地上百メートルの紅色交差点

 あたしは声をかけるべきか悩んでいた。糸佳ちゃんと管理人さんは同じ班だけど、あたしは管理人さんとは別の班。同じクラスであるはずなのに、クラス別行動が極端に少ないうちの学校の修学旅行な故、管理人さんと何か新しい思い出ができたとか、そういうのはこれといって特になかった。

 ただし、明日のあたしたちは班行動から一時的に外れ、『BLUE WINGS』のワンマンライブを京都駅で行うことになる。もちろん学校には『欠席』という形で許可を取ってある。美都子たちは白根さんの班と合流するって言ってたし、真奈海に至っては『わたしの班は元々人数多いから一人くらい減ってもへっちゃらだよ〜』なんて、なんだか少し寂しいことを言っていた。でも明日のライブは修学旅行というより、どこか仕事っぽくて……ただしスタッフも極端に少ないらしく、裏方はほとんど糸佳ちゃんと管理人さんだけで取り仕切ると言っていた。糸佳ちゃんが『修学旅行中なんだし迷惑かかるといけないので大勢のスタッフはお断りします』と文香さんに頼んだそうだ。その経緯はちらっとしか聞いてないけど、どこか糸佳ちゃんの決意のようなものを感じていた。


 その時だった。脳天を直撃するような激しい痛みが、あたしを襲い掛かってくる。


 まただ。今日のあたしは度々猛烈な頭痛に見舞われるんだ。何かを深く考えると、途端にそれが途切れてしまい、ふらっとなって一瞬立っていられなくなる。午前中のそれはほとんど瞬間的なものであったのに、午後になってからはその痛みに襲われる時間が徐々に長くなっていくのを感じていた。


「美歌ちゃん……顔、真っ青ですけど大丈夫ですか?」

「……ん? あ、うん。特に大丈夫だよ」


 声の方を確認すると、糸佳ちゃんが心配そうにあたしの顔色を伺っていた。近くにいた美都子も特に話しかけてくることはないけど、あたしのことを気にかけてくれているようだ。午前中は誰にも気づかれない程度だったのに、本当にどうしてしまったというのだろう。

 あたしはこんなところで風邪でも引いてしまったのかもしれない。


「おい美歌。明日は本番なんだから無理するなよ」


 あたしは背後から聞こえてきた声にぎょっとなる。その声のせいであたしの調子はさらにますます狂ってくる。くるくるくると、なんだかあたしがあたしでなくなっていくかのようだ。


「って、勝手に呼びつけで呼んだりしないでよ!!」

「え……? って美歌、本当に熱でもあるんじゃないのか?」


 声の方に振り向くと、ついさっきまであたしの視線が追いかけていた管理人さんの顔がすぐ目の前にあった。本当に近い。あたしは驚いて、とっさに後ろに反っくり返そうになってしまう。今までのあたしだったら呼び方程度のことで反発したことなんかなかったのに、今日に限ってそんなことを自分で言っててびっくりしているところだ。なんだか自分でも何言ってるのかさっぱりわからない。


「とりあえずお兄ちゃん。美歌ちゃんをあっちのベンチで休ませてあげてください」

「え……? ああ……」

「ほら。美歌ちゃん苦しそうなのであそこまでしっかり連れて行ってくださいね!」

「…………」


 ふと見ると、糸佳ちゃんはあたしを心配そうに見ているというよりは、どこか嬉しそうな顔で見ていた。全く、本当に困った同居人だ。

 そう思った瞬間、あたしの左手はぎゅっと温かい体温に握られていた。その体温の正体は、管理人さんの左手。あたしは思わず手汗をかきそうになったけど何とかこらえるので精一杯だった。元々あたしの体温は低いから大丈夫だもん。だからこれは、ただ風邪を引いて頭が少し熱くなってるだけ。そう考えるので精一杯だった。


「立てるか?」

「……う、うん」


 優しい管理人さんの声。やっぱしずるい……。


「えっと〜……肩は貸さなくていいか?」

「いいわよ。そんなことしたら……」


 ――そんなことしたら真奈海に嫉妬される。


「お兄ちゃん。美歌ちゃんをおんぶするか、もしくはお姫様抱っこというのもありですよ」

「糸佳ちゃんは黙ってて!!!」


 この状況、一番楽しんでいるのは糸佳ちゃんなのかもしれない。

 まったく、人の気持ちも知らないで……。

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