第30話 触れた魔の手
双魔が眠りに落ち た頃、魔導学園の制服を纏った長身で体格のいい男が夜の裏路地を肩を怒らせながら大股で歩いていた。サリヴェン=ベーオウルフである。
ティルフィングから放たれた氷塊から数時間前に救出されて、つい先ほど錬金技術科棟の地下で目が覚めた。
サリヴェンの胸中は敗北からの屈辱感と双魔への憎しみで埋め尽くされていた。
(クソが……この俺が負けただと?しかも、評議会の連中ですらない半端野郎に?)
信じられなかった。あの瞬間、確かに自分は勝利を確信した。しかし、まさに一瞬で状況は覆され、自分は氷塊の中に封じ込められた。
瞬間冷凍される形にはなったが幸運なことに剣気を纏ったままだったので大事には至らなかった。
意識が途絶える寸前、目に入った自分を倒した男の苦笑、それといくら忘れようとしても忘れられない老人の冷ややかな視線が脳裡に浮かぶ。
(クソが……クソが……クソがクソがぁ!)
憎悪ではらわたが煮えくり返る。錬金技術科の医者は「自分の契約遺物に感謝するように」と癇に障ることを言っていた。冷静さを失ったサリヴェンには敗北の原因の大部分はフルンティングにあるとしか思えなかった。
「アイツが……アイツが雑魚のせいで俺が恥をかく羽目になった」
思わずフルンティングへの恨み言が口に出た。月明りもあまり差し込まない路地にはもちろん人などいない。通りを吹き抜ける寒風がヒューヒューと音を立てるだけで誰も答えない。
何とも言い難い焦燥が憎悪と混じり合って激しく胸を苛む。思わず足取りが速くなり大通りに出る通路に繋がる突き当りを勢いよく曲がった時だった。
「っ!?」
丁度歩いてきた男とぶつかった。男は白いフードを深くかぶっており、路地の暗さも相まって顔は見えない。
「……」
男はサリヴェンを一瞥するような仕草を見せて、そのまま去ろうとする。
「待てや!オイ、コラ!」
サリヴェンは男を捕まえようと身を翻した。
「……あ?」
しかし、そこには誰もいなかった。突き出した腕は空を切る。視線の先は都会の夜の闇が魔物のように口を広げているだけだ。
「ッチ!……プッ!」
忌々し気に舌打ちをして唾を吐く。苛立ちをさらに大きくさせてサリヴェンは大通りへと出ていった。
「…………」
その様子を路地沿いのレンガ造りの建物の屋上から一人の人物が見降ろしていた。
先ほどサリヴェンとぶつかった白いフードの男だ。男はわずかに覗かせた口元をニヤリと歪ませると月明りに溶け込むように消えた。
サリヴェンは大通りに出ると適当に入ったパブでビールを浴びるように飲んで憂さを晴らした。顔は真っ赤に染まり、呼吸が激しくなる。いつもサリヴェンの横にいて彼を止めるフルンティングはいない。
ほとんど酔いつぶれる直前でふらつきながら立ち上がって店を出ようとしたところで店員に声を掛けられた。
「お客さん、財布忘れてるよ」
振り返って座っていた席を見ると、確かに自分の財布が置き去りになっていた。
「ッチ」
舌打ちをして財布を拾い上げて店を出た。制服のポケットに財布を突っ込むと妙な感触があった。気になって引きずり出してみると身に覚えのない紙包みが出てきた。紙包みからは甘いような苦いような何とも言えない香りが漂っている。裏にはメモ用紙が付いている。
『勝利の焼香』それだけ書かれていた。如何にも得体の知れない代物ではあったが、相当に酔っているのでその不審さを感じることはなかった。むしろ、渇望していた「勝利」という文字を見て気が良くなった。
心なしか足取り軽く寮への道を行く。自分の部屋の前に着くとドアが開いた。
「あ、おかえり……」
オドオドした様子でフルンティングが出迎える。それまで気分がよかったのに契約遺物の顔を見ると、昼に味あわされた屈辱感が沸々と蘇ってきた。
「……」
何も言わずに部屋に入ると着替えることもなくすぐにベッドに倒れ込んだ。一分も経たないうちに寝息をたてはじめた。
「……よいしょっと」
フルンティングは大の字になっていびきをかいている契約者に布団を掛けた。
(小さい頃はもっと優しい子だったんだけどな……)
今は乱暴な性格になってしまったが、寝顔はまだサリヴェンが優しかった幼い頃とほとんど変わっていない。
(僕は昔と今では状況が違うし仕方ないって言ったんだけど……)
サリヴェンがこうなってしまった原因であるベーオウルフ一族の長老たちが思い浮かぶ。
(まあ、今あれこれ考えても仕方ないよね)
サリヴェンの寝顔を覗き込む。今日は負けてからずっと不機嫌だったが寝顔は何だか笑っているように見えた。
フルンティングは何となしに窓の外を眺めた。それまで晴れていて月が煌々と輝いていたが、雲が出てきたのか、外は真っ暗になっていた。
「……?」
サリヴェンをもう一度見てみると手に、何か握っているように見えた。
「……なんだろう?」
よく見えない。何が握られているのか確認するために顔を近づける。そして、なんの気もなしに息を吸った。その行動は生物ではない遺物には全く必要のないものだった。
人と永き時を過ごす中で自然と身に着いたものだった。しかし、それがいけなかった。
「…………え?」
フルンティングは糸が切れたかのようにベッドに倒れ込んだ。虚ろに開いたその目から、意思は完全に消し去られていた。
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