第103話 賀茂家一門当主の訪問

 もう少しで陽が昇ろうという頃、陰陽寮は尚も忙しく動いていた。


 「うーん、まだ病み上がりって訳でもなくて安静にしてなきゃいけないはずなのに…………徹夜は辛いかな……」


 書類を膝の上に載せて覗き込みながら剣兎はやとはマグカップの中の冷めきったコーヒーを啜った。香りも霧散したのか、只々苦みだけが味覚に強く訴えてくる。


 「剣兎さん……無理は禁物ですよ。夜は剣兎さんにも来ていただく必要があります……一度仮眠を取った方がいいんじゃないでしょうか?」


 檀が読んでいた書類から顔を上げて剣兎の方を見る。


 「うーん、今の幸徳井殿に言われても…………ピンと来ないかな?」


 剣兎は疲れた笑顔を浮かべながら悪戯っぽく言った。檀の顔もよく見ると目の下にうっすらと隈が出来ている。夜に備えて、ここは一旦作業を打ち切って休んだ方が賢明かもしれない。


 しかし、その考えは飽くまで最善手だ。


 人員の配置、選定、まだ判明はしていないが山縣の潜伏場所が人が多い場所だった際の各所への協力要請。


 有事の際に禁裏を担当している他の一門との連携の確認等々、済ませなければいけないことはまだまだある。休もうにも休めないのが現実だ。


 (うーん…………そうは言ってもいざという時に対応できないなんてシャレにならないね…………さて、どうしたものか…………)


 コンコンコンッ!


 剣兎がそんなことを考えていた時、不意に開けっ放しになっていた部屋のドアを叩く音がした。


 誰が来たのかと二人揃ってドアの方を向くとそこには変わった風体の人物が立っていた。


 身長はドアノブから頭二つ分ほどしかなく、かなり小柄。陰陽寮の職員は部署や一門によって色こそ違うまでも制服を着用することになっているにもかかわらず、纏っているのは狩衣。


 おかっぱ頭の上には小さめの編み笠を乗せている。そして、何より特徴的なのはその下だ。


 清明桔梗せいめいぎきょう、すなわち五芒星が黒の墨で描かれた面布を着けているのだ。そのせいで顔が全く見えない。


 ただ、身のこなしから女性であることは分かる。剣兎は、もちろん檀もその人物のことは良く知っていた。


 「おや、賀茂殿」

 「葱子ねぎこさん!」

 「ふぇっふぇっふぇ!若いのにこんな時間までご苦労なことだね。二人とも」


 子供のように少し高い声で特徴的な笑い声を上げながら部屋に入ってきた女性。名を賀茂葱子という。


 土御門十二分家が一つ賀茂家の現当主にして魔力探知、網結界術の達人だ。帝のおわすこの京の都の守護の要を長年担っている土御門一門の大人物だ。


 余計な情報を加えると、素顔を見たことのある者はほとんどいないが、晴久によると「若くて可愛らしい」そうだ。顔を隠しているのはそのことが原因らしい。


 何はともあれ、扱っている術の性質上葱子は賀茂家一門の屋敷から出てくることは滅多にない。葱子自ら陰陽寮に足を運んできたことに二人は少なからず驚いていた。


 「お屋敷を離れてもよろしいんですか?」

 「私だって、たまには外に出たいんだよ。今は愚女に任せてあるからね。探知くらいなら大丈夫さ」


 どうやら後継者の孫娘に実践を積ませているらしい。そういえば昨日までいた春日の姿が見えなかった。


 中々のスパルタ式だが実に楽しそうな声だ。面布の奥は笑っているに違いない。


 「ほら、これを持ってきてやったよ」


 葱子は肩に掛けている鞄の中からペットボトルほどの巻物を取り出した。


 檀が立ち上がって受け取りに行こうとする。それを見て葱子は檀目掛けて巻物を放った。


 「っ!?葱子さんこれは?」


 驚きながらもしっかりと巻物をキャッチした檀が葱子の方に向き直る。


 「広げてみな」


 言われた通りに紐を解いてテーブルの上に巻物を広げる。


 剣兎は膝の上の書類を落とさないように注意しながら巻物が見やすいよう位置へと微妙に移動した。


 「これは…………」


 巻物の中身は京近辺、洛中と洛外一帯を表した地図だった。


 「北西、嵐山の辺りを見てみな」


 葱子に言われた通りに二人は地図の北西を見る。すると、ある地点に青白い点と赤黒い点がちかちかと光っていた。


 「この点は…………山縣と怨霊鬼ですか?」

 「そうさ、あんたの傷口とさっき屋敷に届いたうちの一門の若いのの遺体から魔力を検出して作った。一週間は機能するだろうから上手く使いな」


 そう言うと葱子はちょこちょこと歩いてきて檀の隣りの空いているスペースにちょこんと座った。


 「ありがとうございます。必ず、山縣を捕えて見せます!」

 「自分も、不覚を取って怪我の身ですが尽力します」

 「ああ、天全の倅をしっかりと助けてやんな」


 部外者である双魔たちの協力を得ていることを葱子は把握している。その上で「しっかりと助けてやれ」と言えるのは葱子の経験から剣兎たちが最善手を取っていることをしっかりと理解しているからだろう。


