第29話 怠惰講師の評価
遺物科棟の地下にあるハシーシュの部屋まで来る途中に幾人かの生徒にチラチラと視線を送られた。時刻はすでに昼前。騒ぎは徐々に広まっているようだった。
アイギスは途中で「サロンに行く」と言って別れた。”サロン”とは遺物科の生徒や講師たちの契約遺物たちが集まってお茶や遊興に耽る集まりのことで学園長室がある時計塔の中にある。
「いま戻った」
ハシーシュの部屋に入ると安綱が茶碗を温めて茶を入れる準備をしていた。
「お帰りなさいませ。双魔君、アッシュ君、こんにちは。何やら大変だったようですね。まあ、お座りください」
柔和な笑みを浮かべてソファを指差す。
「む」
ティルフィングは見知らぬ遺物を目にしてか双魔の後ろに隠れた。
「おや?」
「ああ、安綱さんは初めてでしたね。その、俺の契約遺物です」
「ああ、主から聞いていました。確か、ティルフィングさんでしたか。私は童子切安綱と申します。以後よしなに」
安綱が恭しく礼をする。
「うむ、我が名はティルフィング。こちらこそよろしく頼む」
ティルフィングは物腰柔らかな安綱への警戒を解いたのか双魔の前に出て名乗った。それを見届けるとハシーシュはドカッとオフィスチェアに倒れ込むように座った。
「安綱」
「はいはい、かしこまりました」
安綱は指先に火を灯してハシーシュが咥えていた煙草に火をつけた。
「すうーーーーーーー………はーーーーー」
ハシーシュは煙草を深く吸って煙を吐き出す。
「……不味い」
「そんなに強く吸っては不味いに決まっていますよ」
「うるさーい」
安綱の正論にハシーシュは覇気なく答えた。
「ささ、お茶が入りましたのでどうぞ」
安綱は茶碗を双魔、ティルフィング、アッシュの前に静かに置いた。
「ありがとうございます」
「ティルフィング、熱いから気をつけろよ」
「うむ、分かっている」
三人はお茶を飲んで一息つく。特に双魔は強張っていた身体もいくらか解れた。それを見てハシーシュが口を開いた。
「まー、なんつーか?初めての実戦にしちゃ上出来だな」
「何だよ……全部見てたわけじゃないだろ?痛ててて……」
痛みの残る脇腹を抑えながら双魔がぼやく。
「双魔……大丈夫?」
アッシュが顔を覗き込んでくる。
「ん、大丈夫だ」
双魔は脇腹に手を当てたまま自分で治癒魔術を施す。温かさと共に痛みが引いていく。
「実は一番初めにベーオウルフとぶつかった時から見てたりして」
ハシーシュはヘラヘラと笑う。
「主、趣味が悪いですよ。講師というのは立場上止めに入るものなのでは」
「うるさーい、何事も実地に勝るものはないんだよ!双魔、よくやったぞ。流石、私の教え子だな」
「自分で言うのもおかしいけど、あの氷塊はどうするんだ?アイギスさんが言うにはベーオウルフのやつは多分大丈夫らしいけど……」
「あー、あれな。確かにやりすぎ感は否めないけどそこの娘っ子、神話級だろ?あれくらいなら可愛いもんだ。氷塊と壊れた闘技場は爺さんか他の先生方がどうにかしてくれるだろうから気にすんな」
「先生はお手伝いしなくていいんですか?」
「オーエンはいい子だなー。私はいいんだ。面倒だから。この後爺さんに呼び出し喰らってるしな」
「……説教か?」
双魔が少し申し訳なさそうな顔でハシーシュを見る。
「さっきの件について、双魔は正当防衛だった。監督責任で説教喰らうとしたら隣のクラスの担当講師だ。私じゃない。ま、面倒ごとは押し付けられるだろうけどな」
ハシーシュは机の上の灰皿で手にしていた煙草の火を消すとのっそりと立ち上がった。
「じゃあ、私は爺さんのところに行ってくる。お前たちはゆっくりしてから帰れ。安綱、お前は来なくてもいい。戸棚に菓子があるはずだから出してやれ」
「かしこまりました」
「週明けは選挙本番だ。二人とも家に帰ったら飯食って、さっさと寝ろ。特に双魔は明日もダラダラしとけよ?あ、一応言っておくけど私はお前ら二人のこと応援してるからな。担当クラスから二人も評議員が出れば間違いなく昇給するからな……グフフフ……じゃあな」
ハシーシュは身体を引き摺るようにズルズルと出ていった。
と、思いきや戻ってきて双魔の耳元に口を寄せてきた。
「最初に不意打ちされた時以外わざと魔術は使わなかっただろ?そういう律儀なところはお前の美点だよ」
双魔は照れ隠しにこめかみをグリグリしながら苦虫を噛み潰したような顔をした。
「んじゃ、週明けにな」
今度こそハシーシュは出ていった。相変わらずズルズルと歩いていたが、気のせいか先ほどより足取りが軽くなっているように見えた。
「フフフ、相変わらず素直になれない人ですね……お茶のお代わりは如何ですか?」
安綱が苦笑を浮かべながら聞いてきた。
その後は一時間ほどハシーシュの部屋でお茶をした。ハシーシュが言っていたお菓子は有名店のクッキーだったようでティルフィングが嬉しそうに頬張っていた。
安綱もそれを楽しそうに見ていた。おかげでティルフィングは安綱に全くもって気を許したようだ。
ティルフィングがクッキーを食べきってしまったところでお暇することになった。
「私も主同様、お二人の健闘を祈っています。頑張ってください」
安綱にも励ましの言葉を貰って三人は帰路に着いた。
アッシュはよほど双魔のことが心配だったようで、家に着くまでに何度も「大丈夫?」と聞かれた。
途中から面倒になって生返事を繰り返したので最後には頬を膨らませて怒っていたが…………。
突然の非日常から日常に戻ってきたようで言葉には出さなかったが双魔はホッとしていた。
寮の前でアッシュと別れる。玄関の呼び鈴を鳴らす前に、ふと、思い立って手を繋いでいたティルフィングを呼んだ。
「ティルフィング」
「む?なんだ?」
「今日のことは左文には内緒だ」
「なぜだ?双魔と我がすごかったのを話してやりたいぞ?」
「左文にあまり心配を掛けたくないんだ。な、約束してくれ」
双魔はティルフィングに小指を出したそれを見てティルフィングは首を傾げる。
「指切りだ。知らないのか?約束する時のおまじないだ」
「む、そうなのか。分かった」
ティルフィングは双魔の真似をして小指を出した。双魔は自分の小指を絡める。
「ん、じゃあ。約束だ。指切った」
本当は歌を歌うところだったがティルフィングは知らないだろうし、面倒なので省略した。ティルフィングはニコニコ顔で嬉しそうだった。おまじないが気に入ったのかもしれない。
ベルを鳴らすと家の中からパタパタと足音を立てて左文が出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま。ティルフィングさんもお帰りなさい」
「ん、ただいま」
「ただいま帰ったぞ!」
「お風呂は沸かしてありますので先に入ってしまってください」
「ん、了解」
「ティルフィングさんはお夕飯の準備を手伝ってくださいね」
「うむ、承ったぞ」
左文とティルフィングが台所へと消えると双魔は風呂場へと向かった。
脱衣所で服を脱いで身体を洗った後、とっぷりと湯船に身体を沈めて身体をほぐす。
風呂から出ると三人で夕食を摂って、そのまま部屋に戻ると倒れ込むようにベッドに身体を横たえた。
睡魔の足音はすぐに聞こえてくる。その日、双魔は夢を見ることはなかった。
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