新しい春の曲の行方
「あたしがこの曲を歌ってそれを管理人さんが配信することって、できないかな?」
それは、美歌のノートに書かれていた旋律のこと。
どうやら美歌本人が書いたものではないらしいこの曲は、糸佳曰く、春の希望というものを彷彿させるらしいバラードのようだ。今ここにあるのは旋律とギターコードのみだけど、一つの曲として十分なほど完成されていた。
「別に僕は構わないが……詞と編曲はどうするんだよ?」
「編曲についてはイトカにお任せください!」
「うん、わかった。じゃあ〜、編曲は糸佳ちゃんに依頼するね!」
「はいです!! ただ、作詞の方はちょっと……」
糸佳のアレンジセンスならば、特に問題ないだろう。多彩な楽器を操ることのできる糸佳は、他の作曲家さんから編曲だけを任されるケースもある。それはプロとしても十分な実績があるということだ。
ただし、糸佳本人も言う通り、作詞はどちらかというと糸佳が他の方に依頼するケースのほうが多かった。糸佳自身も作詞経験がないわけでもないが、それほど得意な分野ではないらしい。クレジットの『作詞・作曲・編曲』全てが『ITO』となっている場合は、確かに作曲と編曲は糸佳が一人で行っているのは間違えないが、作詞に至っては半分くらい僕も手伝っていたりする。が、僕と糸佳の白熱した議論の末に出来上がった詩であっても、文香に言わせると『全然プロとしては通用しないレベル』との評価だ。プロってのはどうしたって厳しい世界だよな、やっぱり。
「それならさ、作詞だけはあたしがやるよ」
と答えたのは、美歌だ。一人称『あたし』の方の美歌。
「え? できるのか??」
「ん〜……あたし、国語の成績だけはいいから、たぶん大丈夫じゃないかな〜?」
「いや、国語の成績とかあまり関係ないと思うけど……こういうのって!」
「でもまぁあたしがお願いしたんだし、それなりのクオリティーならなんとかなるでしょ」
「…………」
確かに、美歌がどんなクオリティーのものを求めているのか知らないけど、もし仮に僕と糸佳で制作している動画チャンネルで公開する場合は、事務所の版権なども含めて少々考慮が必要だ。それこそ事務所からプロレベルのクオリティーを文香は求めてくるかもしれない。
とはいえ、それは曲が出来上がった際に考慮すればいいという考え方もあった。新しい動画チャンネルを作って、そこで公開するという方法もあるだろうし……いや、その場合、糸佳は『ITO』というクレジットを使用できなくなる可能性もあるが……。
「ま、いずれにしてもこれで一通り駒は揃ってるよね!」
「曲が既にあって、作曲と作詞と、そして歌い手と……これで全部じゃね〜か?」
それと僕は動画担当。うん、これだけ面子と材料が揃えば、動画は作れそうだ。
……あれ? 誰か忘れてる???
ふとその忘れられた存在の女子の方を見ると、案の定とも言うべきか、心なし寂しそうな顔をしている。まるで里親を探す捨て犬の瞳を宿して、僕の方をじっと睨んでいるんだ。いや、僕を恨んだところで筋違いだと思うが。
そもそもあなたはめっちゃ有名人でしょうが。それがこの趣味の延長線にあるようななにかに、そもそも関わっていいのか?
「いやちょっと待ってください! まだ駒が足りてません!!」
ところが、そこに待ったをかけたのは、譜面をじっと眺めていた糸佳だった。
「え、何が足りてないんだ?」
「ボーカルです!!」
「ボーカル???」
だって歌は美歌が歌うって……。
「この楽譜、よ〜く見てほしいんですけど、音符に対して上下両方に棒がついてます!」
確かに糸佳の言うとおりだった。本来音符というのは、上か下か、その音符の位置によって片方にのみ棒がついている。それこそがオタマジャクシの所以でもあって、本来二本も尾ひれを生やしたオタマジャクシなんて存在するはずもない。そんなことがあったらカエルさんもびっくりだ。
が、この譜面には上下に二本尾ひれを生やしたオタマジャクシさんが、ずらりと並んでいるのだ。こんなことあったらカエルさんは文字通りひっくり返ってしまいそうだけど、ただ譜面という意味であればそれは特に不思議なことでも何でもなく……。
つまりこの楽譜は――
「だから、ボーカルがもう一人必要なんです!」
と、糸佳は得意満々の笑みを浮かべて、そう答えてきたんだ。
「ただのコーラスじゃないのか? それなら美歌さんが二パート分を歌えば……」
「最初はイトカもそう思ったのですけど、譜面を追っかけてみますと、どうやら同等の歌唱力を持ったボーカルが二人で歌う曲っぽいのです。実際、この部分などは完全に二パートに分かれて独立して歌っています。これはコーラスとは別物なんですよきっと!!」
なるほど。この曲は確かに、二人で歌うことを想定されて作られている。
……が、そのことに一番驚いていたのは、実は僕や糸佳ではなく、この楽譜そのものを僕達に見せてきた美歌本人のようだった。まるで予想外と言わんばかりの顔をしている。
多分だけど……この曲を書いたのは、あの子だろう。
恐らくこの曲も、ここにいる美歌のために書いたものなのかもしれない。
それなら辻褄も合っていたし、僕も納得はできていた。
でも、それが二人で歌う曲だったとは……。
それは、一体どういう意図があるのだろうか?
「ふっふっふっ〜。ようやくわたしの出番ってことだね!」
僕がそんなことを考えてるうちに、突如割り込んできたのは真奈海だった。
さっきまで捨て犬に化けてたくせに、勝手に復活してきやがったんだ……。
「ってお前。それこそ文香さんが黙ってないんじゃね〜のか!?」
「大丈夫よ。ユーイチのVTuberって、そういう時のためにあるんでしょ?」
「はい!??」
……いや、さすがに真奈海の場合は、声とかで完全にバレるんじゃあ……。
「真奈海ちゃん! あたしからもお願いします!!」
「イトカもそれでいいと思います! 真奈海ちゃんならイトカも安心です!!」
「ほら。他の人もいいって言ってるし、ユーイチももちろん問題ないよね?」
「いやいや、そういう問題じゃなくてだな……」
とはいえ、依頼者である美歌がそれでいいと言ってるなら、それでいいのかも。
文香に後で怒られるかもしれないが、その時はその時だろうか……。
「じゃ、ユーイチも賛同してくれたようだし、決まりだね!」
「いやまだ僕何も回答してないつもりなんですけど〜!!」
「お兄ちゃん。母にはイトカからちゃんと説明しますから!」
「管理人さん、よろしくねっ!!」
なんか、勢いだけで決まってしまった気もするけれど……。
美歌のその笑顔はとても愛くるしくて、その顔を前にすると、胸を撃ち抜かれてしまった僕は、到底否定することなどできなくなっていた。
春の日、GWの最終日。時間は、今はもう朝一時。
こうしてチロルハイムメンバーでVTuberデビューすることが決定されたんだ。そこには皆の笑顔しかなくて、希望に満ち溢れていて……。
でもそれで、美歌が納得できるなら――
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