第65話 師走、京の怪事件

 (ど、どうしてこんなことに……)


 紗枝は心の中で涙を流した。条件を律儀に守って先ほど少女に山のように団子を買ってやったが言うまでもなく自腹だ。


 (……経費で落ちるかしら)


 そして、少年の方は普通に紗枝に話しかけてくる。


 「普通、ああいう時は最初に身分証明書の提示を求めるもんじゃないのか?」

 「……最近は偽装されたものが出回っているので……」

 「ん、そうか…………そう言えばなんで厳重警戒態勢なんて敷いてるんだ?」

 「機密情報ですので……」

 「そうか、なら仕方ないな」

 (何なの!この少年!)


 荒ぶる紗枝の内心を察してか、それとも特に気になることが無くなったのか少年はそれ以降喋ることはなかった。少女も黙々と団子を食べている。


 たまに少女の口元についた餡子やらみたらしのたれやらをいつの間にか取り出した手拭いを使って少年が拭ってやっていた。


 検非違使及び宮仕えの武官たちの長である左右近衛大将が控える近衛府の本部たる二条城の裏手に陰陽寮はある。


 二人を拘束した場所から一時間ほど歩いて紗枝はやっと陰陽寮の前に到着したところだった。


 「あら?」


 陰陽寮の前には一台のタクシーが止まっている。今から降りてくるであろう人物を出迎えるためか職員が数名玄関前に並んでいる。


 そして、タクシーの後部座席のドアが開くと長身の帽子を被った男性が一人降り立った。


 「……あ、あれは!?」


 紗枝はその人物を知っていた。不審者を連行していることも忘れて思わず駆け寄った。


 「ご、ご当主!お、お疲れ様です!」


 降り立った人物は風歌剣兎、法務省公安調査庁対魔導課次席。大日本皇国の魔導官僚の実質的頂点に立つその人だった。


 「おや、花房殿じゃないですか。ご無沙汰してます」


 剣兎は帽子を脱ぐと笑顔で紗枝に軽く頭を下げた。


 紗枝の実家は土御門分家である風歌家の門下に当たる。つまり、剣兎は紗枝にとって主家の当主なのだ。


 「今は警備班の班長をしていると聞いていますが……」

 「は、はい!今も不審者を連行してきたところです!」

 「それはそれは、ご苦労様です。それでその怪しい方々は?」

 「はっ!?」


 紗枝は興奮の余り職務を投げ出してしまったことに気が付いた。


 (ま、まさか逃げられた!?当主にこんなところで醜態を!?嫌!)


 慌てて振り向くとすぐ後ろに連行してきた二人逃げずにしっかりと紗枝についてきていた。


 「どうも、不審者二人組だ」


 そして、少年の方が何故か剣兎に向かってそう言い放つ。


 その態度に紗枝はさらに慌てる。


 「こ、こら!貴方!この方をどなただと思ってるんですか!」


  顔を真っ赤にして起こるが少年は柳に風と言った感じだ。


 「土御門分家、風歌一門当主にして、大日本皇国法務省公安調査庁対魔導課次席、風歌剣兎だろ?」

 「…………え?」


 紗枝は一時間ぶりに呆気にとられた。なぜこの少年は当主のことを知っているのだろう。そして、剣兎の少年への返答が紗枝を混乱に陥れた。


 「双魔?こんなところで何やってるんだい?」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 十数分後、双魔は手錠を外され、提出していた銃を返却されて陰陽寮の一室でお茶を飲んでいた。横にはティルフィング。目の前では剣兎が同じようにお茶を啜っている。その剣兎の横では…………。


