中華街へ行こう!

 場所は、先程までいた海辺の遊園地から電車を乗り継いで三十分ほど。

 横浜は中華街。連休中ということもあり、店の前はやはり人通りが激しかった。


 無事にイベント三昧のスケジュールを乗り切り、文香は事務所関係者に謝恩の念も込めて、食事会を催したんだ。正直なところ、僕はこの連休中のイベントにはほとんど携わっていないし、そのまま帰ろうとしたのだけど、案の定とも言うべきか真奈海に捕まってしまい、そのまま中華街の最寄り駅石川町で途中下車させられてしまった。僕と同じくイベントにはほぼ関わりのない美歌も、僕の後を追うように電車を降りてしまったため、ひとまず共犯ということになるだろう。まぁ一人称『私』の美歌を電車の中に一人放置したら、ほぼ間違えなく迷子一直線だっただろうし、これが正解だったかもしれないが。


「お兄ちゃん、このお皿空けたいので早くこれ食べちゃってください!」

「……って、なんで僕に当然のように残り物を押し付けてくるんだ!??」


 四人がけテーブルに、糸佳と美歌、そして僕が座っている。そしてテーブルの上には青々とした空芯菜の炒め物がどっさり残っていた。元はといえば注文時に『これはなに?』と一人称『私』の美歌が聞いてきたので、糸佳が注文したものだった。それも容赦なく、大量に。


「これ食べてくれないと、次の注文ができないんですよ!!」

「いや、だからだな……」


 糸佳の言う通りで食べ放題とは言え、その前にオーダーしたものをある程度食べ終わらないと、次のものは注文できない。糸佳は『そんなことも知らないんですか?』みたいに睨んでくるのだが、そもそも糸佳が頼んだんだから責任もって最後まで食べてほしいものだ。


「じゃ〜これ、わたしがいただき〜!!」

「……お、おい。お前はそんなに食べて大丈夫なのか??」


 横からひょいと顔を出してきたのは真奈海だ。真奈海はつい先程まで隣のテーブルにいた気がするが、僕の真横の空いていた席にすっと座ったかと思うと、その大量の空芯菜をあっという間に平らげてしまった。


「だってお腹が空いてたんだも〜ん! ほら糸佳ちゃん。次頼もう!」

「はいです!! 次はこの写真のあひるの丸焼きを頼んじゃいますね!」

「お〜いいね〜! あひる焼き、美味しそうだよ〜!!」

「って、まだここへ来て北京ダックを頼む気かよ!?」


 糸佳はそもそも『北京ダック』という言葉を知っていたのだろうか。明らかにメニューをぱっと見て、その丸々と焼かれたあひるの姿を指差し、ほぼ説明文も読まずに次のオーダーを決めている。

 糸佳のやつ、ただ珍しいものをひとくち食べてみたいだけなのだろう。


「こういうのはノリが大切なのよ〜。ユーイチ君、そんなこともわからないの〜?」

「てか、糸佳はさっきからほとんど食べてないし、逆に真奈海は食べすぎだ!!」


 ちなみに真奈海はつい先程まで、隣のテーブルで直径十五センチほどの大判餃子を五つほど食べていたはずだ。千尋が『真奈海ちゃんそんなに食べて大丈夫!?』と騒いでいたのが、僕の耳にもしっかり聞こえていたんだ。


「ひょっとしてユーイチ。わたしのこと、心配してくれてるんだ?」

「いや心配も何も、お前、つい最近アイドルになったばかりだろ」

「だって女優の頃より体力いるんだも〜ん。食事はちゃんと摂っておかないとね!」

「と言っても、そもそも限度というものが……」


 そんなやり取りをしている最中、テーブルには麻婆豆腐が二皿運ばれてきた。……てか、これを頼んだのは誰だったっけ? その色からしていかにも激辛という気もするけど、それを二皿というのはさすがに多い気がする。辛いものといえば糸佳の得意料理ではあるけれど……。


「糸佳。このいかにもな麻婆豆腐、少し頼み過ぎじゃないか?」

「確かに二皿は多いですね? でも、これを頼んだのはイトカじゃないですよ?」

「え……?」


 するとその麻婆豆腐に何食わぬ顔をしてすっと手を伸ばしてきた人物がいた。


「あ〜、これ頼んだのはあたしだよ?」

「あ、なるほど。……って、いつの間に!??」


 つい先程まで異様なほど沈黙を保っていたはずなのに、美歌はそれをパクパクと口に運んでいく。あっという間に一皿目を平らげて、既に二皿目へ着手しようとしていた。激辛麻婆豆腐とは一体何であるのか? そういえば糸佳特製の激辛カレーも、一人称『あたし』の美歌は何一つ文句言わず食べていたような。

 ……じゃなくて、いつから一人称『あたし』に入れ替わっていたんだ!??


「でも美歌さん。そんなに焦って食べると、むせてしまいますよ?」

「へーきへーき。あたしこういう料理は得意だから」


 糸佳の心配をよそに、先程までほとんど料理に手を付けていなかった美歌はぱくぱくと口に放り込んでいく。ひょっとして美歌のやつ、『私』と『あたし』が入れ替わってから、ずっと激辛料理を待っていたのだろうか?


 ……が、その食べるペースは思わぬ形で終息したんだ。

 真っ赤な唐辛子がスプーンと共に、美歌の口へそのままぽいっと運ばれたから。


「っ……!??!?!?」

「だから言わんこっちゃない! 真奈海、そこの飲み物取ってあげてくれないか?」

「あ〜、これかな……?」


 なぜだか僕らのテーブルの上には水がなかったため、通路側にいた真奈海に隣のテーブルから水を調達するようお願いした……はずだった。

 が、真奈海はどういうわけか、透明な水の入ったポット……ではなく、そのすぐ隣に置かれてあった赤い液体の入ったグラスの方へと手を伸ばし、それを美歌に手渡したんだ。美歌は何も疑いもなく、僕があっと気づいたときには時既に遅し……。


「!??!?!?!?!??」


 その赤い液体を口にした瞬間、美歌はその場でぱったり倒れ込んでしまった。

 言うまでもない。真奈海がとっさに手に取り、美歌がうっかり飲んでしまったものは、文香が飲んでいたはずの紹興酒(グラス)だったのだ。


 ……お〜い、生きてるか〜???

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