第四章「新しい恋敵?の気配」

第252話 ゲイボルグの親心

 ここ数日のロンドンは冬にもかかわらず光の神の加護を賜ったかのように雲一つない晴天が続いていた。


 この瞬間、地平線の彼方から姿を現す太陽の前に雲のヴェールはおろか、欠片すら浮かんでいない。今日も引き続き快晴となるだろう。


 「…………くー……すー…………くー…………」


 昇ってきた朝日の清浄な光が降り注ぐ部屋。その中心に置かれた大きな天蓋付きのベッドの上からは規則正しい寝息が聞こえてくる。


 「…………眠ったか」


 ベッドの上で気持ち良さそうに眠る少女、その傍らには深緑の毛並みが美しい大きな犬が少女の穏やかな寝顔を見てホッと一息ついていた。


 「…………ヒッヒッ……双魔に任せて正解だったな」


 今日で双魔に無理を言ってロザリンに付き合うように頼んでからちょうど一週間が経つ。


 はじめの内は普段通りだったが、段々とロザリンの口から双魔やティルフィングの名前も出るようになった。


 ティルフィングとは食いしん坊という共通点で気があったらしく仲良くしている。


 さっきも眠る直前まで双魔たちとの話をしてゲイボルグに聞かせてくれていた。


 初日から三日目までは一晩中双魔に付き合ってもらっていたのだが、ロザリンが双魔の疲労に気づいたため、今は夕方から日付が変わる頃までが双魔との親交タイムで、真夜中から日の出まではロザリンとゲイボルグの以前の日常だ。


 相変わらず感情が顔に出にくいロザリンだがどこか楽しそうに見えるのはゲイボルグの思い込みではないだろう。


 「…………そろそろ、行くかな」


 ゲイボルグはそろりそろりと音を立ててロザリンを起さないように気をつけながら扉に近づくと後ろ足で立ち上がって器用にドアノブを回して部屋の外に出る。


 音を立てないように尻尾で優しく扉を閉めると仄暗い廊下を歩いてエレベーターに乗り込み、扉を開けた時と同じようにして操作すると一つ上の階に昇った。


 チーン!


 ベルが高い音を鳴らしエレベーターの扉が開くと降りてすぐ目の前に大きな木製の扉が姿を現す。その上に掲げられた木札には”学園長室”の文字。


 テシッテシテシ!


 前足で三度扉を叩く。人間が拳で叩く硬質な音より大分緩い音だが来客を知らせるのにはこれで十分だろう。


 『どなたですか?』

 『フォッフォッフォ!今のようなノックをするものなどゲイボルグの他にいるまいて。グングニル扉を開けてやりなさい』

 『かしこまりました』


 扉の奥から生真面目な契約遺物と朝から高笑いする元気な老人のやり取りが聞こえてきたと思うとすぐに目の前の扉が内側から開かれた。


 「おはようございます、ゲイボルグさん」

 「ヒッヒッヒ!相変わらず固いな!グングニル!そんなんじゃ皺が増えるぜ?同じ槍なんだからもう少し気軽に付き合おうや!」

 「私の性分ですので、それに貴方も私も肉体年齢は重ねません。そもそも生き物ではないのですから」


 冗談を言っても梨の礫のグングニルの相手はそこそこにしてさっさとヴォーダンの傍まで歩いていく。


 「いい匂いがすると思ったら、美味そうなもの食ってるじゃねぇか…………邪魔したか?」


 ヴォーダンは朝食中だったようで来客用のテーブルの上にパンの入ったバスケットやたティーポットやら湯気の上がる料理の乗った皿を広げ、これまた来客用のソファーに寄りかかりながらティーカップを傾けていた。


 「いやいや、構わん構わん。そろそろ来ると思っておった故。どうじゃ?キュクレイン君は馴染めそうか?」

 「ああ、元々人嫌いってわけじゃないからな。今日は評議会に行くとさ……去年も議長なのに皆のために出来ることが少ないって気にしてたみたいだからな……まあ、どっかの大魔術師が事情抱えてる奴に議長なんかやらせるのが悪いんだけどな!」

