第91話 仕切り直し

 「…………」


 怨霊鬼が去ったことを確認すると、双魔はポケットから端末を取り出すと通話ボタンを押した。


 『はい、幸徳井かでいです……終わりましたか?』


 ワンコールが終わる前に檀の声が端末を通して聞こえてきた。


 「はい、よろしくお願いします」

 『分かりました!すぐに向かいます!』


 そう言うと通話を切った。


 「双魔!」


 呼ばれた方を向くと鏡華が人間態に戻った浄玻璃鏡に抱かれて川を渡っているところだった。


 浄玻璃鏡はふわふわと宙を浮かんで川を渡り、岸に着くと鏡華をそっと下ろした。


 「双魔!先輩は!?」


 鏡華は地面に足が着くとすぐにこちらに駆け寄ってきた。


 「ん、応急処置は済ませた後はあの人たちが何とかしてくれるはずだ」


 振り向くと檀を先頭に白い制服を纏った集団が走ってきている。


 鏡華は鈴鹿のそばでしゃがむと両手でそっと鈴鹿の血塗れの手を握った。


 「鈴鹿先輩、しっかりね」


 握られた手が微かに動く。


 「すぐに怪我人を運んでください。治療はすべて信田しのだ家一門の皆さんにお任せします」

 「承りました。急げ!」

 「先輩のこと、お願いします」

 「お任せください!」


 鏡華が手を離すと鈴鹿は担架に乗せられて迅速に運ばれていった。


 入れ替わりに檀がやってきた。鏡華も立ち上がって双魔のそばに戻る。


 「まずは、鵺の討伐へのご協力ありがとうございました」


 檀は姿勢よく深々の二人に頭を下げた。


 「やると言ったのは俺たちだから気にしないでください……頭を上げて、これからの話をしましょう」

 「はい…………そうですね!」


 檀はやりきれない思いを押し殺して頭を上げた。


 「まずは、アレのことなんだが……」


 双魔の視線の先には鵺と武官たちが紅氷に封じ込められている。


 「はい、こちらに任せていただいて大丈夫です。鵺は土御門つちみかど一門で引き取ります。犠牲になった者たちは…………丁重に葬り、遺族の方々への償いも……」


 淡々とした口調だが、握りしめられた拳からは血が地面へと滴り落ちている。


 檀の視線の先には仕方のなかったこととはいえ騒速によって無残な姿になり果てた者たちが血の海の中に転がっている。


 やりきれない思いはその場の全員が共有していた。数秒間、双魔も、鏡華も、檀も、ティルフィングと浄玻璃鏡も無言で死者を悼んだ。 


 「すいません……そろそろ……切り替えます」


 誰よりも責任を感じているはずの檀がそう言った様子は見ていられないほど痛々しかった。それでも、散っていった者たちのために、双魔も切り替えることに努める。


 「そうだな、まずは一旦、陰陽寮に戻ろう。状況と情報の整理が必要だ」

 「分かりました。剣兎さんも待っているはずですから……では、車を手配しますね。それと確認しておきたいことがあるのですが……双魔さん、よろしいですか?」


 檀は端末で車を手配する旨を何処かに伝える。通話が終わると双魔に向き直った。


 「ん、大丈夫ですよ。どうしました?」


 軽く手を上げている檀の方を向く。


 「行方不明だった者や鵺、鴨川を覆っている氷のことについて何ですが…………」

 「ああ、そのことですか」


 ティルフィングの剣気から生じる紅の氷は通常の手段では溶けない。行為の魔術を用いても少しずつしか溶かすことができないのだ。


 学園長はいとも簡単に溶かしたようだが世界一の魔術師のすることは基準にならない。


 どうにかできないものかと、色々と考えているうちに行き詰った双魔は何となくティルフィングに尋ねてみたのだ。


 『ティルフィング、剣気で出した氷はどうしたら消えるんだ?』


 『む?』

 双魔の質問にティルフィングは首を傾げると目を瞑って数秒考えた。そして、パチッと目を開く。


