祖父が仕事を辞めた理由(わけ)

逢雲千生

祖父が仕事を辞めた理由(わけ)


 僕は今日、祖父の後を継ぐ。


 僕の家は、ごくごく普通のサラリーマンの家系だ。


 そうまでは山奥で農家をしていたそうだが、その子供達――祖父の兄弟達からは農家を辞め、それぞれが村を出て独立したそうなのだ。


 祖父の兄弟達は、全員が会社員になったが、その子供達――父のいとこ達は公務員になっている人が多かった。


 僕の父親は普通の中小企業の会社員で、いまだに係長止まりなのだが、祖父は大企業の部長にまで昇進した。


 父は、働けば働くほど祖父との差を思い知らされるのか、たまに酒の席で愚痴っている。


 そして母に怒られては、布団の中で酔っ払いながら静かに泣いて眠るのだ。


 そういう話ならば、孫の僕は部長に昇進するのかと思うだろうけど、そうではない。


 僕は今日、祖父の後を継ぐ。


 祖父が若い頃になっていた、警察官になるのだ――。




 僕の祖父は若い頃から力が強く、近所では負けなしだったらしい。


 同じ村で育った祖母の話では、それを自慢しすぎて、同級会ではいつも笑われていたそうだ。


 そんな祖父が憧れて目指したのは、現代でも憧れる人が多い警察官だった。


 幼い頃、村にいたちゅうざいさんに命を助けてもらったことがあるらしく、その時からずっと憧れていたらしい。


 駐在さんというのは、ちゅうざいしょという所にいる警察官の呼び名で、交番にいるお巡りさんより身近な存在だ。


 まだ警察という組織が不安定だった時期は、この駐在さんが刑事の役割をになった時もあったようで、祖父や曽祖父が幼い頃は、ヒーローみたいな存在だったらしいのだ。


 農家の三男だった祖父は、猛勉強して試験に合格し、曽祖父や兄弟達に頭を下げて警察官になった。


 当時はまだ進学が当たり前ではなかったので、高校に行けるのはお金のある家庭の子供くらいで、いわゆる貧しい家庭の子供は一握りだけでも精一杯だったほど、進学率が低かった。


 まして山奥に住む農家の三男など、中学校ですら行かせてもらえない事も多かったらしいので、それだけ祖父は情熱があったのだろう。


 酒を飲むと当時の事を熱く語ってくれていたので、僕も警察官に憧れるのは当然だったのだと思う。


 いつも祖父に話をねだっては困らせていて、何度母親に怒られたかわからない。


 それでも、祖父の膝の上で聞く警察官時代の話は、幼い僕にとって、戦隊ヒーローより魅力的だったのだ。


 祖父の話は中学になってからも続き、何度も同じ話を聞いた。


 さすがに家族は呆れていたが、僕は何度聞いてもまだ足りないくらいだった。


 そんなある日だ。


 祖父はその日、珍しくふかざけをしていた。


 いつもは自制して、父親より意識をはっきりと持っているのに、あの日だけは何故か、ひどく酔っ払っていたのだ。


 後にも先にも酔っ払ったのはこの日だけで、だからこそ忘れられなかったのかもしれない。


 テレビに映ったニュースを見て、静かに涙を流した祖父の横顔を。


 ニュースの速報で、過去に死刑判決を受けた男性がえんざいだったことを認められ、あの日の夜にしゃくほうされた。


 何度も何度もさいしんを求めながら、それでも答えてくれない裁判所に再審請求をしたり、家族が国会に乗り込んでたんがんしょを出したりもしたらしい。


 速報の後で、緊急特番として始まった冤罪事件のニュースは、古い写真を何枚も映し出しながら、夜の九時を過ぎてから静かに始まったのだ。


『本日、午後八時五十七分に、四十八年前に起こった連続一家惨殺事件の犯人として起訴された、たかはしのりみち氏に、無罪判決がくだされました。繰り返します。高橋則径氏に、無罪判決が下されました。なお、今回の裁判は、過去にるいを見ない夜の判決となった事で、裁判所前にはライトを手に、判決を待つ人の列が出来ていました。判決後、警察は何らかの会見を開くと思われますが、現在はまだ何の表明も無く――』


