八坂神社の手前の赤信号
しばらく歩くと、四条通の終点である祇園交差点に辿り着いた。ここまで何度もすれ違う人とぶつかりそうになり、あたしも思わず謝ってしまう瞬間があったけど、あちらはそんなあたしの様子に全く気づかず、あっという間に後ろ姿が遠くなっていた。それをちゃんと確認する暇もないほど、また別の人とぶつかりそうになり……本当にあたしは一体何をしているのだろう? なんだか少し間抜けな気分になる。
だけどそうは言っても『あれ? さっきの子って……』と、遠くの方から若い女性の声が聞こえてきたこともあった。そんなしょうもない些細なことであっても、あたしの耳は聞き逃してくれなかったりする。ただしこの場合だけは、意図的に振り返ることはしない。今のあたしはごく普通のスクールコートの制服姿。ちゃんと目を凝らせば校章なども目に付いてしまう。あたしは真奈海みたいに超有名人というわけでもない。日本全国に数多存在している女子高生アイドルのうちの一人に過ぎないから、これと言った変装もしていない。それでも迂闊にも『BLUE WINGS』の一人だってバレて大騒ぎになるのは、ここにいる他の生徒に悪いから、その時ばかしはやや足早に歩いたんだ。
「美歌ちゃん。さっきの……大丈夫でしたよね?」
「本当にここ、人の数だけはやばいくらいに多いね……」
あたしと糸佳ちゃんは小さく笑いながら、信号が青になるのを待った。時間が止まってしまうかのような、自ずと長い胸の鼓動を覚えてしまう。今すぐここを逃げ出したくて、それでもなぜだか少し楽しくて。
人が多ければ多いほど、あたしという人物はそれだけ埋もれていくのだろうし、その逆も然りだ。あたしを知っている人に出くわしてしまう可能性だって高くなるのだろう。そのパラドックスに気がつくと、あたしはどういうわけか少しだけ勇気が湧いてきた気がした。本当にどうしようもないただの女子高生なのかもしれないけど、それはそれでもいいのかなって、あたしにはそれがなんだか可笑しく思えてきたんだ。
「ところで美歌ちゃん。八坂神社のおみくじの話、ご存知ですか?」
「おみくじ???」
やがて信号が青になると糸佳ちゃんが少し前を歩き出し、突然そんなことを言ってきたんだ。その顔はちょっとだけ、あたしをからかっているような顔にも見えたわけだけど。
「ですです。八坂神社には恋みくじっていうのがあるんです」
「恋みくじ……ねぇ〜……」
もちろんそんな話は聞いたことなかったけど、糸佳ちゃんは楽しそうに『もちろん美歌ちゃんは興味大アリですよね?』みたいな顔をして、こっちを見てくるんだ。それは一体、あたしに何を期待しているのだろう。
……ぶっちゃけた話、あたしには一切興味がなかった。恐ろしくもどうでもいい話。今のあたしには恋愛なんて身の程知らずと言うべきか、ほとんど関わりのない、そんな次元のお話。
「八坂神社には夫婦の神様が祀られていて、すごく当たるそうなんですよ!」
「はぁ……」
「うちの高校の先輩たちもここで恋みくじを引いて、いくつもカップルが生まれたとか!?」
「ふ〜ん……」
「きっと今年もそんな伝説が生まれるんですよきっと!」
「そうなの……?」
こんなあたしにとっては他愛のない会話でしかなかったけど、糸佳ちゃんは本当に楽しそうに話しかけてくる。正直あたしにどうしろ!?と思わないことないけど、そもそもあたしは興味がないんだから。
……うん、そうだよ。あたしには関係ない話だもん。だから、きっと――
「だから美歌ちゃん。イトカの代わりに恋みくじを引いてください」
「…………は!??」
が、糸佳ちゃんの会話は急激に妙な方向へ突っ走ってしまい、あたしにはもはや何を言っているのかさっぱりわからなくなっていた。あたしの思考を全て遮るように、まるで話の暴走機関車だ。
そもそも『イトカの代わり』とは一体どういう意味だろう。それが胸に小さく引っかかったのと同時に、秋の冷たい風がきゅんとあたしの頬を叩いてきたんだ。
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