 「さ、先ほどご無礼、ま、誠に申し訳ありませんでした!」


 紗枝が顔を真っ青にして頭を深く深く下げていた。


 「…………もういいって言ってるんだけどな……おい、剣兎」


 双魔は湯呑を置くと、片目を閉じてこめかみぐりぐりして困った顔をする。剣兎はそれを見て笑顔で助け舟を出した。


 「花房殿、双魔も困ってるからその辺りにしておきましょう」

 「は、はい……」


 剣兎の言葉を聞いて紗枝はやっと頭を上げた。そして、おずおずと言った風に腰を下ろした。


 「ま、まさか、ご当主のご友人でしかもあの伏見天全さまのご子息だったとは……そんなことも知らずに私は」


 紗枝は尚も気にしているようだ。ティルフィングはそんなことは全く気にせず出された菓子をポリポリと摘まんでいる。


 「それはもういいから……」

 「し、しかし……」

 「分かった……じゃあ、厳重警戒態勢なんて敷いてる理由。それを教えてくれればそれでいい」

 「は、はあ……」

 「それはいいや。僕も現場の誰かに直接聞こうと思っていたんだ。花房殿、そういうことだからよろしく頼むよ」

 「は、はい、かしこまりました!」


 そう言うと紗枝は姿勢と眼鏡の位置を直して神妙な面持ちで状況について話し始めた。


 「単刀直入に申しますと……今、京に謎の怪異が跋扈しているのです」

 「「謎の怪異?」」


 双魔と剣兎の声が重なる。紗枝は重々しく頷いた。


 「はい、事の発端は三日前の夜です……夜の警邏中だった陰陽師と検非違使数人が体調不良を訴えたので す……そして、全員が奇妙な鳴き声を聞いたと……」

 「奇妙な鳴き声か……まあ、その線で行くと見当はつくだろ。鳴き声の主を見た奴はいないのか?」

 「夜空を駆ける靄の塊のようなものを目撃したものが数名」

 「……剣兎」

 「うん、これはアレだね……問題はどうして復活しているのかってことかな……」

 「おい、まさか……」

 「いや、ベルナール=アルマニャックの件は全て押収済みだ。本人に死なれてしまったから漏れはあるかもしれないけど……可能性は低いよ」


 後から聞いた話だがベルナールは日本に護送する前に何者かによって暗殺されてしまったらしい。


 犯人の特定に各所の人員が奔走しているとのことだが、痕跡らしい痕跡が残っておらず、調査は難航しているらしい。


 「そうか……」


 どうやらグレンデル復活の原因、反魂香は今回は関わっていないようだ。


 「は、話を続けてよろしいでしょうか?」


 二人の会話に置いてけぼりを喰らっていた紗枝が声を掛けてきた。


 「ん、悪い」


 「話を続けてください」


 「は、はい……それとは別にですね、この件はまだ公開していないんですが……陰陽師や検非違使たちが七人ほど……殺害されています。行方不明者も何人か……」


 双魔と剣兎の表情が一気に険しくなった。人死にが出ている上に、二人の予想していた事態から少し外れてきたからだ。


 「もう少し詳しく教えてください」

 「はい、殺された者たちに特に共通点や接点はありませんでした。手口は切れ味のいい刃物か何かですっぱりと身体を両断されていました。ただ……」

 「ただ?」

 「最初の四人は東山で被害に遭っています」

 「東山?」


 一瞬、双魔の脳裡にある人物の顔が浮かんだ。が、その人物はどう考えてもこの事件とは無関係だ。すぐに思考から消えていった。


 「捜査状況はどうなっていますか?」

 「痕跡などを探してはいますが一切見つかりません……ただ、やった者は同一犯だろうと……」


 紗枝の話が終わったところで部屋の時計を見ると丁度お昼を回った頃だった。


 「ん、話を聞いといて悪いけど用事を思い出した」

 「あ、そうなんですね!私のせいで余計なお時間を取らせてしまって……本当に申し訳ありません!」


 紗枝はそう言って立ち上がるとまた深々と頭を下げた。


 「だから気にしなくていいって……まあ、いいや、お茶、ごちそう様。俺も何か気づいたら連絡する。ティルフィング」

 「む?話は終わったのか?」

 「ああ、行くぞ」

 「うむ!」


 二人も立ち上がる。


 「双魔」


 剣兎が座ったまま声を掛けてくる。細目が少し見開かれていた。


 「分かってるよ、お前も気をつけろよ?」

 「うん、じゃあ、またその内なんか奢ってね」

 「ん」


 短い返事をすると双魔とティルフィングは陰陽寮を出ていった。


 「花房殿」

 「は、はい!何でしょう?」

 「警備課長を呼んでください」

 「分かりました!」


 紗枝は警備課長を探しに部屋を出ていく。室内には剣兎一人が残される。


 「…………」


 窓の外を見つめるその目はいつもの細目とは違い、完全に開き、鋭い光を放っていた。


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