 先達の期待に溢れた言葉に檀と、そして柄にもなく剣兎も力強く頷いて見せた。


 「それでね、あんたたちに山縣のことについて話しときたいことがあったんだよ」


 意外な言葉に剣兎と檀は顔を見合わせる。


 しかし、よく考えてみると葱子は宗家の当主が先代の明久だった頃から賀茂家の当主の座についている。当時のことを知っていても何ら不思議ではなかった。


 「山縣については…………ですか」

 「是非聞かせていただきたいですね」

 「ふぇっふぇっふぇ!だからその話をしに来たって言ってるだろう?あんたたちが嫌だって言っても話すよ!」


 葱子は笑い声を上げ、冗談めかして言った。しかし、声はすぐに真剣なものに変わる。


 「私は当時から京を隈なく見てたけどね。あの事件は今でも分からない事が多い。その中でも私が今回と何か関係があるんじゃないかと感じた点が二つある」

 「二点ですか…………」

 「ああ、二つさ。まず、一つ目は山縣がおかしくなったであろう時期に妙な魔力が観測されていたこと」

 「妙な魔力ですか…………賀茂殿、どのように妙だったのですか?」

 「ふん、まずその魔力に気付いたのは私を含めて三人だけ。あとの二人は察しがつくだろ?」

 「……ご先代と晴久様ですね」


 檀の言葉に葱子は頷いた。当時の京において魔力感知に最も秀でた三人だ。晴久については幼年だったが既に世界序列第四位に上り詰める才能の片鱗を見せていたのだ。


 「私も明久様も妙だ妙だとしか言えなかったんだけどね、晴久の一言で腑に落ちたのさ」


 葱子は宗家の当主である晴久に敬称を付けない。


 本人曰く、『私は晴久のオシメを換えたこともあるんだよ?様なんてつけられるかい!』とのことらしい。


 「晴久はあれを”邪なる神の気”と言った。私は直接神様の気なんか感じたことはないけどね。言われてみればその通りだった。あれは狡猾な神やら最高位の化生の気で間違いない」

 「つまり…………山縣自身の蛮行は置いておくとして…………彼が狂った原因はその”邪なる神”だと」


 剣兎の推測を聞いて葱子は再び頷いた。ふわりと面布が揺れる。


 「ふぇっふぇっふぇ……山縣をとっ捕まえたらそっちも調べてみな」

 「はい!分かりました!二点目もお聞かせ願いますか?」

 「ああ、二つ目は事件が起こっている最中私を含めた誰一人として山縣の気配を察知出来なかったこと。まあ、晴久はどうだか聞いたことはないけどね。今回も鵺と怨霊鬼とやらの気配は追えていたけど山縣はさっぱりだ。どういうわけだか少し前からは反応があるけどね」

 「…………流れから考えると、その点についても”邪なる神”の加護の類と考えてよさそうですね。双魔さんの話では山縣は闇に溶けるように消えたとのことですし…………」


 「ああ、その線で良さそうだ。私の話はこれで終わりだ。よっと!」


 葱子は掛け声と共に勢いをつけて立ち上がった。


 「それじゃ、私は帰るよ」

 「賀茂殿、わざわざありがとうございました」

 「そんなこと気にしなくていいさね。気分転換になってよかったよ」

 「お気を付けてお帰りください」


 葱子は片手を上げて、振り返ることもなく部屋を後にした。


 「ふー…………貴重な話を聞かせていただきましたね」

 「うん、そうだね…………それにしても…………」


 思わぬ沈黙が流れる。二人とも意識が話を聞く方に向けてしまったため、疲れもあってか、すぐには書類の確認に戻れそうもない。


 「ああ、忘れてた」

 「「!?」」


 二人揃ってビクッと身体を震わせる。ドアの方を再び見ると葱子が顔を覗かせている。その後ろには何人か私服を来た者たちが立っていた。見たところ年齢や性別はバラバラだ。


 「あんたたち、その辺で一回休んどきな。うちの書類仕事が得意な子たち何人か声を掛けておいたからね。ほら」


 葱子が首を部屋の中に向けて振ると後ろに立っていた者たちがぞろぞろと部屋に入ってきた。


 「じゃ、私は今度こそ帰るよ。またね」


 葱子はそう言うと今度は本当に帰っていった。


 残された剣兎と檀は心の中で葱子に感謝の念を送りながら、賀茂家一門の面々に指示を出した後、仮眠室で泥のように眠るのだった。

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