第49話 想定外の復活

 イサベルの不安はすぐに正体を現した。放送席のアメリアのもとに遺物科の講師が一人飛び込んできて何かを説明し始めたのだ。


 『はい、はい……はい………え、えええええええええ!?』


 マイクを通して聞こえたアメリアが驚愕する声に歓声が止み、代わってざわめきが起こり始めた。


 様々な声で騒がしい観客席と打って変わって誰も声を上げない舞台の上で双魔はよろよろと立ち上がった。全身が痛んで仕方ない。


 それでも、双魔の表情は勝利の歓喜に染まっている、というわけでもない。厳しいままだ。


 原因は目の前の氷塊だ。ピキピキという音と共にひびが入り、それは徐々に大きくなっていく。


 「はあ……はあ……流石に真装を発動してるとそこまで甘くないな」


 疲労困憊の身体に鞭を打って氷塊から距離を取ってティルフィングを構える。


 (ソーマ……大丈夫か?)


 ティルフィングが契約してから初めて不安そうな声を上げた。


 「ん……大丈夫だ」


 ティルフィングを心配させたくない。自然と浮かんできた気持ちに勝手に強がりがでた。しかし、現実はそうはいかない。呼吸は荒く、腕は上がらない。


 『た、ただいま先生からいただいた情報によるとベーオウルフさんは場外、気絶どちらの状況にも陥っておらず…………戦闘続行状態だということっス……つまり、第五ブロックの勝者はまだ決まっていないっス!』


 ピシッ……ピキピキピキ……ガッシャーーーーン!ガチャ!


 アメリアが言い切ると同時に氷塊は砕け散り、サリヴェンが解き放たれる。


 「……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」


 凄まじい咆哮にキラキラと輝きながら散っていた紅氷の粒が消し飛ぶ。観客席に座る生徒たちも思わず目を瞑り、両手で耳を塞ぐ。


 「…………クソがァ!」


 ガチャガチャ。咆哮を止めるとサリヴェンは鎧の音立てながらその場に膝をついた。真装を維持してはいるが氷塊に封じ込められたことでかなり体力を消耗したらしい。


 「…………」


 双魔は声を発さずにその様子を見つめる。


 「…………ッ!」


 その視線に気づいたのかサリヴェンも双魔を睨み返す。その視線には殺意などというものが生温く感じるどす黒い何かが含まれていた。


 「…………」


 それでも、双魔は黙ってサリヴェンを見つめ続けた。一瞬でも目を逸らせば何が起こるか分からない。一切の油断が許されない状況だ。


 「…………ガア!」


 サリヴェンはフルンティングを杖替わりによろめきながら立ち上がる。そして、フルンティングを舞台に突き刺すと、空いた毒緑の籠手に包まれた両の拳を思いきりぶつけ合わせた。


 チッと火花が散る。数瞬後、サリヴェンの右手の中で何かが燃えているのか細々と煙が上がり始めた。


 「ん?」


 その不自然な光景を見て双魔は脳裡のどこかを引っ掻かれているような感覚に捉われた。


 (何だ……何が引っかかる?)


 暮れていく夕陽に流されて一陣の風が闘技場内を吹き抜けた。風に乗せられて煙が少し双魔の鼻腔に流れてきた。


 甘い。そして、何とも言い表しがたい不思議な香り。


 「…………ッ!?まさか!?」


 この間、剣兎が言っていた言葉が双魔の脳裡に稲妻の如く走った。


 『反魂香も甘くて何とも言い表せない不思議な香りがするらしいよ』


 (どうした?何が起きているのだ?)

 「アレを吸わせたら不味い!ティルフィング!」

 (よ、よくわからんが任せろ!)


 体力の限界が近く上手く剣気を操れないのでティルフィングに魔力を目一杯注ぎ込み剣気をサリヴェンに向かって放たせる。


 その時、サリヴェンは手から上がる煙を鼻から、口から吸い込むところだった。その煙はフルンティングをも渦巻くように包んでいる。


 「ス―――――――……ッ!?」


 ドクンッ!鼻から気管、気管から肺へ。吸い込んだ煙が体内に取り込まれ、全身を駆け巡った瞬間。心臓の鼓動が大きくなる。


 ドクンッ!ドクンッ!叫びたくなるほど異様に大きく響く心音。激しい頭痛。目の奥がチリチリと焦げるような感覚。身体に様々な異変が起きる。


 壮絶な拒否反応。本能故かサリヴェンは煙を体内から出そうとするが最早それも叶わない。


 フルンティングの声も聞こえない。思えば今朝からフルンティングの様子がおかしかった。一言も発さず。虚ろな眼でサリヴェンが言った通りに動いた。


 都合がいいとしか思っていなかったがそれは既に取り返しのつかない一歩を踏み出した証左だった。


 ティルフィングから放たれた剣気は煙に包まれていたフルンティングから滲み出た剣気とは異なる。濃密な魔の力に弾かれサリヴェンの身に届くことはない。


 「う……う……ゔヴヴヴ」


 低いうめき声と共に鎧に包まれた身体が肥大化していく。


 腕が、脚が丸太の様に太くなり、胴体も巨大化する。頭は完全に竜のそれと化し口元には鋭い牙が生える。後頭部にはねじれた一対の角、臀部の尾も巨大化しどんどん生気を帯びていく。


 その光景を目にした観客席の生徒、来賓のほとんど全員が声を上げることができない。


 やがて、肥大化は終わった。サリヴェンの立っていた場所には身の丈五メートルほどの全身が緑色の鱗に包まれた竜頭の巨人が立っている。


 巨人の眼がゆっくりと開かれた。開かれた竜の眼が最初に目にしたのは足元に刺さった一振りの魔剣だった。魔剣は禍々しい魔力を放ち、巨人に呼応するように光っている。


 「…………」


 巨怪は魔剣に手を伸ばす。そして触れた瞬間、肌に溶け込むかのように剣は消えていった。


 ニヤリと凶暴な口元が歪んだ。次の瞬間巨怪の右手の爪が大鎌の如くより鋭利に変化する。滴る液体は地面に落ちるとシュウシュウと音を立てて地面を溶かした。


 「きゃああああああああああああ!」

 「な、なんだあれっ!?」

 「ば、化け物だ!」

 「うわああああああああああ!」


 観客席の何処かで悲鳴が上がった。恐怖は即時に伝染する。生徒たちはパニックに陥る。


 『お、落ち着いてくださいっス!みなさん、落ち着いてーーー!』


 アメリアが咄嗟にアナウンスで呼びかけるが焼け石に水だ。


 そんな中、来賓席でヴォーダンは首をかしげていた。隣では視察官が驚きの余り立ち上がり、茫然と舞台に出現した巨怪を見降ろしている。


 「ケ、ケントリス殿……」


 恐怖と戦慄で紫がかり震える唇を何とか動かし視察官はヴォーダンに声を掛けた。


 「何じゃ?」

 「あ、あれが……先ほどおっしゃっていた面白いもの……ですか?」

 「フム、ちと、違うのう……」


 ヴォーダンは顎髭を撫でながら答えた。その表情から考えは読み取れない。


 「な、なぜ、このような事態に陥っているのか分かりませんが、すぐに中断してあの生徒を助けるべきです!」

 「その意見もっとも……しかし、それもちと違うのう、ほれ」


 ヴォーダンが舞台を指差す。視察官はヴォーダンの方から舞台へと視線を送った。


 「な、何ですか!?あれは!」


 ヴォーダンと話している数瞬の間に起こった舞台上の変化に視察官の顔からは恐怖が消え去り、今度は驚愕に染まった。


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