返し、分身を生み出してバロールを翻弄、双魔の頼み通り時間稼ぎをしていたゲイボルグの動きが空中でピタリと停止した。


 (ソーマ!来るぞ!)


 ティルフィングの警告と共にバロールがこちらへと振り向き、鏡に映った己の姿、魔眼を見て硬直した。


 『……鏡……か……こ……小癪……な……』


 氷壁の向こうから忌々し気な声が聞こえてくる。


 『己の……魔眼の……力を制さずに……何が魔王かっ!…………次に余の魔眼が開いた時が貴様の最後だ!魔術師よ!』


 続けて聞こえたバロールの悔し気な声と共に魔眼から発せられていた魔力が弱まった。


 「……目を閉じたか……ここまで計算通りに行くと怖いが……次がメインだからな」


 そうぼやくと双魔はティルフィングの柄を両手で握りしめた。そのまま、両目を閉じて全身から余分な力を抜く。数秒経たないうちに何度か経験したあの力が何処からか湧きだし、奔流となって身体を満たしていく。

双魔の身体が激しい閃光を放った。そして数瞬後、双魔はゆっくりと両の眼を開いた。


 「…………」


 紅の氷壁に映る己の影は黒いローブに身を包んだ姿ではなく、金糸の白衣を纏った銀髪の乙女に、両手に握られたティルフィングも白銀の剣へと姿を変えていた。


 左足の痛みもすっかりと消え去っている。双魔はティルフィングを右手に持ち替え、軽やかに跳んだ。高く聳えていた氷壁の上に立つと眼下では黒い魔力を迸らせるロザリン、否、バロールが瞳を閉じ、忌々し気な表情で立ち尽くしていた。


 さらにその向こうではゲイボルグが固まっている。


 「さて、さっさと終わらせるか」


 一言、涼し気に呟くと氷壁の上から飛び降りた。バロール目掛けて、生まれながらにして魔王の呪いを封じられ、鎖に縛られたロザリンを解放するために。


 双魔の胸には不思議と不安は一切存在しなかった。


 それと同時に閉じられていたバロールの左眼が開いた。気配を感じ取ったのか鏡を直視する過ちを犯さずに宙より迫る魔術師を確実に魔眼で捉えた。


 しかし、そこにいたのは魔術師ではなく白銀の乙女だった。


 乙女は魔の視線に捉えられたにもかかわらず凍てつくことなくバロールに接近してくる。


 『ばっ!馬鹿な!余の魔眼が効かぬだとっ!貴様っ!まさかっ!?光の神の系譜っ…………』


 その瞬間、バロールの目に映る時間は急激に緩んだ。髪を輝かせた乙女がその手に握った白銀の剣を振りかぶる。


 「魔王よ、魔眼の魔王よ。解放を与える、疾く退去せよ!”真実の剣ヴァール”!」


 乙女の裂帛の声と共に白銀の剣が閃いた。袈裟懸けにバロールの身体を斬った。操られたロザリンの身体から鮮血が噴き出ることはなかった。その代わりに一閃された傷が光輝き、そこからどろりとどす黒い煙のようなものが流れ出た。


 『ぐっ……グググググッ!ガガッガガァァァァァァァァ!』


 次の瞬間、おぞましく聞くに堪えない醜悪な悲鳴が空間内に響き渡った。傷口から黒い煙が大量に噴出し、高く上り雲のように空間の上部を埋め尽くしていく。


 やがて煙が止まるとロザリンの身体は後ろにふらつき、後ろに崩れ落ちる。


 「おっと……」


 双魔はそれを受け止める。それと同時に白銀の乙女は光を帯び、弾けた。双魔は元の姿へと戻っていた。左足にも痛みが戻ってくる。一瞬、崩れ落ちそうになったが腕の中で目を覚ましていないロザリンを見て何とか痛みに耐えて踏ん張った。


 「おいっ!双魔やりやがったな!」


 魔眼の呪縛から解き放たれたのかゲイボルグが嬉しそうに駆け寄ってきた。


 「ん、何とか上手くいった。ロザリンさんはバロールから解放されたと思う」

 「……さっきのことについては聞かねぇぜ。ま、気が向いたら話してくれや」


 ”さっきのこと”とは双魔とティルフィングが姿を変えたことについていっているのだろう。双魔もいまいち謎の力について掴み切れていない。ゲイボルグが敢えて口にしてくれたので変に気負うこともない。嬉しい心遣いだった。


 「ソーマ!大丈夫か?」


 ティルフィングが人間態に戻って双魔を支えるように寄り添ってくれた。


 今回は変身したときのことを覚えているのか聞いてみたいが今はそれどころではない。バロールをロザリンの身体から追い出したのはいいがまだ倒してはいないのだ。


 宙に目を遣ると黒煙は徐々に一塊に集束して何らかの形を取ろうとしているように見える。


 (……不味いな、ロザリンさんが起きてくれないと)


 双魔の背に冷や汗が伝った。バロールは引き剥がすだけで討滅はロザリンとゲイボルグに任せようと考えていたのだ。ロザリンには早く起きて欲しい。そう思いロザリンの顔を覗き込んだ。


 「…………後輩君、どうして私は後輩君にお姫様抱っこ?されてるのかな?」


 顔を覗きこまれたロザリンはつい数秒前まで意識がなかったはずなのにぱっちりと両目を開いて不思議そうに首を傾げていた。


 「……いや、その……」

 「ロザリン!今はそんなこと聞いてる場合じゃねぇ!さっさとバロールを倒すのが先だ!いけるか!?」


 思わず返答に詰まった双魔の声にゲイボルグが威勢のいい声を被せてくる。


 「うん、よく分からないけど、分かった。いける」

 「そう来なくっちゃな!」


 ロザリンは双魔の腕からするりと抜け出すと槍へと姿を変えたゲイボルグを手に取りくるくると回した。そうしてからジッと双魔のことを見つめた。


 バロールが居なくなった左眼はしっかりと開かれ、そこには漆黒ではなく翡翠の瞳があった。


 「……後輩君、覚えてないけど助けてくれたんだよね?……ありがとう……それじゃあ、行ってくるね」


 穏やかな笑みを浮かべ、踵を返してロザリンは頭上で渦巻く黒煙に対峙した。


 「ソーマ!」

 「痛ててて……クックック…………何とかなりそうだな」


 ティルフィングにもたれるように崩れ落ちた双魔もロザリンにつられて思わず笑ってしまった。


 その燐灰の瞳には学園最強の遺物使い”深碧の女帝”の勇壮な背が映っていた。


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