1-5. 灰にかかる虹

「ほっ! よっ! はっ!!

 ちくしょう、今日はいつにも増してしつこいじゃないか!」

「ふっふっふっ! そういつもいつも、この”白亜”のヒメノカリス様から逃げられると思うなよぉッ!」


 走る人間の少年と追う白色の怪人。何処をどう走ったのか、鬼ごっこを続ける二人はいつの間にかビルの屋上へと舞台を移し、狭く林立する雑居ビルを走り渡るアスレチックレースを繰り広げていた。


「よっと!!」


 今また少年は広めの路地を勢いをつけて飛び、向かいのビルの屋上へと着地する。突きすぎた勢いは二、三回前転することで和らげる。

 起き上がり様チラリと後ろを覗けば、同じ様に大きくジャンプする白い蜘蛛の怪人の姿。八つの目は少年の姿をしかと捉え、背中から生えた四対の節足やハサミ状の両腕が少年を切り裂こうと不気味に蠢いている。

 あまり引き離せていないことを苦々しく思いながら、少年は再び走り出す。肺も心臓もかなり悲鳴を上げ始めていたが、ここは我慢のしどころだ。

 屋上に設置されたままの室外機やフェンスを最小限の動きで乗り越え、飛び越えひた走る。後を追う怪人も圧倒的な身体能力で以て強引に障害物を時に跳ね飛ばしながら追随する。


「いつもなら、そろそろ、諦めてる、頃じゃないのか!」

「ふっふっふ! いつもは寛大なヒメノカリス様であるが、今回はそうもいかん!

 実は、本当にヤバいのだ! 見るか、俺様の給与明細!」

「『色喰いろばみ』に、給料なんて、あるのかよ!」

「あってたまるかっ!!」

「ないんじゃないかっ!?」


 突っ込みつつ、怪人ヒメノカリスが吐きかけてきた糸を器用に躱し、貯水タンクのハシゴを一段飛ばしで一気に登り切る。ヒメノカリスはと言うと、跳躍で乗り移れるような高さでも無いのか、幾ばくかの躊躇の後に器用にハサミの両腕を使ってハシゴを登り始めた。かなり昇りづらそうではあったが。


 その様子を見て、少年は一瞬だけ息を整えて、再び走りだす。


「失敗ばかりのレジスタンス! いい加減に観念したらどうだ! 逃げてばかりでなくて、偶には俺様と戦ってみろ!」

「へっ! やだねっ!」


 怪人ヒメノカリスの安い挑発を、少年は舌を出して拒絶する。

 確かに、レジスタンスなんて大層な事を名乗っておきながら、正直言って戦績は良くない。立てた作戦が上手くいった試しはその殆どが失敗してきた。

 失敗して、少年が囮になりながら逃げる。それを繰り返す内に、あの白い怪人ともすっかり顔なじみになってしまった。


(今更、一つ二つの失敗がなんだ! 人間俺達は、もう一番大きな失敗をしてるんだ!

 多少の失敗なんか、いくらしようが関係ない! それに…………)


 内心叫びながら、少年は走り続ける。走りながらも、その口元には明確な笑みの形があった。

 それに、少年達レジスタンスが諦めないのには理由もあった。


「それに、今回は実はもう成功してるんだぜっ! はっはー!」

「なっ!? こ、こぉのぉ~~っ!!」


 少年からの思わぬ挑発に、蜘蛛の怪人が白い顔を赤くする。

 そう、今回は初めて成功したのだ。不足し始めた物資を敵地から補給するという作戦が。

 これまでレジスタンスは数々の失敗を積み重てきたが、それは同時に着実な成長をもたらしていたのだ。

 亀の歩みかもしれないが、それは確かに一つの希望であった。ここ最近の徐々に盛り返し始めたレジスタンスを見て、少年は決して諦めるなと誰かに語りかけられた気がしていた。

 例え逆境のなかであろうとも一つ一つ失敗を積み重ねて、いつか成功を掴み取るその日まで、決して諦めてはいけない、と。


 だから――――っ!