 「なんじゃ、お主、儂に文句が言いたいのか?フォッフォッフォ!余程、キュクレイン君が可愛いと見える」

 「ああ、可愛いね。クーフーリンを入れた今までの歴代契約者の中でロザリンが一番可愛い!契約者連中はほとんど壮絶に、戦士として死んでいった。奴らはそれを望んでいたが……今は時代が違う……幸い多少は落ち着いた世の中だ…………俺はロザリンには普通の幸せってもんも……謳歌して欲しい」


 どこか遠くを見るように静かにそう語るゲイボルグの眼は多くの別れを経験してきた者の、達観を帯びた悲愴なものだった。


 「…………ゲイボルグよ」

 「あん?」


 ゲイボルグのロザリンへの慈愛に満ちた思いを耳にしたヴォーダンは手にしていたティーカップを静かに置き、ゲイボルグの方へ向き直った。


 ゲイボルグの目にしたヴォーダンの表情は普段の好々爺然としたものではなく、魔術を極め、遺物を駆使し、若人を導く世界の最長点に立つ者の面持ちだ。


 「お主、”神器アーク”についてキュクレイン君に話したか?」


 ”神器”その言葉を捉えたゲイボルグの勇ましく立った両耳がピクリと動いた。


 「いや……ババアもロザリンの左眼についてはしばらく黙ってるように言ってたからな……まだ、本人は何も知らない……こともないな、アイツはボーっとしてるようで聡いからな、薄々感づいてるかもしれないが……アンタの方こそ、双魔に話はしたのか?アイツも””だろ?」

 「……うむ、伏見君もキュクレイン君と同じく、口止めをするよう言われている故な……その前に知っておったか……いや、知っていてキュクレイン君と伏見君を引き合わせたのか?」

 「へっ、当然だろ?それで?突然そんなこと言い出してどうしたんだよ?」


 そう言いながらゲイボルグの目つきは剣呑さを帯びる。


 ヴォーダンも自慢の顎髭を弄びながら目を細めた。


 「伏見君は……まだよい。じゃが、キュクレイン君には……数日中に命運を賭けた凶事があるやもしれん……」

 「……何かあったのか?」

 「…………マーリンから、予言を託された」

 「…………へっ!そうかい!あのエロ夢魔の野郎、自分はいい加減なくせに予言は百発百中だからな……厄介なことこの上ないぜ」


 軽口を叩きながらゲイボルグの声と表情は真剣そのものだった。


 「して、どうする?」

 「どうするも何も具体的に何が起こるか分からないしな。平穏に過ごして欲しいとは言ったがロザリンは大 英雄の末裔で神話級遺物ゲイボルグの契約者だ。困難は打倒してもらわなきゃな」

 「…………あい分かった。こちらも細心の注意を払っておくとしよう」

 「ああ、そうしてくれ。まあ、安心してくれていいぜ。俺の勘じゃ、どうにかなるはずだからな」

 「…………フォッフォッフォ!そうか」


 ゲイボルグがにやりと笑って見せるとヴォーダンも高笑いを上げた。


 「さて、飯の途中に辛気臭い空気にしちまって悪かったな!ついでと言っちゃなんだが俺にも何か食わしてくれねぇか?見てたら腹減っちまったぜ!」

 「フォッフォッフォ!よしよし、グングニル」

 「かしこまりました……お肉でよろしいですか?」

 「ああ、特上のヤツを頼むぜ!ヒッヒッヒ!」

 「少し待っていてください」


 ミニキッチンへと下がっていくグングニルを見送ったあと、ゲイボルグは窓の外に視線をやった。


 朝日の新鮮な光が冷たい空気に反射して煌めきが宙を舞っていた。


 (…………俺はロザリンの強さを信じるだけだ)


 飄々としながら、その本質は何処までも信義に厚い一条の誇り高き神話級遺物、碧狗槍ゲイボルグの姿がそこにはあった。

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