第一章「叡智集会」

第216話 愉快な客人

 二月の初旬。ロンドンの大火からおおよそ一月が経過し、被害を受けた街は九割方復興を果たしいつも通りの日常を取り戻していた。


 主に建物や道路といった土木分野の被害が大きかったわけだが、支援をかって出たイスパニア王国における魔術の大家ガビロール宗家当主、キリル=イブン=ガビロールの貢献もあって行政が当初想定した三倍の速さで復興はなった。


 「…………」


 夜の帳が降りて数時間後、ブリタニア王立魔導学園時計塔内の学園長室から部屋の主であるヴォーダン=ケントリスは無言で口元に笑みを浮かべ、自慢の髭を撫でながら街の光を見下ろしていた。


 コンッ!コンッ!コンッ!


 背後から扉を叩く几帳面な音が聞こえてくる。


 ヴォーダンが振り返ったところで部屋の外から声が掛かった。


 「ご主人様、お客様をお連れしました」


 聞こえてきたのはヴォーダンの契約遺物、グングニルの声だ。


 客人を出迎え、ここに連れてくるように言っておいたのでその用事を果たしたのだろう。


 「うむ、入りなさい」


 ヴォーダンは椅子に腰を掛けると入室を許可した。


 数瞬後に分厚い気の扉がゆっくりと開いた。


 開いた扉の向こうには三つの人影があった。


 一人はブリタニアには似つかわしくない東洋、日本の狩衣に身を包んだ長身で狐顔の男。


 年の頃は三十半ばと言ったところだろうか。短く切り揃えた黒髪には少々白髪が交じっている。


 ヴォーダンの顔を見ると笑みを浮かべて恭しく首を垂れて見せた。


 もう一人は若い女だ。ハニーブロンドの長く伸ばした髪を豪快にロールさせて両肩や背に垂らしている。


 グラマラスな身体をシースルー袖のエメラルドのブラウスと黒のタイトスカートが包んでいる。


 端正な顔に薄くメイクを施し、赤縁眼鏡を掛け、そのレンズの奥には気の強さを感じさせる吊り目の碧眼が覗いていた。


 表情は不機嫌そのもので豊満な胸を支えるように両腕を組んで仁王立ちしている。


 その対照的な二人の後ろに、メイド服を身に纏ったグングニルが控えていた。


 「フォッフォッフォ!二人ともよう来たの。まあ、掛けなさい」

 「では、遠慮なく……」

 「フンッ!」


 ヴォーダンに席を勧められると狐顔の男は静かに、赤縁眼鏡の女はドカッと音を立てて乱暴にソファーへと腰を掛けた。


 「お飲み物はいかがいたしましょうか?」

 「ああ、私は後で構いません、ヴィヴィアンヌ殿は……」

 「私も後でいい!」

 「…………かしこまりました」


 つっけんどんに返されたにもかかわらず、グングニルは気にした素振りも見せず、ソファーに座る二人に頭を下げるとヴォーダンの後ろに下がった。


 「さてさて、晴久よくこちらに来れたの……忙しかったのではないか?」


 ヴォーダンは狐顔の男の方を見てそう言った。


 「いえ、大きな儀式、追儺は済ませてきましたので後は各一門の当主たちに任せても大丈夫ですよ、帝のお許しも頂きました」


 そうにこやかに答えたこの男こそ、土御門晴久つちみかどはるひさ。魔術協会が定めた序列の第四位の席に座す世界で五指に入る大魔術師であり、”叡智ワイズマン”の称号を持つ大日本皇国の要であり、”史上最強の言霊使い”と称される。