 プツリと電源が切れ、父親は静かにリモコンをテーブルに置いた。


 祖父は静かに泣きながらうつむくと、かすかな声で絞り出すように「良かった……」と言ったのだ。


 父親はビールを口に含むと、苦い顔でコップを置く。


 僕もならってジュースを飲むと、祖父は声を出して泣き出した。


 父親を見ると、父は祖父を見つめながら目を潤ませている。


 祖父を見ると、うつむいたまま涙をこぼして泣いている。


 僕は黙ってジュースを飲んでいると、祖父がうつむいたまま涙をこぼして、ゆっくりと昔を語り出したのだ。


のぼる。じいちゃんな、お前にまだ言ってないことがあるんだ。じいちゃんはな、昔、何の罪も無い人を殺してしまったことがあるんだよ」


「え?」


 何を言うんだと祖父を見ると、祖父はうつむいたまま動かない。


 父親は何も言わないが、その目は辛そうに潤んでいて、いつもの厳しさはどこにもなかった。


「じいちゃんが警官になって三年した頃だ。俺は自分の村に帰って、年取って引退した駐在さんの代わりになったんだよ。みんな知っている奴らだし、小さな村じゃあ事件も起きないから、俺も気軽に仕事をしてたんだ。だがなあ、人生ってのは、そうそう上手くいくもんじゃなかったよ……」



 

 祖父の話によると、生まれ育った村の駐在になったその年に、村で人が殺される事件があったそうだ。


 毎日一人ずつ、老若男女を問わず殺され続け、犠牲者は十人を超えた。


 老人が殺され、結婚前の若い娘が殺され、妹が出来たと笑っていた男の子が殺され、村では次第に不穏な空気が流れ出していた。


 小さな村では、交通の便が悪く、よそ者が来ることは無いと断言できたため、身内の、もしくは村人の誰かの犯行だろうと声なき声が言い出したのだ。


 あれほど優しかった村人達は疑心暗鬼に駆られ、お互いがお互いを監視するようになった。


 少しでも怪しいりを見せると疑われるので、仕事以外で外に出る人はいなくなった。


 子供達も恐怖で遊ぶのを止め、友達同士ですら喧嘩するようになった。


 それを目の当たりにした祖父は、どうにかしようと犯人捜しをしていたところ、一人の容疑者が浮かび上がったそうなのだ。


 その人は、村で評判の働き者で、名前をこうといった。


 名前の通り、畑仕事が得意で、まめな性格から良い野菜を作ると評判で、お金を出してでも欲しいと言われるほどの腕前だったらしい。


 彼は毎日、日が昇る頃に外に出て、日が落ちる頃に家に帰っていたそうなのだけれど、そんな真面目な性格がわざわいし、村人達が彼を犯人だと言い出したのだ。


『昨日は帰るのが遅くて、日が落ちてから家に帰っているのを見たわ』


『一昨日は山近くのばあさんと話してるのを見たぞ』


『その前は若い娘っ子達に囲まれて、楽しそうに笑っとったぞ』


 小さな村で噂はあっという間に広まり、恐怖と不安で疑心暗鬼になっていた村人達は、ある日限界を迎え、耕太を村の真ん中にある広場に引きずった。


 駐在であり、唯一の警察官だった祖父は止めたが、集団となり、気持ちが一つになっていた彼らを止めることは出来なかった。


 証拠も無く、彼がやったとは思えない証拠しか無いのに、村人達はそろって彼を人殺しとののしりだしたのだ。


 次第に石を投げる人が出始め、耕太は血を流し出す。


 すると、興奮した男達が彼を殴りだした。


 それによってたがはずれたのか、広場に集まった全員が、彼を暴力で支配し始めたのだ。


 耕太も抵抗はしていた。


 しかし集団にはかなわず、次第に体を丸め、自分の身を守りだした。


 祖父も止めようと集団に向かっていったが、ちからおよばず押し返されてしまったのだという。


 それがどれほど続いただろうか。


 数人の老人が姿を現した。


 彼らは手にのうを持ち、彼のことを「裏切り者の人殺し」だと言い出したのだ。


 それに賛同する村人達も、近くの家から農具を持ち出し、彼に近寄っていく。


 耕太は逃げようと抵抗したが、怪我によって体は動かず、祖父の目から見ても逃げられないと判断できるほど、大きな怪我を負っていた。


 彼は、自分が何をされるか理解してしまったのだろう。


 泣きながら「殺さないでくれ。俺じゃない」と言って助けを求めるが、誰も彼を助けなかった。


 それどころか、自業自得だと冷めた目を向け、数人の女性が彼の手足をつかむと、広場の真ん中に力の限り引っ張っていったのだ。


 村人達からせいを浴びせられ、彼はもう助からないとわかったのだと思う。


 一度だけ祖父を見ると、恐怖と悔しさをにじませた目を潤ませて、聞こえない声で祖父に伝えたのだそうだ。


(俺は、やってない!)


