第79話 買い出しデート(前編?)
浄玻璃鏡たちとは後で合流することにして鏡華は双魔と二人で家を出た。人通りの少ない路地を通ってまずは賀茂川を渡るために四条大橋を目指す。
「寒いな」
「そやねぇ……雪もあんなに」
二人が声を出すた度に白い息が宙を漂う。建物の影には夜に積もった雪が解けずに残っていた。
「何か食べたい物あるか?」
「ううん、うちは特にないよ」
「……そうか、なら適当な店に入るか」
「うん、それでええよ」
久しぶりの晴れ空の下を二人でゆっくりと歩いていく。
八坂神社の参道に近づいて行くと段々とすれ違う人も多くなってくる。ふと、前から鏡華たちと同じ年頃の男女が仲睦まじい様子で歩いてきた。それを見て、鏡華は何となく真横を歩く双魔の横顔を眺めた。
「…………」
「……ん?何だ?」
視線に気付いた双魔がジッと鏡華の瞳を覗き込んできた。蒼の瞳がとても綺麗に輝いて見えた。
「……な、何でもない」
何だか気恥ずかしくなってしまって目を逸らす。
「……?」
双魔は不思議そうな顔をしたが、そのまま視線を前に戻した。
やがて四条大橋の前の信号までやってくる。そこで双魔が足を止めた。
「ん、ここにするか」
目の前には趣のあるレトロな四階建ての建物。この近辺では老舗の部類に入る洋食屋だ。味はよく、値段もリーズナブルで評判がいい。
「うん」
短く返事をしたが、鏡華は内心嬉しくてたまらなかった。
鏡華はその見た目から勝手に和食が好きだと勘違いされがちだが実は大の洋食好きだ。
多分、と言うまでもなく双魔はそれが分かっていてこの店を選んでくれたのだろう。
「いらっしゃいませー!お二人様ですか?」
「はい」
「それではこちらのお席へどうぞ!」
店に入るとウェイトレスが元気に出迎えてくれた。案内されて少し奥の席に案内される。
「只今メニューとお水をお持ちしますね」
ウェイトレスはそう言って厨房入口近くへと戻っていった。
「双魔、今日はお蕎麦じゃなくてええの?」
双魔の好物が蕎麦であることは知っている。この店の通りを挟んだ向こうの蕎麦屋は双魔の行きつけの店だ。何となく、双魔は本当は蕎麦が食べたかったのではないかと気になってしまった。
「ん、蕎麦は昨日食ったしな。それに洋食好きだろ?グラタンとか」
「……うん」
自分の好みに合わせてくれていると思ってはいたが、いざ、口にされると嬉しいやら照れ臭いやらで落ち着かなくなってしまう。
「メニューとお水をお持ちしました!ご注文が決まりましたらお呼びください!」
ウェイトレスはテーブルの上に水の入ったグラスを置いて、二人にメニューを手渡すと元いた場所へ戻っていった。
「さて、何にするか……鏡華はやっぱりグラタンか?」
「うん、シーフードグラタンセットにしよかな」
(…………それと、プリンも食べたいんやけど)
この年になって「プリンが食べたい」と言うのも中々恥ずかしい。
別段、気にすることはないはずなのだが鏡華は普段からなのか、それとも双魔の前だからなのか分からないが、とにかく、何となく言い出せなかった。
双魔との付き合いも長いが子供っぽいと思われたくないようにも感じた。
「ん、じゃあ、俺はハンバーグ定食にするか。後は何か注文するか?」
「ううん、大丈夫」
「……そうか」
双魔は数秒、鏡華の顔を見つめると何かを察したように頬を掻いた。そして、軽く手を振ってウェイトレスを呼び寄せる。
「お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」
「シーフードグラタンセットを一つとハンバーグ定食を一つで」
「はい、シーフードグラタンセットをお一つとハンバーグ定食をお一つですね。以上でよろしいでしょうか?」
「それと、食後にプリンアラモードを一つ」
「……?」
「はい、食後にプリンアラモードをお一つですね。それではお料理ふぁ出来るまでお待ちください」