 『我もよくわからないが……ソーマが消えろと念じれば消えるのではないか?』


 『…………そうか』


 ティルフィングの答えは明瞭至極なものだった。簡単すぎて逆に双魔には思いつかなかったのだ。


 かくして、氷の消し方はティルフィングの言った通りであった。


 試しに氷を出して「散れ」と念じると剣気はふっと消え去ったのだ。


 「そのことなら氷から出したいタイミングで言ってくれれば大丈夫です」

 「そうですか。それでは陰陽寮に向かう前に遺体の氷だけ消していただいてもよろしいですか?」


 川の向こう岸を見ると既に紅氷の塊一つ一つに檀の部下が付いていた。


 「分かりました、それじゃあ」


 双魔が念じると紅氷は風に溶けるように消えた。


 解き放たれて支えを失い倒れそうになる遺体たちを傍で構えていた者たちが抱きとめる様子が見える。


 「ありがとうございます。自分も部下に指示を出し終えたらすぐに向かいますので、お二人はお先に」


 檀が手配した一台の黒いセダンが橋のたもとにやって来た。


 「双魔……大丈夫なん?」


 双魔の乗り物酔いが酷いことを知っている鏡華が心配そうな表情を浮かべる。


 「ん……今は時間が惜しい。背に腹は代えられない……檀さん、それじゃあ」

 「ええ、後ほど」


 乗車する覚悟をした双魔を先頭に川原から道路に上がって車に乗り込んだ。


 「ごめんね、ティルフィングはん。狭くない?」

 「うむ、大丈夫だぞ」


 双魔は助手席、あとの三人が後部座席に座る。


 「……お願いします」


 全員がシートベルトを締めたのを確認して運転手に言うと車は走り出した。


 規制線を張っていたお陰で関係車両以外は道路を走っていない。信号も無視して陰陽寮への道を進んでいく。


 「…………」

 「…………」

 「…………」


 車内での会話は特にないまま十分も掛からずに陰陽寮の玄関前に到着する。


 車から降りると紗枝が出迎えてくれた。


 「みなさん、お疲れ様でした!昼間の部屋へどうぞ!…………って伏見さん!?大丈夫ですか!?」


 車に乗った双魔はやはり、無事とはいかず、顔を真っ青にして鏡華に支えられて何とか立っているといった様になっていた。


 「ソーマ……大丈夫か?」

 「ほら、やっぱり駄目やったやないの……しっかりし」


 ティルフィングと鏡華が心配そうに双魔に声を掛けている。


 「…………大……丈夫だ。檀さんが着くまでにはどうにかする」

 「そ、そうですか…………それではお部屋にどうぞ」


 部屋に入ると既に車椅子に背を預けた剣兎が既に待機していた。


 「やあ、おかえり…………双魔はどうしたの?」

 「ちょっと…………車にな」

 「ああ、そういうことか。まあ、幸徳井殿が来るまでそこで横になっているといいよ。情報は僕も共有させてもらってるからね。聞くこともないよ」

 「ん…………そうする」


 双魔は鏡華から離れるとソファにうつ伏せに倒れ込んだ。


 「双魔、上向いてた方がええよ」

 「ん…………」


 気持ち悪さが抜けないのか双魔はもぞもぞと少し気味の悪い動きで仰向けに態勢を変えた。


 「もう……しゃあないなぁ……ほら」


 鏡華は双魔の頭の隣に腰を下ろすと、双魔の頭を優しく持ち上げて自分の膝の上に置いた。


 「…………おい」


 見上げる鏡華の顔はほんの少しだが赤くなっている。流石にこれはまずい。頭を上げようとしたが、鏡華は双魔の額に手を置いて軽く押してきた。


 「ええの、この方が楽やろ?」


 確かに、この体勢の方が楽には楽だ。段々と気持ちよくなって色々という気もなくなってくる。


 「……………………っぷ……くくくく……」


 ただ、車椅子の上で必死に笑いを堪えている剣兎には後で意趣返しをしてやろうと思う双魔であった。

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