第5話「犬神憑き3」
夕暮れ時、霧吹き谷村に白い幕が掛かり始めた。
標高の高いこの村では、夕方には必ず霧に包まれる。
朋也は山中に居た。
昼間に山菜取りに出た際に、小さな鎌を置き忘れたのである。
霧のせいで湿気の多いこの土地では、すぐに鉄が錆びて駄目になる。
目的の鎌を見つけて戻ろうとした。
「よう朋也」
声を掛けてきた男が居た。
露骨に嫌な顔して、朋也は返事をせずにそのまま立ち去ろうとした。
「返事くらいせえ」
60絡みの猟銃を手にした男が朋也の前に立ちふさがり、通さない様にした。
「どいて下さい」
「へっ嫌だね。お前んとこの家のせいで村の作物が全部駄目になっちまったじゃねえか。あん?」
「知りません」
男は朋也の父、明の同級生で田島善吉という男であった。
次期村長になる予定だと威張り散らしているこの男が、朋也は大嫌いだった。
自然と態度にもそれが出てしまう。
朋也は善吉を大きく迂回して戻ろうとした。
「待て」
善吉が腕を掴み、朋也は振り払おうと暴れた。
「っ痛」
朋也が暴れた際に持っていた小さな鎌で、善吉の右腕を傷つけていた。
「このガキっ」
善吉が持っていた猟銃の台座を朋也の腹に打ち据えた。
「ぐっ」
小さく呻いて朋也の体がくの字になる。
それでも何とか顔を上げ、朋也は善吉を睨みつけた。
「生意気な」
善吉は今度は猟銃で、下から軽く朋也の顎をかちあげた。
朋也の意識を朦朧とさせるのにはそれで十分だった。
「へっ。女みたいなツラぁしやがって」
善吉は顔に好色の色を浮かばせて、
朋也のズボンに手を掛けて一気に引き下ろした。
「おう、楽しそうな事してるじゃねえかよ善吉さん」
「一人で居なくなるからどこ行ったかと思ったらよう。俺達にもやらせてくれよう」
「順番だぜ、順番。なあ朋也。お前が大嫌いなおじさん達が順番に可愛がってやるからよ」
いつの間にか、朋也の周りには村長以外の村中の男達が集まっていた。
村長と別れた道摩は、山中に分け入っていた。
昼に山の中からも、邪念を感じていたからであった。
―何かがおかしい。
一連の事件が村の者の仕業ではない気がしていた。
しかも全てが清宮家が犯人であるかのように仕向けられている。
不審に思った道摩は、改めて村長に清宮家の事を聞いた。
明の妻は集団見合いで東京から来ていたが、
参加していなかった明と何故か知り合い、
結婚し、朋也を産んですぐに亡くなった事や、村の若者は朋也だけで、
父子ともに孤立している事、かつての清宮の家は、
犬神筋の「本家」或いは「真祖」などと呼ばれていた事が新たに聞けた。
道摩は考えながら、邪念を探していると、
大きな杉の樹の下から邪念を感じた。
村長から借りてきたスコップでそこを掘ってみる。
すると動物の頭蓋骨が出てきた。
恐らく犬の頭蓋骨ではないかと道摩は思った。
額の部分に「憎」後頭部の部分に「狂」の文字が書かれている。
頭蓋骨の埋めてあった視線の先の方角には清宮家がある。
道摩は急いで清宮家に向かう事にした。
清宮明は思い出していた。
妻との短いが幸せに暮らしていた日々の事を。
結婚生活は実質2年。
朋也が産まれると、元々体の弱かった妻は産後の肥立ちが悪く、
程なくして亡くなった。
男手一つで朋也を育てるのは大変で有った。
だが、子を育てるという実感とその大変さが、むしろ最愛の妻を失ってしまった悲しさを紛らわせてくれた。
その一粒種の可愛い息子が、変わり果てた姿で今、ここに居る。
「父さん……僕、悔しいよ。父さんみたいに力があったら、あんな村の奴らにこんな……」
「今は静かにしていろ」
朋也は小さくかぶりを振った。
「父さん。遠慮しないで。あんな奴らに。僕はもう……だから最後に父さんの力に」
道摩は車で、清宮家へ向かっていた。
門の前に、車を停めると辺りを伺った。
―人の気配がする。多いな。村の連中か?
道摩は清宮家の周辺に、ただならぬ人の気配を多数感じていた。
「清宮さん。ごめん下さい。昼間にお伺いさせていただいた、道摩です。清宮さん」
「どうぞお入りください」
奥から明と思しき男の声で返事が有った。
「清宮さん?いや、朋也君か?」
道摩は三和土に上がった先に出迎えた男を見てそう言った。
「道摩さん。朋也は今、私と一緒にいます」
そう答えた父の明は元々若く見えたが、今は白髪が無くなり、
肌つやが10代のそれになっていた。
「清宮さん。その姿。あんた、朋也君に何をしたんだ?」
「道摩さん。貴方は本当は研究者なんかじゃないでしょう?きっと私達の様な一族を相手にする事が出来る、そういう特殊な力の持ち主なんでしょうな。
でも、もう誰にも私を止める事は出来ないですよ。悪いのは全部村の人間達だ。私達じゃあない」
「何を言ってる?俺はあんた達親子を助けに来たんだ。村の連中は誰かに清宮家を憎む様に仕向けられて……」
「そうですか道摩さん。でも、少し遅かった。外に村の連中が居る。この匂い。全員が猟銃を持ってきている。バカな奴らだそんな物は無駄なのに。貴方は危ないからここに居て下さい。そして朋也の最後を見てやってください。奥の部屋に居りますから」
明はうわごとの様に言い残すと、裸足で三和土を降り、玄関に向かう。
道摩は閉められた襖の奥に向かい部屋を開けた。
そこには首を切りとられた朋也の無残な死体が有った。
明は門の外に凄まじいスピードで飛び出した。
そのまま眼の前の山に入る。
見張りをしていた村の連中も慌てて明を追う。
村人の誰かが発砲したが、当たりはしなかった。
清宮家を取り囲んでいた村人が追跡にかかる。
霧と闇が視界を阻むが、村の連中は子供の頃からこの山を知り尽くしている上に、
全員が、ヘルメット姿にヘッドライトを付けている。
遭難の心配は無かった。
本来は熊や猪を狩る為の銃を、人に向けようとしている。
数時間前に、明の息子の朋也を嬲り、凌辱した余韻も手伝って、
全員が奇妙な興奮状態に包まれていた。
明は山の中を四つ足で疾走した。
沸々と湧き上がる感情は、村人への復讐心に燃えているだけでは無かった。
今、人間という
明は吼えた。
それは獣の咆哮だった。
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