 その瞬間、彼の体は地面に倒れた。


 鈍い音や、何かの折れる音などが聞こえ、彼の体はあっという間に血に染まる。


 動かなくなっても続くその音は、村人達が満足するまで続いたのだそうだ。


「遺体は俺が埋葬したが、それでも村での殺人は続いたんだ。そうしたら今度は祟りだと言う奴が出てきたが、間もなく犯人は捕まったよ。本当の犯人は隣村の青年で、山に出来た抜け道を見つけ、夜中に自分の村とを往復して犯行を行っていたんだ」


 祖父が生まれ育った村で起こった連続殺人事件。


 その犯人は、山を越えた隣村に住む一人の青年だった。


 彼は残虐なことが大好きで、普段は大人しい優等生だったそうなのだが、少しでも気にさわることが起こると、野生の動物や虫を捕まえてはいじめていたらしいのだ。


 ある日、眠れずに散歩をしていると、一羽の野ウサギを見つけた。


 これはいたぶりがいがあると、逃げる野ウサギを追って行くと、例の抜け道を見つけたのだそうだ。


 祖父が住む村と隣村は、高い山を挟んであった。


 昔からその山をかいして行き来していたため、まさか山を越えれば、わずか三十分足らずで往来が出来るとは想像もしていなかったそうなのだ。


 青年ははじめ、その道のことなど気にも留めなかった。


 しかし、高校に進学した彼は上手くいかないことが続き、次第に動物や虫だけでは満足できなくなっていった。


 そこで例の抜け道を思い出し、そこを使って犯行を行い始めたというわけだ。


 彼によって殺された村人は三十人を超え、動物によって慣れてしまった手つきで簡単に犯行を済ませられた。


 ほとんどの場合、寝ている時か、夜道を歩いている時に襲われているため、後日警察で確認された彼の腕前であれば、悲鳴も上げられず絶命していたはずだとの結論が出たほどだったらしい。


 時には民家に侵入して、一夜で五人も殺害していたという。


 全員が首を深く切り裂かれていたというので、おそらく悲鳴を上げられないまま絶命したのだろう。


 昔は鍵が無かったから、雨戸を開けるとすぐ家の中に入れたらしく、侵入は驚くほど簡単だったらしい。


 防犯という意識が無かった時代によくあったことで、現代だったら絶対にあり得ないことだ。


 そういったこともあって、疑われないまま次々と人を殺していたが、殺人の噂は青年の住む村にも届き、そろそろ潮時かと最後の一人を殺害したその後で、ようやく祖父に捕まったらしいのだ。


 彼は当然死刑となり、祖父が大きな町にある警察まで連れて行ったのだという。


 青年を逮捕したことで、祖父は表彰されたが、それから間もなく警察官を辞め、知り合いのを頼ってサラリーマンになったのだという。


 僕は少し、もったいないなと思ってしまった。


 せっかく手柄を立てられたのに、昇進出来るかもしれない状況を蹴ってしまったのだから。


 しかし、祖父は、切りの良いところまで話すとまた泣いた。


 父親も小さくうつむいて、祖父の言葉に唇を噛んだ。


「……真犯人は捕まったが、どんな形であれ、無実の人を死なせた罪は重い。耕太を殺した村人は全員が家族を亡くし、一家全員が殺された家もあった。そして俺も、最後の最後でむくいを受けたよ」


 祖父はゆっくりと顔を上げた。


 頬には涙のあとがあり、あれほど強く見えた祖父の顔は、年相応に老けたように思える。


 そのまま祖父の視線をたどって部屋の隅を見ると、そこには小さな仏壇がある。


 壁には数人の遺影が掛けられていて、そのうちの一つ、最も若く幼い少年の遺影を見て、祖父はまた泣いた。


「事件の最後の犠牲者はな、お前の叔父さんなんだよ。まだ、三つだったんだ……」


 その言葉に、とうとう父も泣き出した。


 俺は集合写真を引き伸ばしたような荒い画質の写真の中で、不思議そうにこちらを見つめる少年を見上げる。


 幼くして亡くなったとだけ聞いていたその人が、僕の一番下の叔父で、わずか三歳で命を奪われたということを、この日初めて知った。



 

