第90話 怨霊鬼の言葉

 鈴鹿と無精髭の男の間には巨大な影が巌のように立っていた。


 巨大な影は突然、鈴鹿の前に現れたかと思うと、拳を繰り出して鈴鹿を吹き飛ばしたのだ。


 鈴鹿はそのまま五、六メートル離れたところに背中から落ちた。


 「へへへ…………ぎりぎり間に合いやしたね」


 無精髭の男が立ち止まって再び唇を曲げて笑みを浮かべた。


 「あいつは……あいつが……怨霊鬼か!?」


 どういう訳か気配など一切感じさせずに突然現れたその姿。ボロ布を纏った巨躯、手に握られた長剣、そして顔には木製の仮面。


 剣兎から聞いた話そのままの姿が川原に堂々たる様で立ち、倒れた鈴鹿を見下ろしている。


 「それではあっしはこの辺で。お若いの、またお会いしやしょう!」

 「……はっ!?逃がすか!」


 怨霊鬼に気をとられて男への意識が薄くなった瞬間、男はわざわざ挨拶を残して、怨霊鬼とは逆に闇夜に溶けて消えていった。


 男を捕えようと召喚した蔦が空を切る。


 「双魔!先輩が!」


 鏡華の声に視線を鈴鹿に戻すと、騒速を杖代わりにしてよろけながら立ち上がっていた。


 先ほどまでは他人の血で染まっていた身体のあちこちから鈴鹿自身の血が流れ出ている。


 「チク……ショッ!…………テメ……が……話に聞いてた……ナントカってやつか……」


 項垂れていた顔を怨霊鬼へと向ける。


 その目は怒りに燃え、血走り、爛々と光っている。


 身体はとうに限界を超えているにもかかわらず、精神力だけで立ち上がっていることは誰がどう見ても明らかだ。


 「邪……魔…………しやがって……ふざけんなァ!」


 騒速を持ち上げると怨霊鬼に一矢報いようと右足を前に出す。


 「ぐっ…………クソっ!」


 しかし、そのままドサリと前のめりに倒れて雪の上に突っ伏してしまう。


 「ッ!?鈴鹿さん!鏡華悪い!」

 「うちはいいから早く!」


 抱いたままだった鏡華を離して川を一足飛びに飛び越える。


 その間にも怨霊鬼は鈴鹿との距離を詰めて長剣を振り上げた。


 「…………」


 鈴鹿は気を失ってしまったのかピクリとも動かなくなってしまっている。


 (間に合うか!?)


 このまま飛び込んでも一か八かのタイミングだ。


 鈴鹿まであと二メートル。非常にも刃は振り下ろされた。


 「クソォォォオオオオ!!」


 双魔は叫び声を上げた。目に映る光景はスローモーションのように緩慢に流れる。


 間に合わない!そう思った瞬間に異変は起こった。


 「…………」


 刃が鈴鹿に触れる寸前、怨霊鬼が剣を振り下ろす腕を微妙に動かしたのだ。


 双魔はそれに気づかなかった。


 何故なら、双魔のその目には鈴鹿の首に剣の切っ先が突き刺さったのをはっきりと捉えたからだ。


 「オオオオオオ!」

 「…………!」


 ガキイィン!


 突っ込んだ双魔が振るったティルフィングと怨霊鬼の持つ長剣が激しくぶつかり合う。


 両者の互いに押し合う力は一瞬拮抗したがすぐに双魔が怨霊鬼を押し込んだ。


 「…………」


 しかし、怨霊鬼はそれをどっしりと受け止めると数メートル、後ろに身を引いたあとに大きく剣を振るって双魔を思いきり弾き飛ばした。


 「ぐっ!ガぁ!」


 弾き飛ばされた双魔は雪の上を転がって、丁度倒れた鈴鹿のそばで止まった。

 「…………」


 怨霊鬼はそれを見て追撃を仕掛けることもなくただ立ち尽くしている。


 「…………?」


 不思議と怨霊鬼から敵意が消えてなくなった。


 その隙に双魔は素早く身体を起こして鈴鹿に近づいた。


 確認すると、首のすぐ横の地面に剣が刺さった跡がついている。鈴鹿自身は血塗れで傷を負っているが呼吸も脈もある。何とか命は無事のようだ。


 (ティルフィング、もし、アイツが動いたら頼む)


 (うむ!任せろ!)


 ティルフィングは人間態になると両手を広げて双魔たちを守るように怨霊鬼の前に立ちふさがる。

 双魔は治癒魔術でこの場で出来る限りの治癒魔術を施す。


 「檀さん聞こえてるか?」

 『はい、鈴鹿さんは無事ですか!?』


 端末の向こうの檀の声はかなり固かった。


 「ああ、取り敢えず命にかかわることはない」

 『そうですか……申し訳ありません」

 「謝ることはないよ……人死にを防ぐのも大事な役目だ」


 檀は状況を全て把握していたのだ。しかし、目の前で剣兎がやられたのを見た以上不要に人を動かすわけにはいかなかった。


 「俺から連絡するから医療部隊と一緒にこっちに来てくれ」

 『分かりました』


 そこで通話は途切れた。手を動かしながら話していたので鈴鹿の応急処置も同時に終わった。


 「…………」


 怨霊鬼はその様子を静かに見つめているだけで決して手を出して来なかった。


 特段、対峙しているティルフィングを警戒しているというわけでもなさそうだ。


 ただただ、静かにこちらを見ていた。


 双魔は立ち上がってティルフィングと共に怨霊鬼に対峙した。


 「………………」

 「…………」


 双魔と怨霊鬼は互いに見つめ合った。ふと、仮面の奥の瞳に生気が灯った。


 「…………ヨ」


 怨霊鬼が静かに言葉を話した。剣兎に聞いていた様子と違って随分穏やかな印象を受けた。


 「…………何だ?」

 「大将軍ノ後裔ヲ……図ラズモ傷ツケテシマッタ」

 (……”大将軍”だと?)


 怨霊鬼ははっきりとその単語を口にした。


 「恩ニハ報イルベキダ……大将軍ノオカゲデ……意識モアル……今宵ハ退コウ。サレド、モシマタ会ウコトガアレバ……私ヲ……打チ倒セ」


 そう言うと怨霊鬼は双魔の返事も待たず、先に逃げた男のように闇に消えていった。

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