第2話「新人警官」
村田巡査部長と吉野巡査が県立公園をパトロールする事になったのは、
少年二人が人面犬を見た二週間後だった。
口裂け女を見たとの噂が立ち、近隣からパトロールの強化の依頼が出たのだった。
二人は公園の北口の駐車場にパトカーを停めて降りた。
公園内は車では入れない為、徒歩でのパトロールになる。
時間は夜0時を過ぎていた。
北口の入口からは、サッカー場、野球場、テニスコートと続く為、
中心部に行くまでは距離が有る。
「部長。なんかだるいっすね。口裂け女なんかいるわけないのに。ってか本当はよく知らないんですけど。大体なんすか口裂け女って」
吉野巡査が、歩きながら懐中電灯をぶらぶらさせて言った。
「なんだ吉野巡査知らないのか。ま、昔流行った都市伝説だよ。赤い色のワンピース着た、2メートルは有る大女で、口には大きな白いマスクで、マスクを取ると耳元まで口が裂けていて、私キレイって聞いてくるんだよ。で、上手く答えられないと持ってる包丁で襲ってくるらしい。色々細部はその地域によって違うようだが、概ねそんな感じだな。ただ当時は実際に我々の様に、全国的に警察がパトロールの強化をした位信憑性を持たれていたな。ま、パトロールをやらないって訳にもいかないしな。これで市民が安心するならそれでいいんじゃないか」
「ふーん。で、捕まったんですか?口裂け女」
「まさか」
村田巡査部長は、吉野巡査の警察官としての軽さに辟易していた。
村田巡査部長は59歳。
吉野巡査は警察学校を出たばかりとはいえ、警察官としては責任感が薄すぎるのではないかと思った。
「部長」
「なんだね」
「僕がなんで警察官になったか知ってますか?」
―知るか。
なんで俺が、そんな事知っていて当然のような聞き方をするんだ。
そんな事は特別に知りたくもないし、どうせ、拳銃を撃ってみたかったとか、
ろくでもない理由だろう。
村田巡査部長はそう思った。
拳銃を撃ってみたいというのは、警察官になりたいと思う志望理由の中で、
特別に珍しくはなかった。
勿論面接などでは市民の安全を守る為などの、当たり障りのない答え方をする。
「当ててみて下さい」
―面倒くさいやつだな。
村田巡査部長は口には出さずに、考えるふりをしていると、
「僕、拳銃を撃ってみたかったんですよねー」
と、吉野巡査が先に答えを言ってきた。
「そうかね」
予想通りでありふれているなと、村田巡査部長は思った。
だが、次の瞬間に吉野巡査が危険な人物だと思った。
「はい。撃ってみたいんです。人を。合法的にね」
そう話す吉野巡査の顔は、何とも言えない喜悦の表情を浮かべていた。
「……吉野巡査」
「あっ。冗談です。冗談。いやだな。本気にしないで下さいよ」
村田巡査部長は本気だろうと思った。
すぐに否定したのは、監査部に危険思想有りなどと報告されたくない為だろう。
日本の警察官は現場で発砲することなく、警察官としての職務を全うして定年を迎える者の方が圧倒的に多い。
犯人に向かって発砲するなどというのは、交番勤務の警察官としての人生の中では、一生に一度あるかないかであろう。
犯人が武器になるような物を持っていた場合でも、まずは武器を放せと何度か説得を試みる。次いで、放さなければ撃つ。と警告して、それでも武器を放さなければ空に向かって威嚇射撃をして、それでも武器を放さない、
或いは向かってきたら脚を狙って撃つ。
大体が日本の場合、警告の段階で犯人が武器を放すケースがほとんどだ。
また、仮に正当防衛や取り押さえるのに必要だったとしても、
撃てば撃ったで、適切な判断だったかが問われる。
むやみやたらには撃てないのだ。
勿論、警察学校で教わって十二分に吉野巡査も知っているはずだった。
―本当に危ないやつだ。
村田巡査部長は改めてそう思った。
定年間近になって、こんな危ない新人の面倒を見なければいけないとは、
ツイていないと思った。
―まあ、あと半年の辛抱だ。流石に発砲するような事態には遭遇するまい。
村田巡査部長も、自身の30年以上の警察官としてのキャリアの中で発砲した事はなかった。そう思ったら、少し気が楽になった。
二人は、二週間前に二人の高校生の少年たちが人面犬を見た売店を何事も無く通り過ぎた。
二人が進む左手には池が二つある。
一つ目の、下の池と呼ばれる池を抜けると、
次の中の池と呼ばれる池の中ほど右手に、花の広場という広場が有る。
そこで少し休憩するつもりであった。
大きなこの公園は幾つもの広場が有り、くまなく見るのは二人ではかなりの時間が掛かる。
二人が花の広場の手前まで来たときだった。
「部長。あれ、見えますか」
吉野巡査が視線で促した先、15メートル程離れた外灯の下に人が立っているのが見えた。
その人影は、遠目に女に見えた。
何かがおかしい。
村田巡査部長は頷きながらそう思った。
「ああ。見える。こんな時間に怪しいな。とりあえず職質かけるか」
「はい」
二人は幾分か速足で、女との距離を詰めた。
女のところまで後数メートルというところで、どちらからともなく二人は足を止めた。
外灯の真下に居る、女の風体が異様だったからであった。
女は真夏だというのに、長袖でスカートがひざ下まであるロングの赤いワンピースを着ていた。
靴はエナメル質の赤いピンヒールで、ヒールの高さは10センチはあるかと思われた。
だが何より、その女はデカかった。
吉野巡査は身長が182センチある。
その女はヒールを履いているとはいえ、吉野巡査が顔を上げなければいけないほどのところに、顔があった。
少なくみても女の身長は、2メートルは有りそうだった。
表情は俯いているせいで見えないが、口元に白く大きなマスクをしていた。
そして右手には大きな包丁を持っていた。
女は俯いたまま動かない。
―マジかよ。こんな奴が本当にいるなんて。
だが吉野巡査は、女の気味の悪さにむしろ感謝していた。
―包丁まで持ってやがる。やべぇ撃てるかも。
吉野巡査は拳銃で人が撃てるかもしれないという興奮に、女の異様さにおける恐怖心が麻痺していた。
吉野巡査が女に声を掛けた。
「おい。こちらは、K県警T警察署の者だ。ここで何をしている」
女がゆっくりと顔を上げた。
まるで、声を掛けられるのを待っていたかの様だった。
そして吉野巡査を見た。
女は、口元の白いマスクに手を掛けマスクを外した。
二人の警察官は、息を呑んだ。
女の口は耳元まで裂けていた。
真っ赤な唇と裂けた口の中に尖った沢山の歯が見えた。
「わたし、キレイ?」
二人の警察官のどちらも答えなかった。
出し抜けに吉野巡査が怒鳴った。
「動くな!その右手に有る包丁を捨てろ!」
―捨てるなよ。撃てなくなっちまう。
吉野巡査は内心の喜びを隠せずに笑った。
女はその吉野巡査の笑みに答えるように裂けた口を更に広げ、にいっと笑った。
凄惨な笑みだった。
女は警告を無視して、無造作に吉野巡査に向かってゆっくり歩いてきた。
―いいぞ。いいぞ、その調子だ。捨てずに向かってこい!