 その夜から数日後、祖父はいつも通り冷静なまま酒を飲んでいた。


 ニュースでは、連日冤罪についてやっていて、戦後最大の冤罪事件の一つと言われるようになった連続一家殺人事件について、何度も何度も放送している。


 この事件は、僕が生まれる前から始まったものだった。


 とある町で、一夜にして七人の家族が惨殺されたことから事件は始まったのだという。


 遺体は全て刃物による犯行で、子供も老人も容赦がなかった。


 数日から数週間おきに一家全員が一夜にして惨殺されたため、マスコミもセンセーショナルに取り上げていたらしい。


 当時の映像がかなり残されていて、犯行現場となった家々が何軒も映し出された。


 その犯人とされたのは、建築業の男性だった。


 彼は当時、工事現場の作業に従事していて、偶然にも数件の殺人現場の近くを行ったり来たりしていたらしい。


 もちろん、それだけで犯人にされるわけがないのだが、彼はたったそれだけで犯人に仕立て上げられたというのだ。


 この事件の担当だった警察官達は、手柄欲しさと早期解決のために証拠をでっち上げた。


 矛盾が多いにもかかわらず、検察も弁護士もこれを指摘せず、彼が犯人として有罪判決が下ってしまったのだ。


 男性の家族も同僚も、彼をよく知る人達は否定したが、世間もまた、彼を犯人に仕立てた。


 あっという間に彼は死刑囚となり、それから四十八年、彼は自分の無罪を勝ち取るために戦ってきたのだ。


 何度も死刑執行の恐怖にさらされながら、それでも彼は諦めなかった。


 そしてとうとう無罪判決を勝ち取った彼は、会見の席でこう言ったのだ。


『真実ほど、曖昧なものはありませんよね……』


 その言葉に、僕はなぜか涙が出て来た。


 祖父の話を聞き、父親の涙を見て、僕は警察官というものに恐怖を感じた。


 権力を持っても、集団にはかなわない。


 集団であっても、権力にはかなわない。


 そんな考えを持ちながら、僕はそれでも警察官になることを諦めきれなかった。


 そして高校三年の時、僕は家族に警察官になりたいと告げたのだ。


 反対されると思ったけれど、誰も反対しなかった。


 村で起こった事件を知る祖母も、話だけは聞いた事がある母も、少し困った顔を見せただけで、あとは「好きにしなさい」と言ってくれた。


 父親は何も言わなかったが、祖父は僕の手を握ってこう言った。


「お前の人生だから、後悔しない生き方をしろ。俺みたいに、周りに流されて報いを受けるような生き方だけはするな。それだけは約束してくれ」


「うん。約束するよ」


 あの時握られた手の熱さを、僕は今でも覚えている。


 父親とはその日の夜に話をした。


 祖父の過去について知っていたらしいけれど、父親もずいぶんと苦しんだらしい。


 父もかつては村に住んでいて、十一歳まで暮らしていたらしい。


 事件のことも知っていたし、耕太さんのことも知っていたけれど、父自身も知らんぷりをしていたそうなのだ。


 そして犯人が捕まった夜、父は変わり果てた末の弟を見て、こう思ったらしい。


『自分が知らんぷりしたから弟は殺された』と――。


 一緒に叔父の遺影を見上げながら、父は小さく「ありがとうな」と言った。


 何が、と聞こうとしたけれど、その横顔が涙で濡れているのを見て、何となくわかった。


 僕は「僕の夢だったから」とだけ言うと、炭酸の入ったジュースを飲んで、少しだけ泣いた。



 

 あれから数年。


 僕は学校を卒業すると同時に警察学校に入学した。


 厳しい状況を乗り越え、何度もくじけそうになったけれど、その結果が今日という日なのだ。


 新しい制服を身にまとい、帽子を手に階段を下りると、廊下を歩いてきた祖母と会った。


 祖母は僕の姿に驚いたけれど、すぐに眩しそうに目を細めて笑ってくれた。


 父や母も喜んでくれて、僕は誇らしげに祖父のところへ行った。


 祖父も笑ってくれて、僕は何度も制服を見せては「じいちゃんの夢、僕が叶えるからね」と言って、座布団に正座する。


 両手を合わせて目を閉じると、立てた線香の煙が僕の鼻をくすぐる。


 目を開けて微笑むと、僕は「行ってきます」と告げて部屋を出た。


 新しい仏壇の中で、祖父が嬉しそうに微笑む。


 その隣には、祖父が大事にとっておいたという古い警察官バッジが、朝日を浴びてきらめいていた。








 

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祖父が仕事を辞めた理由(わけ) 逢雲千生 @houn_itsuki

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