「今回も、しっかり逃げ切らせて貰うぜ! そしていつか必ず、人類俺達が勝ってみせる!」


 宣言し、大きく跳躍する。


(そうだ! いつか必ず、人類俺達が勝つ!

 父さんも言っていた、希望はまだあるって。探せって! 必ず、その『希望』を見つけてやる!!)


 空中で風を切りながら、追跡者は流し見る。

 ヒメノカリスは追うことをようやく諦めたのか、その場に立ち止まっていた。


(…………なんだ?)


 だが、その姿勢は妙に低く、背中から生えた節足は何本か床に触れているほどで――――、


「――――そう、いつも、いつも、逃がすと思うなよぉっ!」

「っ!? しま――っ!?」


 ヒメノカリスの節足が大きくたわむ。


 次の瞬間、ヒメノカリスが体勢を跳ね上げると共に、もの凄い勢いで足下の、コンクリーの床トをその節足で引っ掻いた!

 強靱な白い節足はコンクリートなど容易くえぐり取り、すくい上げ、いくつもの破片が弾かれ、飛礫となって空を裂く。


「くっ!?」


 散弾となって飛び散った幾つもの破片は避けようもなかった。そもそも、空中でとれる身動きなどたかが知れている。出来たのは、精々が体を小さく折りたたむことだけ。

 直後、幾つもの破片に少年は強打される。激しい衝撃に飛び越えようとしていた軌道をずらされ、勢いを削がれ、そして少年はビルの合間にわだかまる闇の中へとあえなく落下してしまった。







「くっそ……失敗した……」


 ビルとビルに挟まれた灰色の闇の中を、少年は左足を引き摺り進んでいた。


「ぜってぇ折れてる。いてぇ……」


 ズキズキとした痛みを堪えながらも、耳を澄ます。




 ――――。




 音は、聞こえない。


 あの怪人はまだ追って来ていないようだ。


 きっと、また余裕をかましているのだろう。少年に痛打を与えたことで調子に乗って。


「はは、だからいつも逃げれるんだけどな。

 アイツが失敗に学習しないアホで本当に良かったぜ」


 痛みを誤魔化すために軽口を叩きながら、一歩一歩進む。


「通信は…………駄目か。さっきので壊れたな。あとで叱られるなぁ」


 仲間達に一先ずの無事を知らせようと考えた少年だったが、無線機は一切反応しなかった。


「…………ここ、どの辺りだろうな」


 這うように進む路地に、少年は見覚えが無かった。

 少年は怪人が我が物顔でのし歩く様になってからも、仲間達や怪人の目を盗んではこの灰色になってしまった世界を度々探索していた。それは父が最期に言っていた『希望』を探すためであったが、少なくとも今居る辺りには来たことが無かったようだ。