 「そうかそうか……ところで、ヴィヴィアンヌや、お主は珍しく来たと思ったら偉くご機嫌斜めじゃのう?なんぞあったか?」

 「…………はあぁーーー!」


 ヴォーダンにヴィヴィアンヌと呼ばれた赤縁眼鏡の女が盛大な溜息をついた。


 女の名はヴィヴィアンヌ=ウィスルト=アンブローズ=マーリン。


 ブリタニアの英雄アーサー王を導いた大魔術師マーリンの血を引く魔術師で”花幻の魔女”と畏れられる聖フランス王国最強の魔術師だ。


 魔術協会が定めた序列は第七位、こちらも”叡智”の称号を得ている。


 見た目と違わず苛烈な性格をしており、接する際には細心の注意を払うべき危険人物とされている。


「不機嫌に決まってるでしょ!?貴方たちも聞いてると思うけどル=シャトリエの無能クズ息子がやらかしたせいで父親のクロヴィスは宮廷魔術団長を辞任!私にお鉢が回ってきたのよ!?面倒だから絶対にやりたくなかったのに!しかもブリタニアに来た第一目的は謝罪よ!?謝罪!?どうして私が頭下げなくちゃいけないのよ!全く、やってられないわ!?」


 キーっと喚いて、文句をまくしたてる割に頼まれたことはしっかりとやる辺り律義者であるヴィヴィアンヌを見て晴久は目を細めて笑っている。


 それに気づいたヴィヴィアンヌに睨まれてもどこ吹く風と言った様だ。


 「思い出したら腹立ってきたわ!赤ワイン持って来て!ガツンと来るのがいいわ!」

 「かしこまりました」


 ヴィヴィアンヌの注文に応えるべくグングニルは静かにミニキッチンへと下がっていった。


 「まあ、落ち着きなさい」

 「フンッ!」


 ヴォーダンに窘められたヴィヴィアンヌはソファーの背を預けるとプイッと子供のようにそっぽを向いた。

 その様子を見たヴォーダンと晴久は顔を見合わせて微苦笑を浮かべた。


 「お待たせいたしました。フランスのワインは慣れていらっしゃると思いましたので日本ワインをご用意致しました。日本固有のブラッククイーン種を使用した信州ワインです、香りと度数はやや控えめですが、ご要望にはお答えできるかと…………」


 ミニキッチンから出てきたグングニルはヴィヴィアンヌの前に静かにグラスを置くとそれに向かって瓶を傾ける。


 ドボンッドボンッ!豪快な音を立ててグラスのがワインレッドに満たされる。


 「どうぞ、ご賞味ください」


 瓶の口を布で拭くグングニルを横目にヴィヴィアンヌはグラスを手に取った。


 「…………フーン…………んっ…………」


 グラスの口を形のいい鼻に近づけて香りを確かめる。


 そして、真紅のルージュを引いた唇を付けるとゆっくりとグラスを傾け、瞼を閉じて味を吟味しているようだった。


 数瞬、室内には沈黙が訪れる。


 「……フフッ……なかなかいい味ね」

 「ありがとうございます」


 ヴィヴィアンヌの少々悪そうな笑みにグングニルは頭を軽く下げた。


 並大抵の魔術師は神話級遺物のグングニルにこのような態度は取ることはないだろう。


 見た目、言動、態度の全てから滲み出るヴィヴィアンヌの強者たる余裕が自然とそのような態度を取らせているのだ。


 「気に入ったわ、取り寄せるから後で詳しいことを教えなさい!」

 「かしこまりました」


 余程ワインの味が良かったのか先ほどと打って変わってヴィヴィアンヌの表情からは不機嫌さがほとんど消えていた。


 「晴久、貴方もどう?」

 「いや、私は葡萄酒は嗜まないから……」

 「あら、そうなの?つまらないわね…………」

 やんわりと晴久に断られたヴィヴィアンヌはまた子供のように頬を膨らませた。

 「ヴォーダン殿、そろそろ…………」

 「うむ、そうじゃのうはじめるか…………フォッフォッフォ!今回は何人顔を見せるかの?」


 晴久に促されたヴォーダンは髭を撫でてウキウキとした様子で何やら準備を始めるのだった。

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