第235話 時計塔の謎の部屋

 「…………おい、逃げないからそろそろ放せよ」


 ゲイボルグにローブの裾を咥えられて引かれる双魔は事務棟の廊下を進みながら不満げな声を上げた。


 それを聞いたゲイボルグは毛に覆われた三角の耳をピクリと動かすと立ち止まり、くるりと身体ごと振り返ってローブの裾を口から放した。


 「ヒッヒッヒ!悪いな、もう少し抵抗すると思ったんだ。ここまで無抵抗ならいいか!」

 「話は聞くって言っただろ…………」

 「ワン!確かにそうだったな!」

 「で?どこに向かってるんだ?用件は何だ?」

 「ヒッヒッ!そう慌てるなよ……待てない男は嫌われるぜ?」

 「…………」


 ゲイボルグはニヒルな笑みを見せるとまたスタスタと歩きはじめた。


 (…………こっちは……学園長室にでも行くのか?)


 今歩いている場所は別段これまで通ったことのないというわけでもなく最上階に学園長室のある時計塔を昇る魔力動のエレベーターの方向だ。


 そんなことを考えているうちにエレベーターが視界に入り、裾を放し双魔の少し先を歩くゲイボルグはエレベーターの前で足を止めた。


 「よっと」

 そして、器用に後ろ足で立ち上がり両の前足を浮かせると肉球でテシッと軽くボタンを押してエレベーターの扉を開くと乗り込んでいった。


 「双魔、早く来いよ」

 「……ん、ああ…………」


 (…………やっぱり学園長室に……いや、サロンか?)


 このエレベーターに乗るということは双魔が考えた二択しかない。


 時計塔は基本的に学生は立ち入り禁止の区域だ。最上階の学園長室。その一つ下の階はティルフィングやアイギスなどの学園関係者の契約遺物が集まるサロンがある。


 その他の階は何があるか一応臨時講師を務めていて通常の学生より多少学園の事情に詳しい双魔も聞かされてはいなかった。


 「…………」

 「よしよし、乗ったな!」

 「学園長に用か?それともサロンで何かあったのか?」


 思い当たる学園長室とサロンについて口にして見る。すると、ゲイボルグの反応は予想とは少しずれたものだった。


 「……あー、どっちでもないとだけ言っておくぜ……っと!」


 そう言うとゲイボルグは再び後ろ足で立って行先階のボタンを押した。


 押されたボタンはサロンの一つ下の階。双魔が一度も訪れたことのない階だ。当然何があるのかも分からない。


 「…………その階には行ったことはないんだが…………」

 「ワン!慌てるなよ!着いてからのお楽しみだ!ヒッヒッヒ!」


 (…………あー、ダメだ…………面倒事の予感しかしない……)


 双魔の問いに被せるようにゲイボルグが答える。


 カタカタカタと僅かに揺れながらエレベーターは上へ上へと昇っていく。


 時計塔の高さは百メートル近くある上にエレベーターはゆっくりと上昇するので目的の階までは少し時間が掛かる。


 「…………」

 「……………………」


 少し楽しそうなゲイボルグと目が半分死んでいる双魔という対照的な表情と沈黙が妙な雰囲気を生み出す。それが少し続き。


 チーン!


 やがて、目的の階に到着したことを告げる甲高いベルの音が響き扉がゆっくりと開いた。


 「よし、降りるぞ」

 「…………ん」


 ゲイボルグはスタスタと言ってしまうので双魔も少し警戒しながら後に続く。


 学園長室やサロンはエレベーターを降りるとすぐ目の前に大きな扉があるのだがこの階は違うらしい。


 エレベーターを降りると細い廊下があり、ゲイボルグはそれを右に進んでいく。


 「ここだ」


 仄暗い廊下はそこまで長くはなく突き当りにあったドアの前でゲイボルグは足を止めた。


 木製の簡素な造りの扉だ。時計塔の構造から考えてこの先にはそこそこの広さの部屋があると推測できた。


 「…………この部屋は?」

 「ああ、ここは俺の契約者ロザリンの部屋だ」

 「…………は?」


 ゲイボルグの答えに双魔は唖然とした。


 何せ、学園内に学生が住んでいるという話は聞いたことがなかったからだ。ハシーシュのようにしょっちゅう学園に泊っている職員はいるが、同じような学生がいるとは俄かには信じがたい。


 加えて、その住人が数時間前に話題に上がった遺物科評議会議長ロザリン=デヒティネ=キュクレイン、その人だと言う。


 正直、ゲイボルグが顔を出した辺りから何となく顔を合わせるような予感はしていたがまさか部屋に直接連れてこられるとは思いもしなかった。


 「何してるんだ?さっさと入ろうぜ?」


 黙ったままの双魔を見てゲイボルグは不満げな声を出した。


 「いや……部屋に入れってそもそも部屋の主……キュクレイン先輩に許可を得てないんだが…………それに女性の部屋に入るのもまずいだろ……」


 双魔はげんなりとした表情を浮かべてゲイボルグを見下ろした。


 「ヒッヒッヒ!何だ、女を二人をモノにしてるのに意外と初心だな!お前!」

 「…………人聞きが悪い言い方はやめろ。それに俺は常識を言ってるだけだ……」


 何故か楽しそうなゲイボルグだったが、双魔は帰りたくて仕方がなくなってきた。


 しかし、それを見抜いたのかゲイボルグは前足でテシテシと双魔の腿の辺りを強めに叩いてきた。


 「……痛いからやめてくれ…………」

 「ヒッヒッヒ!やめて欲しいならさっさと部屋に入るんだな!」

 「だから許可を…………」

 「ロザリンが赤ん坊の頃から一緒の俺がいいって言ってるんだからいいんだよ!もう起きてるはずだから大丈夫だ!」


 (…………”もう起きて”?どういうことだ?)


 何かが双魔の脳裏に引っかかった。ロザリンが普段、姿を現さない理由がゲイボルグの何気ない一言に詰まっている気がする。


 が、今はその追及も後回しだ兎に角、目の前の部屋に入ることは避けたい。双魔の面倒事センサーが振り切っている。


 「……いや、せめてどうして部屋に入る必要があるかをだな…………」

 「バウッ!あー!もう!ごちゃごちゃと!お前には入る以外の選択肢はないんだ、ぜっ!」

 「あっ!おい!」


 ガチャッ…………キーッ…………


 煮え切らない双魔の態度に業を煮やしたのかゲイボルグは突然後ろ足で立ち上がるとドアノブを前足で下してその身体でドアを押して開いた。


 「…………」


 双魔は驚きの声を上げたが、部屋の主の反応が気になり咄嗟に口を紡ぎ、顔を動かさずにそのまま部屋の中を視界に映した。


 部屋の位置的に丁度この時間は沈む夕陽が差し込むのか大きなガラス窓は斜陽の光を取り込み室内は真紅と黄金の織物のように美しい色に染められていた。


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