伝票を書き終えてウェイトレスが厨房へ去ると鏡華は水を飲んでいる双魔に声を掛けた。
「双魔……どうして、プリンなんて頼んだん?」
「ん?ああ、鏡華、プリン好きだろ?」
「う、うん……せやけど」
「メニューをジッと見てたからな。頼まない方が良かったか?」
「そんなことないよ……ありがとう」
「ん、礼を言われるようなことじゃない。そう言えば市場では何を買うんだ?」
「ああ、言うへんかった?取り敢えずは黒豆と昆布、くわいに棒鱈。それといいものがあれば他にも買おかな」
「そうか……醤油だの味噌だの言われたらどうしようかと思った」
「ほほほ、そんなこと言わへんよ。荷物持ちして貰いとうて一緒に来たんと違うからね」
「ん」
「…………」
双魔は笑みを浮かべて短く返す。それきり二人はお互い何となく黙ってしまう。それでも、嫌な沈黙ではなかった。
「お待たせしました!シーフードグラタンセットのお客様!」
ウェイトレスが料理を載せたトレーを両手に持ってやってきた。鏡華は笑顔で小さく手を上げると目の目に湯気といい匂いを漂わせる出来立てのグラタンが置かれる。
「こちら、ハンバーグ定食ですね!」
双魔の前にはデミグラスソースがたっぷりかかった大振りのハンバーグとライスが置かれる。
「それではごゆっくりお召し上がりください!」
そう言うとウェイトレスは他の席からお呼びが掛かったのか慌ただしく去っていった。
「それじゃあ、食べるか。いただきます」
「いただきます」
二人で静かに食事を始める。双魔も鏡華も元々食事中に喋るタイプではない。二人で黙々と料理を口に運ぶ。フォークと皿が当たる音と料理に息を吹きかけて冷ます音と僅かな咀嚼音だけが聞こえる。
「……」
「…………」
それでもたまに目が合うと二人して笑みを浮かべ合う。本人たちは知る由もないが、離れたところでウェイトレスたちが二人を見ながらキャーキャーと楽しそうに騒いでいた。
普通に食べると確実に自分の方が先に食べ終わってしまうので双魔は時々休みながら食事をしていた。ふと、視線が鏡華の口元に止まる。
(…………いやいやいや)
脳裡には今朝、目を開けた時の光景が蘇る。あのまま、目を開かなかったらどうなっていたか……そんな思考を頭の外に追い出すように食事に集中する。結局、双魔は鏡華よりも早く食べ終わってしまった。
「ふう、美味しかった」
双魔が食べ終わって手持ち無沙汰になってからしばらく後、鏡華は自分の料理を食べ終えてナプキンで口元を拭った。それを見て双魔は目の合ったウェイトレスを呼んだ。
「何か御用ですか?」
「食後のデザートと飲み物をお願いします」
「かしこまりました。お飲み物はコーヒーと紅茶のどちらになさいますか?」
「鏡華、どうする?」
「うちは紅茶、何もつけないでええよ」
「ん、じゃあ紅茶をストレートで二つ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね。お済のお皿はお下げしますね」
テーブルの上の空になった食器をトレーに載せて厨房に戻っていく。そして、五分も経たないうちに再びやってきた。
「お待たせしました!紅茶をストレートでお二つとプリンアラモードですね!こちらは……」
双魔と鏡華、どちらの前に置くかを悩むウェイトレスに双魔は片手で鏡華指した。それを見てウェイトレスは鏡華の前にプリンアラモードを置いた。
「それではごゆっくり」
「わあ……美味しそやねぇ!」
目の前にはガラスの器に盛られたプリンとそれを囲むように盛りつけられた生クリームにバニラアイス、それと色とりどりのカットフルーツ。鏡華は瞳を輝かせて、胸の前で手を合わせている。喜色満面といった感じだ。
早速スプーンでプリンとアイスクリームを一掬いして口に入れる。
「……んー……美味し!」
途端に目尻が下がって極楽に舞い上ったかのような表情を浮かべた。そのまま、パクパクと食べ続ける。いちいち、頬に手を当てて幸せそうな顔をする鏡華を双魔はティーカップを傾けながら見守る。