「止まれ!包丁を捨てろ。捨てなければ撃つ!包丁を捨てるんだあー!」
吉野巡査は形式的に警告した。
―絶対に捨てるなよ。こんなチャンスは滅多にないんだからな。
「おい君、止まって包丁を放しなさい」
村田巡査部長も声をかけたが、女は止まらなかった。
「撃つぞーーー!」
吉野巡査は、血走った目で叫び空に向けて一発発砲した。
パンと乾いた音がした。
だが、女は止まらない。
吉野巡査は物凄い形相で叫んだ。
「お前が悪いんだからなァ!」
吉野巡査は拳銃を構えなおし、女に向けて発砲した。
狂った様にみえて、吉野巡査の一連の動きは完璧にマニュアル通りだった。
乾いた音がまた、パン。パン。パン。と、三回鳴った。
女の右脚に二発と、腹の辺りに一発着弾した。
―ざまあみろ。メチャクチャ気持ちいいぜー。
吉野巡査はそう思ったが、女はまるで意に介さずそのまま向かってきた。
それを見た村田巡査部長も、拳銃を構えて撃った。
同じように脚と、腰の辺りに着弾したが歩みは止まらなかった。
続けて吉野巡査が最後の一発を撃ち、胸の辺りに当たったが何の効果もない様に見えた。
村田巡査部長も五発全弾撃ち尽くしていた。
弾を込めなおしている暇は無かった。
いつの間にか女は、吉野巡査のすぐ目の前に来ている。
吉野巡査は頭にきていた。
何故、拳銃が効かないのか。
自分に撃たれて、のたうち回らないのか。
吉野巡査は理不尽な怒りに支配された。
―これじゃ台無しじゃないか!
「オラァ!」
警棒で剣道の小手の要領で女の右手を狙った。
吉野巡査は女の手首の骨ごと、叩き折るつもりで打った。
高校時代、剣道では全国大会にも出ている。
凄まじいスピードで、警棒が放たれた。
村田巡査部長には警棒の動きが見えない程だった。
女の包丁は叩き落されるだろう。
村田巡査部長はそう思った。
からん。
乾いた音がした。
女の持った包丁が落ちた音だと、村田巡査部長は思った。
「ぐわああ」
だが次の瞬間、吉野巡査が絶叫を上げていた。
見ると吉野巡査の両手の手首から先が無くなっていた。
音は、吉野巡査の警棒の落ちる音だったのだ。
女が、絶叫する吉野巡査を抱きしめる様に抱え上げた。
90キロは有る吉野巡査の足が浮いている。
女はそのままの体勢で、吉野巡査の耳に顔を近づけて言った。
吉野巡査の鼻に、女の香水が匂った。
「ねえ、わたしキレイ?」
「バ、化けも…のが」
吉野巡査が答えた。
すると、女の体が少しずつ膨らんでいった。
筋肉が隆起していくのが、服を着ていても分かる。
ワンピースの腕の部分がパンパンで、今にも破けてしまいそうになっていた。
「か……かか」
抱きしめられている吉野巡査が呻いた。
口裂け女に強烈なサバ折りをされていた。
バキ、バキと、肋骨と背骨が折れる音が村田巡査部長の耳に届いた。
吉野巡査が手足を無茶苦茶に振り回しバタバタしているのが見える。
両手首から血がまき散らされ、女と地面を赤く染めていく。
何かの映画のワンシーンのようだなとぼんやりと村田巡査部長は思った。
「ぶ・ちょう・た・すけ」
吉野巡査が助けを求めたその時だった。
ごしゃっ。
ひと際大きな音がした。
吉野巡査は、二つに折られていた。
腰のやや上の辺りから、背中の方へ、ちょうど半分に。
口裂け女は、吉野巡査の死体を片手で軽々とゴミのように投げ捨てた。
口裂け女の着ている赤いワンピースが、吉野巡査の血で更に赤く染まり、
月明りと街灯に照らされ妖しく見えた。
口裂け女は、腰を抜かして動けない村田巡査部長に向かった。
吉野巡査の血を浴び、妖しく濡れそぼる女を村田巡査部長は美しいと思った。
女は口をにいっと開けた。
「わたしキレイ?」
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