「…………ヒメノカリスの奴、今回は妙にしつこかったからな」


 角を折れ、進む。方角も殆ど分からなくなっていたので、完全に勘だった。


「足がやられてなかったら、ついでに探索して帰りたいところなんだけど…………、まあ、今はちゃんと逃げる方が優先か」


 未だに痛みの引かない左足を引き摺り、暗い路地を進む。


 古い雑居ビルが密集して林立し、人一人がやっと通れる細い路地が縦横に走っているこの辺りは、まるで迷路のようで。時に崩れた建物の穴を通り抜けつつ進む。


 追手の気配は、未だに無い。 


 あのヒメノカリスの事だから、早々に迷子になっているのかも知れない。少年は口元に笑みを浮かべながら進む。進む。無音の中を。灰色の暗闇を。


 聞こえてくるのは荒れた自身の息遣いと、左足が地面をこする音だけ。


 静かだった。


 先程までの激しい鬼ごっこなど、まるで夢だったかのように。


 世界に怪人が現れたなんて、世界が滅びたなんて、全てが嘘だったんじゃないかと思ってしまいそうなほどに。








 ――――シャリ。


 そうして進んでいる内に、少年の耳に静寂を破るかすかな音が聞こえた気がした。



 シャリ。シャリ。



 いや、気のせいではない。ふと気づくと、足元一面に灰色の花びらが大量に散っていた。



 シャリ。シャリ。



 一枚一枚は細く長い形をしていて、一歩進むごとに踏みつけられた花びらが灰と崩れ、乾いた音を立てる。



 シャリ。シャリ。



 顔を上げれば、進む先が広場になっていた。



 シャリ…………。



 その中央に、何かが、ある。



 「まさ、か……?」



 石像がたった一つ。



「アルカン……シエル?」



 いつかの憧れを、そこに見て、呆然と、呟く。



「色を無くして、石に……? ずっと、ここで……?」


 その瞬間、少年の頭にかつて父の遺した言葉が蘇る。


「まさか……。父さん、まさか、探せって、まさか、そういう事だったのか……?」


 思わず胸元を握りしめていた。その下には、血で汚れてしまった父の手帳が入っている。

 受け継いで以来ずっと何かも分からないまま求めていた探しもの。それが、カチリと嵌った気がした。


「もし…………もし、そうなのだと、したら……」


 ふらり、ふらりとまるで白昼夢を視ているかのごとく歩み寄った。



 掌で、触れてみる。



「熱っ!?」



 驚きに、思わず手を引っ込める。

 冷たく見えた石像は、強い熱を保っていた。

 でも意外には思わなかった。何故なら、アルカンシエルだからだ。


「……貴方は、ここに居たんですね」


 もう一度触れる。脈動する確かな熱を通じて、かの英雄の想いが伝わってくる。

 彼がアルカンシエルとして見聞きし、体験したものが大河のうねりの如くなだれ込んでくる。


(そうか、そうだったんだ)


 そうした中で、少年は理解する。

 憧れたヒーローが犯した、たった一つの失敗を。




 それは




 完璧過ぎた為に、人類は彼を盲信してしまった。なんとかなると思い込んでしまった。

 そして、それはアルカンシエルも同様であった。

 窮地に陥っても切り抜けられると、万一の時でも何も言わずとも助けに応じて貰えると、思い込んでしまっていた。


 全ては、信頼に寄りかかって対話を怠ってしまった、人類とアルカンシエルの犯した失敗であったのだ。



 少年の背後に気配が現れる。遂に追ってきたのだ。

 しかし、少年の心に焦りは生まれなかった。


(大丈夫、俺が引き継ぎます。

 貴方の失敗も、想いも、何もかも)


 石像がさらさらと、光る灰に還っていく。


(今日の僕たちは、誰かの失敗に支えられている事を知っているから)


 光る灰は風に吹き散らされることなく、まるで少年を包む繭のように辺りに漂っている。


(昨日の失敗は明日に繋がることを、逆境の先の希望に辿り着けることを、知っているから)


 光る灰の中で、まるで何かを受け取ろうとするように少年は掌を上に向けた。


(何より、人の想いは受け継いでいけるものだと、信じているからっ! だからっ!!)


 光が解けて消える。


 少年の手の上に残されたのは、一枚の虹色のマフラー。


 そんな少年の背後、広場の入り口に白い影。


「ふっふっふ! ようやく見つけた! さぁ、追い詰めたぞ!」


 悠然と迫りながら、蜘蛛の怪人が上機嫌に笑う。


 それに臆することなく、少年は振り返った。瞳に覚悟を宿して。

 異変に気付いて、ヒメノカリスが狼狽え声を上げる。


「ちょ、ちょっと待て、待て、待て! そ、それは、まさか……!」


 虹のマフラーが、灰色の闇の中でたなびいた。


(未来はまだ灰色じゃない! 明日に虹を描いてみせる!)



 右手を、高く掲げる。天を掴むかのごとく!



 強く握りしめれば、想いに応えて革の手袋がギリリと鳴った!







 ――――そして、少年は叫ぶ!








「変、身っ!!」

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