第三章「たくさん食べる女の子は嫌い?」
第237話 二頭の白狼
「……………………」
コツ……コツ……コツ…………
机を指先で叩く固い音が夕陽の差し込む黄昏の間を満たす静寂に小さな振動を与える。
音の主は一面ガラス張りの壁から部屋の中を覗く昇ることも、沈むこともない炎の如き光を放つ太陽を背に椅子に深く腰を掛けている。
コツ……コツ……コツ…………コツ…………
「…………ふー…………」
机を鳴らしながら仮面の君は吐息を漏らした。机の上に載せていない方の手は肘掛に預け、こめかみに指先を当てて何か思案しているような様だ。
「……クーン…………」
「……ワフ…………」
部屋の片隅で身体を横たえていた二頭の白い狼が主の悩みを察したのか立ち上がると心配げな鳴き声を上げながら傍に寄ってきた。
「……ああ、流石、私の孫たちだ……いい子だね、おいで」
「ワフ!……クーン……」
「ワフ!ワフ!」
椅子を少し引いて空間を作ってやると二匹はそれぞれ左右からやって来て仮面の君の膝の上に頭を乗せて、顔をこすりつけるように甘えてくる。
「よしよし……」
仮面の君が二頭の頭に手を乗せて優しく撫でてやると目を細めて気持ち良さそうにしている。
「…………うん……レーヴァが持ち帰った針はこちらでは余り増産出来ないようだからね…………お前たちの母を復活させる方に回そうと思ったんだが……やはり半神には効かないみたいでね…………どうしたものか…………」
千子山縣から入手した魔針の遺物は確かに死者の身体を蘇らせることが出来るが仮面の君が求めていた性能には届かなかった。
動く死体の駒は大量に必要だがそれには数が足りない。そして、狼たちの母を復活させるに当たっては憎悪の念だけではなく魂その者の蘇生が望ましい。
目的の達成まで時間が限られているわけではないがいつまでもてをこまねいていることもできない。
狼たちの頭から手を離し、椅子に身体を預け直して思案に戻ろうとした時だった。
二匹の狼の耳が仲良く同時にピクリと立ち上がった。
コンッ、コンッ、コンッ
その直後、部屋の扉がノックされた。ここに来るのは一人、否、一振りだけだ。
「入りなさい」
入室を許可するとゆっくりと扉が開かれる。
そこには白いドレスを身に纏った蒼く長い髪の美しい少女が立っていた。
「ご主人様、失礼いたしますわ」
ドレスの裾を摘まんで恭しく頭を下げると優雅な所作で机の前まで足を進めてくる。
「何か用かな?」
そう訊ねられた蒼の少女は手に持っていたらしき小箱を机の上に置いた。
「……レーヴァ、これは?」
「はい、ご主人様!以前お持ちした千子さんの針が使えないという事でしたので、ヴェルンドに見せたところ、興味を持ったようで改良してくれましたわ!」
「……ほう?」
”ヴェルンド”とは伝説に名を遺す神の御業を再現するまでに至った鍛冶師ヴェルンドを先祖に持つ偏屈な鍛冶師で先祖の名をそのまま使い裏の世界で名の通った人物だ。
先祖と遜色ない超人的な腕を持ち、世界に数少ない”遺物の治療”を行える者でもある。
人の要望などは一切取り合わないが遺物には寛容らしくレーヴァの頼みを叶えてくれたのだろう。
「それで……あの鍛冶師はどのように仕上げたと?」
「はい!ご主人様がおっしゃっていた通りお伝えしましたら、これなら神に近い者にでも効くだろうと」
「…………そうか、レーヴァ、よくやってくれた」
「はい!お褒めに預って私、とても幸せですわ!ウフフフフ!」
労いの言葉に小躍りしそうなほど喜ぶレーヴァに穏やかな眼差しを送りながら小箱に手を伸ばして中を確かめる。
箱の中には黒曜石のように黒く光沢を帯びた針が数本入っていた。
手袋で覆われた指先で一本手に取ると確かに以前の不安定さが消え、より濃密な生と死の狭間を結晶化したような強い力が感じられた。
「これは……素晴らしい……」
「あ!申し訳ございません、ご主人様。一つ、ヴェルンドから注意されたことがありますの」
喜びの園から戻ってきたレーヴァが何かを思い出したのか少し大きな声をあげた。
「うん?……ヴェルンドは何と?」
「はい、『初めて作った故、効力に絶対の保証はしない。多めに作っておいたから試用してから目的に使うことを勧める』と…………」
「ふむ……そうか…………」
作った本人が言うのだから試用はした方が良いのだろう。
仮面の君は箱のふたを閉め、机の上に置くと両肘をつき、組んだ手に額をつけて魔針の試用に相応しいものがないかと心当たりを探りはじめる。
「…………ワフ」
「ワン!」
二頭の白狼は主の邪魔になると考えたのか仮面の君の膝から離れるとレーヴァの傍に寄り挟むように姿勢よくお座りをした。
「あら、お利巧さんですわね」
「…………」
「…………」
レーヴァが感心して首を動かすとふわふわと蒼髪が揺れる。
白狼たちは「当たり前だ」と言いたげに澄ました表情を浮かべている。
「…………どうして私には冷たいんですの?」
すげない反応を返されたレーヴァは頬を膨らませて不満げだ。
そんなやり取りをしているわずかな間に仮面の君は標的と算段がついたのかゆっくりと顔を上げた。
「レーヴァ」
「はい!ご主人様!」
主に呼び掛けられたレーヴァは一瞬で明るい表情に変わり元気に返事をする。
「また、ロンドンに言って欲しい」
「はい、かしこまりました!」
前回はティルフィングと余り話す機会もなかった故、また機会が訪れたことが嬉しいのかレーヴァの顔は咲き誇る花のように輝きを増した。
「それと、だ」
「なんですの?」
「今回はその子たちを……スコルとハティも連れていきなさい」
「…………この子たちをですか?」
レーヴァは珍しく、仮面の君に困惑と不安と不満が入り混じったような顔を見せた。
先ほどのように白狼の兄弟、スコルとハティはレーヴァを自分よりも上位の者と認識していないのか突き放したような態度を取る。それがレーヴァの表情の原因だろう。
「ああ、今回に限ってはこの子たちの方が上手くできるだろう。レーヴァは監督役だ。スコル、ハティ、もしもの時はレーヴァの言うことを聞きなさい。いいね?」
「…………ワン!」
「…………ワフ!」
スコルとハティは短い沈黙の後、元気に鳴くと立ち上がって仮面の君に尻尾をフリフリと振って見せる。
「…………いい子だ。それじゃあ、私はこの子たちに仕込みをするからそれが出来次第行きなさい」
「か、かしこまりました!万事、私にお任せくいださい!」
不安が拭い去れないのかまたも珍しく答えを淀ませたレーヴァだったが返事はいつものように元気なものだ。
仮面の君は満足げに頷くと手招きをしてスコルとハティを己の傍へと呼び寄せる。
(……フフフフ……兄上は分かってやっているのかな?あの娘とティルフィングの周りには私に都合のいい存在が集まりすぎている…………いや、待てよ…………まさか……フフフ……これは今考えることじゃないな…………)
仮面の君は内心では愉快さにほくそ笑んだが、順調さに疑念も生じた。
それでも、歩みを止めることはしたくないと仮面の奥の瞼を一度強く閉じ、そして開いた。
仮面の眼穴からは確かな「己に本当の死を与える」という目的を違えない力強い眼光が放たれていた
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