「そや、双魔も一口食べる?ほら、あーん、して?」
視線に気付いた鏡華がプリンとフルーツを掬ってスプーンを差し出してくる。昨日もそうだったが双魔は鏡華のこれに逆らえない。と、なれば逡巡などせずに食べてしまうのが最善手だ。
「あ、あーん……はむっ……」
「どう?美味し?」
「…………甘い」
「?嫌やわぁ、プリンが甘いのなんて当たり前やない?双魔ったらおかし、フフフフ」
そう言う意味で甘いと言ったわけではないのだが鏡華は分からないのか不思議そうにしながら笑っている。
因みに、これを見たのはウェイトレスだけではなく厨房から出歯亀根性を出していたコックたちもでみんな揃って「ヒューヒュー!」と本人たちの知らないところで冷やかしていた。
「美味しかったわぁ」
鏡華がぺろりとデザートを平らげて、飲み物も飲み終えたので店を出た。
会計は鏡華が折半にしようとしきりに言うので二人で半分ずつ出した。
四条大橋を渡って河原町の方に進む。仕事納めで車の通りは多いが、歩行者はいつも通りといった感じだ。
二人並んでゆっくりと目的地の商店街まで足を進める。
歩きながらさっきのプリン繋がりで、「美味しい甘味処があるから連れて行ってあげる」とかそんな話をしていると烏丸付近までやってきた。
この辺りは京で一番物が集まる市場だ。年末年始に向けて必要な物を揃えようと買い物に来た人々でごった返している。
「やっぱり凄い人やねぇ……」
「予想はしてたがここまでとは……っとと」
「きゃっ!」
まだ、商店街の入り口にも関わらず人の流れが暴れ川のようだ。普通に歩くことすら困難だ。小さな悲鳴と共に鏡華が少し流されてしまった。
「おっと!」
咄嗟に右手を伸ばして鏡華の手を掴んで引き寄せる。勢いよく引っ張ったため鏡華は双魔の胸の中にそのまますっぽりと収まった。
「大丈夫か?」
「うん……おおきに」
双魔はそのままの姿勢で通りの端の方へ寄っていく。その顔を見上げる鏡華の胸は高鳴って仕方なかった。
(そ、双魔……ち、近い……)
自分でするのとされるのとでは勝手が全く違う。鏡華は嬉しいやら、恥ずかしいやらで只々俯くだけだ。
「よし、ここで少し落ち着くか……ん?鏡華、具合でも悪いのか?」
人の少ないところまで来て一息つくと鏡華が俯いたままで全く顔を上げない。心配になって顔を覗き込む。
「っ!?大丈夫!大丈夫やから……ちょっと待って!」
「ん、そうか?」
「すー……はー……すー……はー……うん、大丈夫」
深呼吸を繰り返して何とか落ち着く。頬の熱さもいくらか引いたので赤みも収まったはずだ。
「ん、無理はするなよ。取り敢えず何から買うんだ?」
「うん、まずは乾物屋さんで、昆布と黒豆。その後にくわいと棒鱈。これなら戻へんと通りを抜けるだけで済むよ」
「ん、分かった。じゃあそれで行くか」
「その……双魔?」
「ん?どうした?やっぱり具合悪いのか?」
「その……手……」
そう言われて視線を下げると双魔の右手は鏡華の左手をしっかりと握ったままだった。鏡華はこれを恥ずかしがっていたらしい。
(……離すとはぐれるかもしれない……というかはぐれるな)
「そ、その……うちはいいんやけど……双魔が嫌かもしれへんし……でも、はぐれたらあかんし……」
鏡華はしどろもどろと言った様子だが嫌ではないらしく手を離すことはない。そんな鏡華を見ている双魔も少し顔が熱くなってきた。
いつもの鏡華らしくはないが、何はともあれ嫌がっていないのならそれで問題はない。
「ん……じゃあ、このままでいいだろ。昔もよく繋いだし……時間もそんなに余裕がないからな。行くぞ」
「あ、ちょっと!」
双魔は鏡華の腕を少し、ほんの少しだけ強引に引いた。すぐに前を向いてしまって一瞬しか見えなかったが鏡華の瞳に映った双魔の頬は赤らんでいるように見えた。
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