エンドレスナインエンド
清水らくは
エンドレス
球場全体が、歓声に包まれていた。敵味方関係なく、ファンも選手も、温かくそのバッターを迎えている。
多分、今この場で険しい顔をしているのは俺だけだ。
ゆっくりとバッターボックスに入り、足場を確認する、大柄な男。球界のレジェンド、市田
だったのだが。今シーズンはずっと不調。全く打てない日々が続き、ついには引退を決断した。そして今日が、引退試合。代打がコールされるや球場が揺れた。
誰からも愛される選手。その最後の相手が自分だというのは、とても名誉なことだ。全力で投げるのが礼儀というものだろう。
だが、俺は迷っていた。どうすればいいのか。
キャッチャーもサインは出さない。俺にすべてを任せているのだ。
仕方がない。覚悟を決めて、振りかぶる。
渾身のストレートが、ど真ん中へ。市田さんもフルスイング。ボールは、ミットの中へ。
タイミングもあっていないし、バットとボールの距離がかなりあった。市田さんの顔を見る。涙ぐんでいた。ただでさえ打てなくなったのに、目の前がぼやけているのだろう。
俺は、右手の人差し指を立てた。キャッチャーではない、市田さんへのサイン。
二球目もど真ん中へのストレート。空振り。さっきより合っていない。
あと一つストライクをとったら、終わってしまう。レジェンドがバットにかすりもしないままに、全くその雰囲気すらないままに引退してしまう。今夜のニュースで何回も流れるだろう。
俺のヒーローは、美しくあってほしい。俺の球を打ち返してほしい。強い打球ならどこだっていい。ファーストライナーでもサードゴロでも、ホームランだっていい。だから、だから市田さん、しっかりしてくれ!
三球目、俺は歯を食いしばりながら力を抜いて投げた。打たれるために手加減をするなんて、恥ずかしい。けれども、それよりも市田さんに有終の美を飾ってほしかったのだ。
「ットラーァク!」
白球は、内角低めぎりぎりにびしっと決まってしまった。慣れないことをしたのでコントロールが乱れ、最高のコースに行ってしまった。
まさかの、見逃し三振。
市田さんは苦笑していた。球場全体から拍手と、ため息が聞こえた。
だめだ。こんなのではだめだ!
球場全体が、歓声に包まれていた。敵味方関係なく、ファンも選手も、温かくそのバッターを迎えている。
多分、今この場で険しい顔をしているのは俺だけだ。とさっきも思った。
ゆっくりとバッターボックスに入り、足場を確認する、大柄な男。球界のレジェンド、市田耕哉。だが、もうこの人は野球選手としての能力を失ってしまったのかもしれない。
これで、四回目だった。市田さんを討ち取るたびに、時間が戻ってしまうのだ。普通に勝負しても、スライダーを投げてみても、全部ど真ん中ストレートでも駄目だった。
繰り返してみたことで、わかったことがある。市田さんはもう、球を目で追えていない。視力の低下なのか、その他の要因なのかはわからない。とにかく、ボールにバットが当たる気配がないのだ。
こうなったら意地でも市田さんに打たしたい、そう思った。でも、どうしたらいいのだろうか。ひょっとしたら、100キロを越えたら見えないのだろうか。
俺は、賭けに出た。ほとんど投げたことがない、スローカーブ。これならば見えるのではないか。見えさえすれば天才だ、何とか打ってくれるだろう。
覚悟を決めて、一球目を投げた。
「あっ」
だが、投げた瞬間わかった。全くコントロールできていない。慣れないことはするものじゃない。大きく弧を描いたボールは、市田さんの肩に当たった。
最悪だった。デッドボール。引退試合でスローカーブでデッドボール。
だめだ。こんなのではだめだ!
球場全体が、歓声に包まれていた。敵味方関係なく、ファンも選手も、温かくそのバッターを迎えている。
……よかった。これで戻れなかったらどうしようかと思った。ほとんど投げたことのない球でレジェンド最後の打席デッドボール。俺へのバッシングはすごいものになっただろう。
どうすればいいのか。頭を高速で回転させる。そして、出した結論は、向こうが当てられないなら、こちらから当てるしかない、というものだった。
もう一度、ど真ん中へストレートを投げる。やはり、空振り。想定内だ。そしてその姿を、目に焼き付ける。タイミング、バットの起動、スイングスピード。こちらからあれに、当てに行く。
二球目、少し高めに。空振り。さっきよりは距離が近くなったものの、同じ軌道というわけではなかった。おそらく、「なんとなく」は球を感じているのだ。だからこそ、感覚とのズレがつねに距離を生じさせる。しかもタイミングのずれはどうしようもない。
二球目、心持ちクイック気味に投げた。先ほどよりタイミングのずれが減った。
三球目、クイックすら少し遅め。また少し近づく。
終わってしまった。たった三球しか試せないなんて。
あ、だめだ。こんなのではだめだ!
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